「ううん、私の方こそ気付いてあげられなくてごめん。頼りない上司でごめんね」

 吉野主任は言うと隣を擦り抜けて行く。頼りないなんて思うはずもない、だが追い掛けるのは止めておこう。主任の見えない尻尾が怒りで逆立っていた。

 先の人事で上司となった吉野美由紀。彼女は営業をやったことのない人物で、天敵の小佐田部長たっての人選と聞いている。
 俺とて今の立場で燻っている気などない。職位は喉から手が出るくらい、本当は欲しかった。
(欲しかったんだけど……)
 襟足を掻き、凝り固まった首周りを揉む。
(吉野主任がいるなら部長になればいいか)

「あ、あの」
「ん?」
「わたし、経理部の朝峰っていいます。何かお困り事ですか?」
「あー困り事というか、惚れた弱みで参ってるって感じ?」

 廊下の真ん中でため息を吐いたら進路妨害だ。さっと脇へ避け、道を譲る。

「え、えっと?」
「ごめんごめん。こっちの話」

 朝峰さんと面識はないが、あちらは俺を知っている様子。ミラーリングでニコニコ微笑む。相手と同じ仕草をして親近感を演出するのは人心掌握テクニックのひとつだ。

「営業部と経理部で飲み会しますよね? 幹事は西山さんですか?」
「そうだよ」
「やった! 部長、わたしのお願いをちゃんと守ってくれたんだ」
「お願い? 朝峰さんがうちの部長に頼んだの?」