その色に触れたくて…

【柱:海辺の町・スケッチ旅行当日】

【ト書き】
電車を乗り継ぎ、ふたりが辿り着いたのは、
咲耶がかつて「行ってみたい」と言っていた、静かな海辺の町。

広がる水平線、少し冷たい潮風。
海の青は、キャンバスのどんな色にも似ていない、
その場所だけの“特別な色”だった。

【新菜(砂浜を歩きながら)】
「……本当に来てよかったね」

【成海(頷いて)】
「ああ。……咲耶が見たかった景色、ちゃんと覚えておきたい」

【ト書き】
ふたりは並んでスケッチブックを開き、
無言で波と空を描きはじめる。

ただ、どこか成海の手が止まりがちで。
新菜は静かにその横顔を見つめていた。

【新菜(そっと)】
「……描けないの?」

【成海(目を伏せて)】
「……まだ、お前に“向き合っていい”って、自信がないだけ」

【ト書き】
唐突な言葉に、新菜ははっと息をのむ。

【成海(続けて)】
「新菜に、ちゃんと伝えなきゃって思ってた。……ずっと」
「咲耶のことを大切に思ってたのは本当だ。でも、同じくらい──」

【ト書き】
成海の視線が、新菜の目にまっすぐ重なる。

【成海】
「……お前のことも、ずっと特別だった」

【新菜(小さく、震えながら)】
「……っ」

【成海(言葉を絞り出すように)】
「咲耶のことがあったから、自分にそういう資格はないって……
 何度も言い聞かせてた。でも、そんなの全部ただの逃げだった」

【成海(一歩近づいて)】
「もう、逃げない」
「俺は……新菜と未来を描いていきたい」
「好きだった。ずっと前から——今も。」


【ト書き】
新菜の目に、涙が浮かぶ。
それは嬉しさと、ずっと待っていた気持ちが重なった涙だった。

【新菜(小さく、でも確かに)】
「……ずっと待ってたよ」

【ト書き】
その瞬間、ふたりの距離が自然と近づく。
成海は、そっと新菜の頬に手を添え、目を細めた。

【成海(やさしく)】
「……好きだよ、新菜」

【新菜(涙をこぼしながら微笑む)】
「……私も。……成海くんが、ずっと好きだった」

【ト書き】
海風がふたりの髪を揺らし、
空の色がゆっくりと夕暮れへと変わっていく。

【ト書き】
その夕陽の下、ふたりは自然に身体を寄せ合い、
静かに唇を重ねた。

──それは、あたたかくて、
ずっと描きたかった“ふたりの色”そのものだった。



【柱:旅館の一室・夜】

【ト書き】
ふたりは同じ宿に泊まり、布団を並べて横になる。
会話は少なく、でも静かな安心感がそこにあった。

【新菜(ぽつりと)】
「……なんか、夢みたい」

【成海(目を閉じたまま)】
「現実だよ。俺が、今こうして隣にいる」

【新菜(ふふっと笑って)】
「じゃあ、夢が叶ったんだ」

【成海(目を開けて、新菜のほうを見て)】
「……これからは、一緒に描こう。
 どんな色になっても、全部お前とだったらいい」

【新菜(声を震わせながら)】
「……うん」

【ト書き】
その夜、ふたりは手を繋いだまま眠りについた。
あの日、咲耶が残した“未来”は、確かに彼らのなかで息づいていた。


【柱:芸術大学・アトリエ棟/課題提出前日】

【ト書き】
春の終わりの陽差しが、アトリエに差し込む。
大きなキャンバスの前で、新菜と成海は無言で最後の仕上げに向き合っていた。

【ト書き】
描かれていたのは、あの海辺の町の景色。
でもそこには、ふたりの姿も──
草原を走る小さな男の子と女の子が、手を繋いで駆けている後ろ姿が添えられていた。

