スーパーの母体となっている大手百貨店の本部があるオフィスビルの8階で、本日午後から店長会議の予定がある。
3階から20階まで、百貨店グループ会社数社の本社がこのビルに集まっている。
会議を前にランチをしようと、この会議に店長代理で出席する予定の八重子から携帯にメッセージが入った。
数週間前に会ったばかりだが、八重子とビルの2階で待ち合わせる。
2階はレストランフロアとなっていて、このビルに勤務する社員だけではなく一般客も大勢利用するため常に賑わっている。
美紗子は3年ほど前からこのビルが勤務先となった。
近年、高層ビルが建ち並ぶ都会の中心ではなく、郊外や地方中枢都市に大手企業が本社を構えるスタイルが増え始め、このビルもその中核都市に新築され、散らばって事務所を構えていた百貨店グループ数社の中枢がこのビルに集約されたのだ。
定職を探していたあの15年前、なかなか美紗子の条件に合う職は見つからなかった。
小さい莉子のためにも勤務地は、新居がある白百合駅から通勤時間30分圏内が第一条件で、その他年齢、スキルを含め、シングルマザーの中途正社員はハードルが高かった。
いくら女性も働く時代とはいえ、身軽でなければいつの時代もハンデを背負う。
八重子も苦労して今の位置にたどりついたシングルマザーであったことを、美紗子が辞めるつもりでいる旨を打ち明けた時、初めて知った。
正社員を求めて全く未経験の職種に就くよりも、しばらくこのスーパーでフルタイム勤務のパートとして経験を積みながらパートリーダーとして昇給する道や、グループ会社から時々募集がかかる正社員や契約社員にチャレンジする手もあることを八重子は教えてくれた。
このままここで続けられれば、学校も近く、土地勘もあり、職場の人間関係もある程度できている分、安心感は何よりありがたい。
給与の面では希望より少し劣るが、フルタイムにすれば今よりは確実に増え、社会保険や多少の福利厚生も受けられる。住む場所だけ探せばいい。
どの道、裕福なスタートなんて切れないことが確実ならば、まずは借金をせずに生きていけるギリギリであればいいのではないか。そこから工夫をして節約したり、ダブルワーク、上を目指す気になればそれも可能なのだ。
母娘2人の新生活を始めるにあたって、やらなければいけないこと、考えるべきことがあれもこれもありすぎ、張り詰めていた美紗子の気持ちは、八重子のアドバイスで一気に道が開けて楽になり、新たな一歩を踏み出すことができた。
美紗子はアルバイトからフルタイムパートとして新たに働き始め、勤務態度の良さがすぐ評価され、パートリーダーとなるのに時間はかからなかった。
莉子が中学生となり、生意気盛りではあるものの、かなり手も離れて落ち着いてきた頃、副店長に昇格した八重子から契約社員募集の話を告げられた。適性試験と面接に合格すれば、晴れて契約社員となれる。
給与も待遇もさらに良くなるこのチャンスを美紗子は見事掴んだ。
それから美紗子は、長年勤めていたスーパーエブリイ白百合店からスーパー本部がある本社へ異動、主な仕事内容は事務職へ変わった。
とは言っても、白百合店と本社は電車2駅分の距離で、ヘルプを要する場合は助っ人として店舗へ出るという事務と現場を兼務するという条件であったため、八重子とは割と頻繁に会っていた。
そして3年前、オフィスビル新築で事務所は移設となり、美紗子の勤務先は最寄りのバス停から20分ほどのこの中核都市へ変わったのだ。
八重子が、待ち合わせの店の前で待つ美紗子に手を振って小走りに駆け寄ってきた。
「お疲れ。この前は楽しかったね!」
八重子は上着を脱ぎながら、一緒に行ったライブの興奮を思い出したかのように声が上擦っていた。
「付き合ってくれてありがとうございました。八重さんも沼にハマってきました?」
