「ただ〜」
夕方、莉子が帰ってきた。
「ただいまぐらい略さずに言えないの?」
「家でしか使わないんだからいいでしょ?…っとに、お母さんは堅いんだから」
鬱陶しそうに反論しながら自分の部屋へ入った莉子を、美紗子は「何でも略して…大した時短にもなってないっつうの」とブツブツ文句を言いながら本日のメニュー、豚汁が出来上がった鍋の中身をひと混ぜする。
夕飯の用意ができたところで莉子を呼び、部屋着に着替えた莉子は着席すると「いただき〜」と手を合わせてすぐさま豚汁の汁を一口飲み、「染みるわぁ」としみじみ言う。
そんな様子の莉子を見ながら、
「お父さん、元気だった?今日はどこ行ったの?」
父親とのデートの様子を探る。
「ラーメンフェスに行って…それから行きたかったカフェ行って、1時間並んでやっと店入れてパンケーキ食べた」
「ずいぶん楽しそうじゃない?」
「お父さん、若い女子ばっかの中でカフェに並んでたから気まずそうだった……あ、そうだ」
莉子は笑いながら急に何かを思い出して自分の部屋へ行き、何かを手に戻ってきた。
「これ、お父さんから」
横長の紙封筒を美紗子に手渡した。
「え?」
何かと慌てて開けてみると、チケットが1枚出てきた。
岩崎翔太 AUTUMN LIVE TOUR
白百合文化ホール 10月3日(土) 18:00開演 ○列△番
驚いて、美紗子は莉子を見る。
「お父さんにね、お母さんが学生時代に好きだった歌手の話をしてて、今度その人が白百合に来るんだってこと話したの。お母さん、行きたそうだったけど、もう売り切れてるだろうって諦めてるって話したら、私を送るついでに文化ホールに寄って確認して、そしたら残り数席あるってわかったら、お父さん買ってくれたんだよ。お母さんに渡してって。よかったね。」
別れた元夫からの思いがけない優しさに驚きと嬉しさが入り混じった。
すぐさま美紗子は和也に電話をかけた。
「今日は莉子がお世話になりました。莉子から受け取ったんだけど…」
「あぁ…美紗子が昔、岩崎翔太のファンだったなんて知らなかったよ。そういえば誰のファンとか、そういう話ってしなかったのかなって」
「ちょうど熱が冷めた後にあなたと出会って…そうだよね。お互いに誰ファンとかそういう話し、した記憶ないね。あの頃、何話してたんだろ?」
和也が携帯の向こうでクスクス笑っている。
「思ってもみなかったから凄く嬉しい。ありがとう。本当にお言葉に甘えちゃっていいの?」
「苦労かけてばかりで養育費も払えてないんだから、せめてものお詫びのしるしってことで、それは受け取ってよ」
和也に何度も礼を言い、電話を切った。
「何着ていこう…」ふと我に返る。
「お母さんってさ、基本、私の学校行事以外遊びに行くことって、八重さんとたまに出掛ける以外なかったよね。ずっと仕事ばかりで。趣味とか好きなことがイマイチわかんなかったからさ。なんかよくわかんないけど…すごくいいと思う。だから、思い切りお洒落して…そうだ明日、服買いに行こうよ!」
莉子に言われ、ふと、莉子には美紗子が無趣味の仕事人間のように写っていたのだろうかと感じた。
仕事中心の割には余裕ある生活をさせてあげられず、莉子はこれまでの交友関係の中で肩身の狭い思いや、欲しいものを我慢していた時があったはずだ。
借金や未納だけはしないよう、数千円、数百円でもいいからプラスを出せるよう、仕事と節約に必死であった莉子と2人の生活の中で、美紗子は趣味や好きなものがないわけではなかった。
アクセサリーや手芸などのものづくりに、本当はとても興味がある。しかし、ものづくりには材料費がかかる。
ハマるととことん熱中してしまう性分であることをわかっているがゆえ、無意識に我が欲を硬い蓋できつく締めつけていたのかもしれない。
そして、そのうちに忘れてしまっていた。
和也がプレゼントしてくれたこのチケットが、美紗子の硬い蓋を少し緩めてくれた気がした。
