ポンと頭に手が置かれた。
瑞音はそっと相手を見上げる。
見慣れないスーツ姿の響は、ぞくっとするほどの色気を湛えていた。
こんな社員が会社にいたら、きっと仕事にならないだろう。
整った顔立ちに、余裕のある笑み。だが、そこはかとなく危うさがあって目が離せない。
「きみは……どこにも行かないよな?」
甘く囁く声に、背筋がぞくぞくする。
「俺のそばにいてくれ」
「……っ!」
驚きで声も出ない――という演技をせずとも、圧倒されて何も言えない。
「返事は?」
そっと耳元で囁かれ、瑞音は顔を真っ赤にしてうなずいた。
「はいっ……!」
「カット!」
監督の声に、瑞音はホッと肩の力を抜いた。
「すごくよかったよ、瑞音さん!」
「ありがとう、助かった!」
次々労いの言葉をかけてくれるスタッフに笑顔を見せる。
ここはショートドラマの現場だ。
瑞音は女優ではない。ただの一般人だ。
今回、急遽女優さんが来られなくなってしまい、ピンチヒッターとして代役を頼まれたのだ。
そう、目の前の主演俳優、涼宮響に。
「お疲れ、最高だった」
響がにこり、と笑いかけてくる。
響は現在、二十六歳。映画にドラマにと引っ張りだこの人気イケメン俳優だ。
そして、瑞音の高校の先輩で同居人。
いや、正確には大家だ。
失職し、住まいまで失った瑞音が転がり込んだのは、響のマンションだった。
タダでお世話になっている瑞音は、恩返しをしたくて響の頼みを引き受けた。
(思い切ってやってよかった……)
瑞音は清々しい思いで、十日前の事件を思い浮かべた。
すべては高校の人気者だったこの先輩との再会から始まった。
*
「あれ? 『昼寝ちゃん』じゃん」
「えっ……」
瑞音は目を見張った。
高校時代の憧れの先輩である響が目の前に立っていたのだ。
今人気の俳優らしく、帽子とマスクをしているが、綺麗な切れ長の目が印象的ですぐに響だとわかった。
「きみ、あれでしょ。どこでも昼寝できるっていう……」
「私、『ひるね』じゃなくて『みずね』です。瑞音」
久しぶりに呼ばれたあだ名に、瑞音は少しくすぐったい思いで訂正した。
目の前にいるのは涼宮響。二歳年上の高校時代の先輩だ。
といっても、同じ高校だっただけで特に仲が良かったわけではない。
長身のイケメンで高校時代からモデルをしていた有名人の響に、一方的に憧れていただけだ。
まさか響が自分を認識していたなど思いもしなかった。
「昼寝ちゃん、もしかしてここに用?」
目の前に立っているのは二階建てのシェアハウスだ。
「はい、引っ越してきたので……」
大きなトランクを引きずっているので、隠しようもない。
「マジか……」
響が額に手を当てる。
「ここさ、俺の親戚がオーナーの建物なんだけど」
「えっ、そうなんですか!?」
「実は、水漏れがあってしばらく住めないんだ。俺は様子を見るように頼まれたんだけど……」
響が鍵を見せてくれる。
「不動産屋さんから連絡来てない?」
「えっ……」
慌ててスマホを見ると、着信があった。
「えっ、どうしよう……」
とりあえずは近場のホテルかどこかに避難するしかないが、事情があって失職した身としては出費が痛い。
「ちょっと長引きそうなんだよね。老朽化が進んでて、この機会に直した方がいい箇所がいろいろ出てきて」
「……っ」
瑞音はショックを隠しきれなかった。
トラブルに見舞われて再出発をと意気込んでいただけに、出鼻をくじかれた感じだ。
「行き場がない感じ……?」
瑞音はこくりとうなずいた。
実家の両親とは折り合いが悪く頼りたくない。
響がしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「えっと……とりあえず、俺のマンションに来る?」
「は?」
「シェアハウスを住居に選んだってことは、わりと手持ちが厳しいんじゃない?」
瑞音はぐっと詰まった。
響の言うとおりで、敷金礼金がない格安家賃に引かれての入居だった。
女性専用ハウスというのも魅力で、急に好条件の住居が見つかる気がしない。
「先輩のマンションって……」
「この近く。かなり広いし、俺はあんまり家にいないから、気を遣わなくて済むよ」
「で、でも……」
知らない相手ではないとはいえ、男性の家に行くのは躊躇いがあった。
「や、警戒するよね。無理にとは言わないけど……」
そのとき、ぽつっと冷たいものが頬に当たった。
「雨……!」
大荷物を持った瑞音は呆然とした。
「ど、どうしよう……」
「とりあえず、俺の家で雨宿りして考えたら。誓って嫌がるようなことはしないから」
瑞音は一瞬迷ったが、思い切ってうなずいた。
高校時代の響しか知らない。でも、当時から華やかな見た目に反して誠実な人だったのは知っている。
「お、お願いします」
「じゃあ、タクシー拾うね。大荷物、大変だろうから」
