毎日、今までの全部が夢ならいいのにと思いながら目を覚ます。白いカーテンも冷たい床も、これが現実だと思わせるものすべて、私の存在ごと消えてしまえばいいのにと。

 けれど夢っていうのはいつか覚めるから夢なのだ。私はもう夢から覚めて、今はただ、兄のいない現実をひたひたと生きている。


「久しぶりだね。」


 2ヶ月ぶりの高校だった。私が教室に入ると、みんな蜘蛛の子のように散ってしまったけれど、逃げ遅れた蜘蛛の子、というか千乃(ちの)だけが私に変わらない笑顔を向けた。


「音寧ならきっとまた学校に来てくれるって思ってた。」


 明るい色の瞳をふわりと三日月型にして、千乃は優しく笑う子だ。体調を崩しがちな私が倒れるたびに、保健室まで連れていってくれたのは彼女だった。


「ありがとう千乃。私なら大丈夫だよ。」


 大丈夫。私はひとりでも、大丈夫。

 この2ヶ月、ひとりで生きていけるって言葉を隙間なく脳に敷き詰めていないと、私をつかさどる世界のすべてが崩れ落ちてしまいそうだった。

 あの夜から数日後、兄は小さな箱になった。

 人が死ぬといろいろと手続きをしなければならないようで、兄が死んでからひと月くらい、私たちを遠隔で支えてくれていた弁護士の人に助けられながら、私はとにかく頭も体も動かした。

 携帯電話を解約して、口座を引き継いで、住民票を変更して。死亡届けを提出して。そうやってひとつずつ、兄を消していく。

 父と母の遺産は5000万以上あったということを、兄が死んでから私は知った。病弱だった2人はかなり手厚い保険に加入してくれていたらしく、母は遺言書に後見人となる弁護士まで指定して、私たちに与えられる限りのすべてを遺してくれたのだ。

 本当に何も知らなかった。

 じめじめとうだるような暑さも、しだいに感じなくなった。

 それも何となく落ち着いてきた頃、私は、自分が今にも空っぽになりそうなことに気がついた。

 身体は拍子抜けするほど軽いのに、少しでも寝っ転がったりしたのなら、ずぶずぶと床の底に沈んでしまいそうなのだ。とにかく何かしていないと、私はこのまま土に溶けて何者でもなくなってしまいそうだった。

 いっそ、それでもいいと思える。むしろ今こうして生きていることのほうが変なのだ。私にとってのすべてが死んでしまった世界で、どうして私は息ができるんだろう。


「何か不便があったらいつでもうちを頼って。」


 千乃が、私の顔を覗き込むようにして言った。艶のある色素の薄い髪が、さらりと流れる。


「……うん、ありがと。」


 千乃はどこまでも優しくて、その優しさに今は締めけられるようで、胸に応える。

 千乃にも年の離れたお兄さんがいる。昔は喧嘩ばかりだったけれど、何だかんだ頼りになるんだと言っていた。

 きっと私みたいに歪んだ想いを抱くことなんてなく、兄と妹として、これからも助け合いながら生きていくんだろう。

 ただの兄と妹。それ以上でもそれ以下でもない、かけがえのない肉親。私にはどうして、それができなかったんだろう。