夕方、莉子が帰ってきた。
「ただいまぐらい略さずに言えないの?」
「家でしか使わないんだからいいでしょ?…っとに、お母さんは堅いんだから」
鬱陶しそうに反論しながら自分の部屋へ入った莉子を、美紗子は「何でも略して…大した時短にもなってないっつうの」とブツブツ文句を言いながら本日のメニュー、豚汁が出来上がった鍋の中身をひと混ぜする。
夕飯の用意ができたところで莉子を呼び、部屋着に着替えた莉子は着席すると「いただき〜」と手を合わせてすぐさま豚汁の汁を一口飲み、「染みるわぁ」としみじみ言う。
そんな様子の莉子を見ながら、
「お父さん、元気だった?今日はどこ行ったの?」
父親とのデートの様子を探る。
「ラーメンフェスに行って…それから行きたかったカフェ行って、1時間並んでやっと店入れてパンケーキ食べた」
「ずいぶん楽しそうじゃない?」
「お父さん、若い女子ばっかの中でカフェに並んでたから気まずそうだった……あ、そうだ」
莉子は笑いながら急に何かを思い出して自分の部屋へ行き、何かを手に戻ってきた。
「これ、お父さんから」
横長の紙封筒を美紗子に手渡した。
「え?」
何かと慌てて開けてみると、チケットが1枚出てきた。
岩崎翔太 AUTUMN LIVE TOUR
白百合文化ホール 10月3日(土) 18:00開演 ○列△番
驚いて、美紗子は莉子を見る。
「お父さんにね、お母さんが学生時代に好きだった歌手の話をしてて、今度その人が白百合に来るんだってこと話したの。お母さん、行きたそうだったけど、もう売り切れてるだろうって諦めてるって話したら、私を送るついでに文化ホールに寄って確認して、そしたら残り数席あるってわかったら、お父さん買ってくれたんだよ。お母さんに渡してって。よかったね。」
別れた元夫からの思いがけない優しさに驚きと嬉しさが入り混じった。
すぐさま美紗子は和也に電話をかけた。
「今日は莉子がお世話になりました。莉子から受け取ったんだけど…」
「あぁ…美紗子が昔、岩崎翔太のファンだったなんて知らなかったよ。そういえば誰のファンとか、そういう話ってしなかったのかなって」
「ちょうど熱が冷めた後にあなたと出会って…そうだよね。お互いに誰ファンとかそういう話し、した記憶ないね。あの頃、何話してたんだろ?」
和也が携帯の向こうでクスクス笑っている。
「思ってもみなかったから凄く嬉しい。ありがとう。本当にお言葉に甘えちゃっていいの?」
「苦労かけてばかりで養育費も払えてないんだから、せめてものお詫びのしるしってことで、それは受け取ってよ」
和也に何度も礼を言い、電話を切った。
「何着ていこう…」ふと我に返る。
「お母さんってさ、基本、私の学校行事以外遊びに行くことって、八重さんとたまに出掛ける以外なかったよね。ずっと仕事ばかりで。趣味とか好きなことがイマイチわかんなかったからさ。なんかよくわかんないけど…すごくいいと思う。だから、思い切りお洒落して…そうだ明日、服買いに行こうよ!」
莉子に言われ、ふと、莉子には美紗子が無趣味の仕事人間のように写っていたのだろうかと感じた。
仕事中心の割には余裕ある生活をさせてあげられず、莉子はこれまでの交友関係の中で肩身の狭い思いや、欲しいものを我慢していた時があったはずだ。
借金や未納だけはしないよう、数千円、数百円でもいいからプラスを出せるよう、仕事と節約に必死であった莉子と2人の生活の中で、美紗子は趣味や好きなものがないわけではなかった。
アクセサリーや手芸などのものづくりに、本当はとても興味がある。しかし、ものづくりには材料費がかかる。
ハマるととことん熱中してしまう性分であることをわかっているがゆえ、無意識に我が欲を硬い蓋できつく締めつけていたのかもしれない。
そして、そのうちに忘れてしまっていた。
和也がプレゼントしてくれたこのチケットが、美紗子の硬い蓋を少し緩めてくれた気がした。