瑞音はそっと相手を見上げる。
見慣れないスーツ姿の響は、ぞくっとするほどの色気を湛えていた。
こんな社員が会社にいたら、きっと仕事にならないだろう。
整った顔立ちに、余裕のある笑み。だが、そこはかとなく危うさがあって目が離せない。
「きみは……どこにも行かないよな?」
甘く囁く声に、背筋がぞくぞくする。
「俺のそばにいてくれ」
「……っ!」
驚きで声も出ない――という演技をせずとも、圧倒されて何も言えない。
「返事は?」
そっと耳元で囁かれ、瑞音は顔を真っ赤にしてうなずいた。
「はいっ……!」
「カット!」
監督の声に、瑞音はホッと肩の力を抜いた。
「すごくよかったよ、瑞音さん!」
「ありがとう、助かった!」
次々労いの言葉をかけてくれるスタッフに笑顔を見せる。
ここはショートドラマの現場だ。
瑞音は女優ではない。ただの一般人だ。
今回、急遽女優さんが来られなくなってしまい、ピンチヒッターとして代役を頼まれたのだ。
そう、目の前の主演俳優、涼宮響に。
「お疲れ、最高だった」
響がにこり、と笑いかけてくる。
響は現在、二十六歳。映画にドラマにと引っ張りだこの人気イケメン俳優だ。
そして、瑞音の高校の先輩で同居人。
いや、正確には大家だ。
失職し、住まいまで失った瑞音が転がり込んだのは、響のマンションだった。
タダでお世話になっている瑞音は、恩返しをしたくて響の頼みを引き受けた。
(思い切ってやってよかった……)
瑞音は清々しい思いで、十日前の事件を思い浮かべた。
すべては高校の人気者だったこの先輩との再会から始まった。
*
「あれ? 『昼寝ちゃん』じゃん」
「えっ……」
瑞音は目を見張った。
高校時代の憧れの先輩である響が目の前に立っていたのだ。
今人気の俳優らしく、帽子とマスクをしているが、綺麗な切れ長の目が印象的ですぐに響だとわかった。
「きみ、あれでしょ。どこでも昼寝できるっていう……」
「私、『ひるね』じゃなくて『みずね』です。瑞音」
久しぶりに呼ばれたあだ名に、瑞音は少しくすぐったい思いで訂正した。
目の前にいるのは涼宮響。二歳年上の高校時代の先輩だ。
といっても、同じ高校だっただけで特に仲が良かったわけではない。
長身のイケメンで高校時代からモデルをしていた有名人の響に、一方的に憧れていただけだ。
まさか響が自分を認識していたなど思いもしなかった。
「昼寝ちゃん、もしかしてここに用?」
目の前に立っているのは二階建てのシェアハウスだ。
「はい、引っ越してきたので……」
大きなトランクを引きずっているので、隠しようもない。
「マジか……」
響が額に手を当てる。
「ここさ、俺の親戚がオーナーの建物なんだけど」
「えっ、そうなんですか!?」
「実は、水漏れがあってしばらく住めないんだ。俺は様子を見るように頼まれたんだけど……」
響が鍵を見せてくれる。
「不動産屋さんから連絡来てない?」
「えっ……」
慌ててスマホを見ると、着信があった。
「えっ、どうしよう……」
とりあえずは近場のホテルかどこかに避難するしかないが、事情があって失職した身としては出費が痛い。
「ちょっと長引きそうなんだよね。老朽化が進んでて、この機会に直した方がいい箇所がいろいろ出てきて」
「……っ」
瑞音はショックを隠しきれなかった。
トラブルに見舞われて再出発をと意気込んでいただけに、出鼻をくじかれた感じだ。
「行き場がない感じ……?」
瑞音はこくりとうなずいた。
実家の両親とは折り合いが悪く頼りたくない。
響がしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「えっと……とりあえず、俺のマンションに来る?」
「は?」
「シェアハウスを住居に選んだってことは、わりと手持ちが厳しいんじゃない?」
瑞音はぐっと詰まった。
響の言うとおりで、敷金礼金がない格安家賃に引かれての入居だった。
女性専用ハウスというのも魅力で、急に好条件の住居が見つかる気がしない。
「先輩のマンションって……」
「この近く。かなり広いし、俺はあんまり家にいないから、気を遣わなくて済むよ」
「で、でも……」
知らない相手ではないとはいえ、男性の家に行くのは躊躇いがあった。
「や、警戒するよね。無理にとは言わないけど……」
そのとき、ぽつっと冷たいものが頬に当たった。
「雨……!」
大荷物を持った瑞音は呆然とした。
「ど、どうしよう……」
「とりあえず、俺の家で雨宿りして考えたら。誓って嫌がるようなことはしないから」
瑞音は一瞬迷ったが、思い切ってうなずいた。
高校時代の響しか知らない。でも、当時から華やかな見た目に反して誠実な人だったのは知っている。
「お、お願いします」
「じゃあ、タクシー拾うね。大荷物、大変だろうから」