「私はあのライブ感?開放的な中で歌ったり踊ったり日頃のストレスをパーッと解き放って楽しめるあの状況にハマったのよ。美紗子ちゃんみたいに1人を一途に追いかけるのもいいけど、私は色んな人のライブに行って楽しみたいの。今度は私の行きたいライブも付き合ってよ」
「もちろん。じゃあ八重子さんが次狙っているやつを連絡下さい」
「そうね、わかったわ。ところで莉子ちゃんは仕事順調にやってる?うちのバカ息子は最近辞めようかなぁって情けないことぼやいて、こっちの気が滅入るわ」
「莉子はなんとかやってますけど…隼斗君、何かあったんじゃ?」
「ん〜…何か隼斗って、ちょこちょこ髪型変えるんだけど、ちょっとチャラ系っていうか、それを毎回上司にウダウダ言われるのがウザいって文句タラタラとね…あ、そうそう。それで思い出した。この前、白百合店にバイト希望の子が面接に来たんだけどさ。その子、なんと口ピアスなのよ!人懐こいのはいいんだけど、言葉遣いはなってないし、食品扱う仕事だから仕事中は外せるかって聞いたら、え〜…だって!!全く今の子はどうなってんのかしらね……」
八重子の止まらない弾丸トークで注文するタイミングを見失いそうになりながら、美紗子は相槌を打ちつつ、オーダーのパッドを八重子に向けてメニューを決めるよう促した。
八重子の話したい出来事は報告から愚痴に変わり、なかなか注文しない八重子に美紗子は可笑しさを堪えながら相槌を打ち続け、美紗子もめげることなく八重子へパッドを向けて注文を促した。
八重子の愚痴は発散され、お腹も満たされ、午後からのエネルギーをチャージして乗り込んだエレベーターがすぐに利用階に到着した。
「会議、がんばってくださいね。また連絡します」
美紗子が5階で先に降り、
「居眠りしないようにがんばるよ、またね!」
八重子は親指を上に立てたグッジョブポーズをしながら、エレベーターは閉まった。
3階から20階まで、百貨店グループ会社数社の本社がこのビルに集まっている。
会議を前にランチをしようと、この会議に店長代理で出席する予定の八重子から携帯にメッセージが入った。
数週間前に会ったばかりだが、八重子とビルの2階で待ち合わせる。
2階はレストランフロアとなっていて、このビルに勤務する社員だけではなく一般客も大勢利用するため常に賑わっている。
美紗子は3年ほど前からこのビルが勤務先となった。
近年、高層ビルが建ち並ぶ都会の中心ではなく、郊外や地方中枢都市に大手企業が本社を構えるスタイルが増え始め、このビルもその中核都市に新築され、散らばって事務所を構えていた百貨店グループ数社の中枢がこのビルに集約されたのだ。
定職を探していたあの15年前、なかなか美紗子の条件に合う職は見つからなかった。
小さい莉子のためにも勤務地は、新居がある白百合駅から通勤時間30分圏内が第一条件で、その他年齢、スキルを含め、シングルマザーの中途正社員はハードルが高かった。
いくら女性も働く時代とはいえ、身軽でなければいつの時代もハンデを背負う。
八重子も苦労して今の位置にたどりついたシングルマザーであったことを、美紗子が辞めるつもりでいる旨を打ち明けた時、初めて知った。
正社員を求めて全く未経験の職種に就くよりも、しばらくこのスーパーでフルタイム勤務のパートとして経験を積みながらパートリーダーとして昇給する道や、グループ会社から時々募集がかかる正社員や契約社員にチャレンジする手もあることを八重子は教えてくれた。
このままここで続けられれば、学校も近く、土地勘もあり、職場の人間関係もある程度できている分、安心感は何よりありがたい。
給与の面では希望より少し劣るが、フルタイムにすれば今よりは確実に増え、社会保険や多少の福利厚生も受けられる。住む場所だけ探せばいい。
