どういたしまして、と応じるには記憶がない。

「ーーその件があって、こんなに良くしてくれるの?」
「それもありますけど、それだけじゃありません〜」

 突如、本心に近い事柄を語っておきながら、自分の気が済むとはぐらかす。西山君の気持ちは掴めそうで掴めない。

「あ、自販機で飲み物買ってきますね! ここのガトーショコラはかなり濃厚で、さっぱりしたものが欲しくなりますよ〜」

 呼び止める隙がないうえ、お金を渡す間もない。

「はぁー」

 ため息をつき、父の側へ腰掛けた。

「いい青年じゃないか」
「まぁ、ね。だけど人懐っこさに惑わされちゃ駄目」
「それは自分に言い聞かせてる?」
「……どうだろう、よく分からない。営業成績トップの彼から親切にされるのは嬉しいけど、裏がありそうで怖くもある」

 病室へ夕日が差し込む。普段より面会時間が長く取れるのは定時きっかりに上がれ、西山君の車で移動を出来たからだ。

「結婚が女性の幸せとは言わないけれど、頑張ったり泣きたくなった時に気持ちを分かち合う存在がいてもいいんじゃないか?」
「またその話? 西山君とはそういうのじゃないし。上司と部下だよ」

(嘘。本当は父のこの言葉がずっと耳に残っていた。それにーー)
 肩口に鼻を寄せてみる。ほんのりベルガモットの香りがして、車内での他愛のないやりとりを過ぎらす。

「西山君、車で通勤してるんだね」
「終電を逃しちゃう日も割とあるので。助手席、適当に調整して下さいね〜」
「ありがとう。降りる時、ちゃんと戻す」
「別に戻さなくてもいいっすよ。誰も乗せないんで」

(私の他に誰も乗せないのか)
 ここでハッと我に返った。頬へひんやりした物が押し付けられる。