Someday 〜未来で逢いましょう〜

莉子が高校3年の二学期の時だった。
「お母さん、今日ね、これ見つけたんだ」
学校のカバンから新聞広告の一部をゴソゴソと取り出し、美紗子の目の前にかざした。
美術の卒業制作で大量に使用した新聞の一部だと言う。
「これ、お母さんが好きな歌手だよね?」
新聞の下欄右端に掲載された、岩崎翔太がマイクを手に高音を歌い上げているようなポーズを切り取った宣材写真のライブ告知だった。
白百合文化ホール 10月3日(土) 18:00開演
この街に来るんだ…

美紗子は中学生の頃、テレビの中で爽やかに歌い輝くアイドル達の虜だった。
学校で友達との話題といえば、だいたい漫画やドラマの話に、好きな男子か好きな芸能人のことで終始盛り上がっていた。
芸能雑誌を読みあさり、写真やグッズにまみれ、家ではテレビにかじりついて歌番組を掛け持ちするようにチャンネルを替え、いくつも作ったマイベストを流し続けながら漫画を読んで寝落ちする。
脳内にはイケメンアイドルの彼氏がいっぱいいる学生時代だった。
そんなアイドルに夢中だった美紗子の脳内に1人、ジャンルの違う歌手が割り込んできた。
綺羅びやかなスポットライトの中、歌って踊るアイドル達とは違う、大人の落ち着きと澱みのない澄んだ高音とロングトーンが美しい岩崎翔太というシンガーソングライターだった。
歌が上手い。その表現だけではもどかしいほどの衝撃を受けた。
アイドル達の容赦ないカッコ良さと違い、岩崎翔太の自然な立ち振る舞いと程よく整うクールビューティーな顔立ち、初めて触れる大人の魅力というものに心を射抜かれた。
翔太の歌う曲は大人のさまざまな状況の恋愛を想像させる。
歌詞の情景を素直に頭に思い浮かべ、映画が頭の中で上映されるようにその曲がBGMとして流れる。
聴くたびにカッコいい恋愛に憧れは募り、自分はどんな恋愛をするのだろうか?歌詞に出てくる彼女のように、私もいつか素敵な女性になれるのだろうか?その女性はいつか私である日がくるかもしれない…勘違いの妄想が、翔太の曲を聴き込むたびに拡がり、大人の世界に触れたような、自分も少しだけ大人になったような錯覚を起こさせた。
お小遣いを貯め、初めて行ったコンサートは、アイドルではなく、岩崎翔太だった。
アイドルのコンサートはとにかく競争率が高く、行くことができなかった中で、翔太の人気も当時すごいものではあったが、ラッキーにも取れたチケットだった。
生声に感動し過ぎて、客席で泣いた記憶がある。
授業中には、唄の歌詞をノートの端に書き出してうっとりしたり、休み時間に翔太の唄う曲の歌詞の内容を友と語り、キャーキャー騒ぐことが何より楽しい時間だった。
完全に雲の上の手の届かないアイドル達より、翔太の存在は我々庶民に少しだけ距離が近いような錯覚をさせる。
ファンというより、初恋の相手のような存在だったのかもしれない。

まだまともな恋愛の1つもしたことがない、勘違いの中学生は高校生になって突然の大失恋をした。
翔太が突然の結婚発表をしたのだ。
しかも子供が既に産まれていたという、純粋な少女にはあまりにショッキングな報告だった。
麗しき純情な乙女が勝手にした失恋は、翔太への興味を急速に失わせた。
芸能人は結婚を発表すると、人気は急降下する傾向があった。
アイドルの熱愛報道など、昔は特にそれが明白な時代であった。
翔太は自分で曲を作るクリエイターな部分もあったためか、結婚発表後もしばらくは世間を騒がせたものの、急激に人気を落とすことはなく、その後もメディアには姿を見せていた。
しかし、美紗子の中で、これまでのような夢と現実を一緒にした恋のような熱は徐々に温度を下げ、そのうち自分自身に立ちはだかる進路や受験、将来と向き合う現実の世界にようやく気がついた。
いつの間にかアイドル達も翔太も、美紗子の目の前から徐々に姿を消していった。
莉子が持ち帰ってきた新聞のライブ広告を見つめ、大人の渋みが増した翔太に、胸を焦がしたあの学生時代に好きだった翔太を重ね、懐かしさが走馬灯のように一気に駆け巡る。

美紗子が短大生になった頃、翔太は家族と共に生活と音楽活動の拠点をハワイに移すと発表した。
すでにその熱が冷めていることを自覚しながら、翔太のアルバムやシングルは失礼ながら惰性的に聴いていた記憶はある。
その発表の頃、美紗子にもようやく彼ができたということもあってか、そうなんだ…という冷静な反応だった。
人の感情はなんとも勝手なものである。
その後の翔太を、この広告を目にするまで全く見なかったわけではない。
メディアへの露出は少なくなったが、時折ハワイから戻ってリリースするアルバムやシングルの告知や宣伝をする翔太を見かけることはあった。
そのたび、好きだったなぁと懐かしく思うほどに美紗子の中でどんどん過去の人になっていた。
莉子を産んでからは、テレビをまともに見る時間も音楽を聴く余裕もなく、離婚後数年は、さらに仕事と子育てに懸命過ぎて、美紗子の頭の中から全く忘れてさられた存在になってしまっていた。
いつだったか、まだ莉子が中学の頃だったろうか。
年末の大掃除で収納ケースを整理していた時、莉子が大量のCDやグッズが乱雑にしまってある箱を見つけ、「これだーれ?」と1枚CDを取り出して聞いてきたことがあった。
「お母さんが昔、ものすごく好きだった歌手だよ」
そう言いながら久しぶりに手にしたCDを開き、掃除を中断して聴き出した。
「へぇ〜…あぁなんか懐かしい系の歌番組で聴いたことあるかも。で、これ捨てるの?」
莉子は面倒な片付けを早く終わらせたくて、美紗子に判断を急かす。
「お母さんの青春なんだから、捨てるわけないでしょ!」
青春の宝箱を莉子からサッと遠ざけ、CDを手早くまとめて箱へしまい直した。
いつでも聴き直せるように、クローゼットの取り出しやすい手前の位置へ移動させ、休みの日にでもゆっくり聴こうと思いながら、結局、一度聴いたかどうかすらも覚えていない。