どの道、裕福なスタートなんて切れないことが確実ならば、まずは借金をせずに生きていけるギリギリであればいいのではないか。そこから工夫をして節約したり、ダブルワーク、上を目指す気になればそれも可能なのだ。
母娘2人の新生活を始めるにあたって、やらなければいけないこと、考えるべきことがあれもこれもありすぎ、張り詰めていた美紗子の気持ちは、八重子のアドバイスで一気に道が開けて楽になり、新たな一歩を踏み出すことができた。
美紗子はアルバイトからフルタイムパートとして新たに働き始め、勤務態度の良さがすぐ評価され、パートリーダーとなるのに時間はかからなかった。
莉子が中学生となり、生意気盛りではあるものの、かなり手も離れて落ち着いてきた頃、副店長に昇格した八重子から契約社員募集の話を告げられた。適性試験と面接に合格すれば、晴れて契約社員となれる。
給与も待遇もさらに良くなるこのチャンスを美紗子は見事掴んだ。
それから美紗子は、長年勤めていたスーパーエブリイ白百合店からスーパー本部がある本社へ異動、主な仕事内容は事務職へ変わった。
とは言っても、白百合店と本社は電車2駅分の距離で、ヘルプを要する場合は助っ人として店舗へ出るという事務と現場を兼務するという条件であったため、八重子とは割と頻繁に会っていた。
そして3年前、オフィスビル新築で事務所は移設となり、美紗子の勤務先は最寄りのバス停から20分ほどのこの中核都市へ変わったのだ。
八重子が、待ち合わせの店の前で待つ美紗子に手を振って小走りに駆け寄ってきた。
「お疲れ。この前は楽しかったね!」
八重子は上着を脱ぎながら、一緒に行ったライブの興奮を思い出したかのように声が上擦っていた。
「付き合ってくれてありがとうございました。八重さんも沼にハマってきました?」
「私はあのライブ感?開放的な中で歌ったり踊ったり日頃のストレスをパーッと解き放って楽しめるあの状況にハマったのよ。美紗子ちゃんみたいに1人を一途に追いかけるのもいいけど、私は色んな人のライブに行って楽しみたいの。今度は私の行きたいライブも付き合ってよ」
「もちろん。じゃあ八重子さんが次狙っているやつを連絡下さい」
「そうね、わかったわ。ところで莉子ちゃんは仕事順調にやってる?うちのバカ息子は最近辞めようかなぁって情けないことぼやいて、こっちの気が滅入るわ」
「莉子はなんとかやってますけど…隼斗君、何かあったんじゃ?」
「ん〜…何か隼斗って、ちょこちょこ髪型変えるんだけど、ちょっとチャラ系っていうか、それを毎回上司にウダウダ言われるのがウザいって文句タラタラとね…あ、そうそう。それで思い出した。この前、白百合店にバイト希望の子が面接に来たんだけどさ。その子、なんと口ピアスなのよ!人懐こいのはいいんだけど、言葉遣いはなってないし、食品扱う仕事だから仕事中は外せるかって聞いたら、え〜…だって!!全く今の子はどうなってんのかしらね……」
八重子の止まらない弾丸トークで注文するタイミングを見失いそうになりながら、美紗子は相槌を打ちつつ、オーダーのパッドを八重子に向けてメニューを決めるよう促した。
八重子の話したい出来事は報告から愚痴に変わり、なかなか注文しない八重子に美紗子は可笑しさを堪えながら相槌を打ち続け、美紗子もめげることなく八重子へパッドを向けて注文を促した。
八重子の愚痴は発散され、お腹も満たされ、午後からのエネルギーをチャージして乗り込んだエレベーターがすぐに利用階に到着した。
「会議、がんばってくださいね。また連絡します」
美紗子が5階で先に降り、
「居眠りしないようにがんばるよ、またね!」
八重子は親指を上に立てたグッジョブポーズをしながら、エレベーターは閉まった。