それは、咲耶が語った“ふたりの色”を形にした風景。

【新菜(筆を止めて、キャンバスを見つめる)】
「……ここまで来たんだね、私たち」

【成海(横に立ちながら)】
「ああ。……この景色を、お前と描けてよかった」

【ト書き】
キャンバスの中では、子どもたちの前に広がる草原が、
空とつながるように希望へ伸びていた。

【成海(少し照れながら)】
「この子たち……たぶん、俺たちだよな」

【新菜(くすっと笑って)】
「うん。
 ずっと昔に、ふたりで見た夢の続き」

【成海(小さく息をついて)】
「咲耶が言ってた。“未来を染めて”って」
「たぶんもう、できてたんだと思う。……お前がそばにいてくれたから」

【新菜(目を潤ませながら)】
「そんなの……私のほうこそ。
 成海くんがそばにいてくれたから、ここまで描いてこれたんだよ」

【ト書き】
その言葉に、ふたりは顔を見合わせて、
同時にふっと笑った。

──

【柱:課題発表当日・ギャラリールーム】

【ト書き】
完成した作品が、ギャラリーに展示される。

キャンバスの下にはタイトルカード──
《その色に触れたくて》と記されていた。

【教授(講評中)】
「まるで物語を一枚に閉じ込めたような作品だ」
「ふたりが見てきた景色と、心の交差点が伝わってくる。素晴らしい」

【ト書き】
拍手の中、ふたりは並んで立っていた。
新菜はこっそり、成海の袖を引っ張る。

【新菜(小声で)】
「……緊張した」

【成海(小さく笑って)】
「俺は平気。隣にお前がいるから」

【新菜(少し赤くなって)】
「……ずるい」

【ト書き】
でも、頬を染めたまま、彼女は笑った。
その笑顔は、もう過去の痛みに揺れるものではなく、
これからの未来を見つめる穏やかな光だった。

──

【柱:キャンバスの前・帰り際】

【ト書き】
もう誰もいない展示室。
ふたりは再び、キャンバスの前に並んで立つ。

【成海(ぼそりと)】
「……この色、好きだよ」

【新菜(隣で微笑みながら)】
「どの色のこと?」

【成海(やさしく新菜を見て)】
「お前が見せてくれた色」

【ト書き】
それは、何にも代えがたい言葉だった。
ふたりがこの数か月で積み上げてきた、全部を肯定するような。

【新菜(そっと手を握りながら)】
「私も、成海くんの色が……すごく好き」

【ト書き】
その言葉と手の温もりが、また新しい絵の具のように、
心に滲んでいった。

──ふたりの“物語”は、これからも続いていく。
でももう、迷うことはない。

何色になっても、この手で、君と描いていけるから。



【柱:海辺の町・あの日の浜辺/それから数年後】

【ト書き】
春の終わり、やわらかな潮風が吹く午後。
あの時ふたりでスケッチした海辺に、
成海と新菜の姿が並んでいた。

【新菜(帽子を押さえながら笑う)】
「わぁ……変わってないね、ここ」

【成海(隣で手を繋ぎながら)】
「変わらないままで、いてくれてよかった」

【ト書き】
ふたりの指先はしっかりと絡んでいる。
もう何も隠すものも、恐れるものもなかった。

【新菜】
「覚えてる? 初めてここに来た日」

【成海】
「ああ。……お前の泣き顔も、海の匂いも、全部」

【ト書き】
照れくさく笑うふたりの後ろに、
今はもう見ることのない“誰かの面影”が
そっと見守るように流れていた。

──咲耶。

あなたがくれた“未来”は、
たしかに今、私たちのなかで生きてるよ。

【柱:丘の上・小さな展覧スペース】

【ト書き】
ふたりが開いた、初めての二人展。

《Exhibition:その色に触れたくて》
──副題には、こう添えられていた。

「あなたのいない色を、
  ふたりで塗り重ねていきます」

【新菜(展示室を見渡して)】
「咲耶さん……来てくれてるかな」

【成海(静かに微笑んで)】
「あいつなら絶対、ど真ん中で見てる」
「……そして、文句つける」

【新菜(ぷっと吹き出して)】
「わかる、“ここちょっと甘い”とか言いそう」

【ト書き】
でもその笑いのなかに、もう痛みはなかった。
思い出はちゃんと、思い出として心の奥にしまえていた。

【成海(壁に飾られた一枚の絵の前で立ち止まる)】
「これ、最後に描いた“心の風景”」

【新菜(となりで頷きながら)】
「“今のふたり”の色だよ」

【ト書き】
絵の中には、草原を走るふたりの子どもの後ろ姿。
その空は、やわらかな金色で包まれていた。

【新菜(そっと成海の腕に寄りかかって)】
「ねぇ、成海くん」
「これからも、ずっと描いていこうね。
 ふたりだけの色を、ひとつずつ」

【成海(目を細めて笑って)】
「……ああ。最後のページまで、全部お前と」

【ト書き】
繋いだ手に、確かなぬくもり。
重ねた想いに、もう名前はいらなかった。

それは、ただ“恋”というには足りない、
人生そのものの色。

──

「その色に触れたくて」

それは、彼女と彼がふたりで選び、
ふたりで歩いた、“愛”の名前だった。


🌸~完~🌸