Someday 〜未来で逢いましょう〜

「行ってき〜」
社会人1年目の莉子が、バタバタとスニーカーを突っかけながら玄関ドアを開け、出ていく。
美紗子がいってらっしゃいを言い切る前に閉まったドアを見届け、慌ててベランダに回り込む。
「気をつけてよ!」
2階から叫ぶ美紗子に、160cmを超えた莉子が自転車に跨って片手を振りながら、まだ人の姿もまばらな朝の澄んだ空気の中を爆走していく。
今日、莉子は幼稚園の送迎バスの添乗当番であるため、いつもより1時間早い出勤だ。
幼稚園教諭になった莉子は、いつにも増してバタバタ急いで家をあとにした。
莉子の姿が見えなくなると、美紗子は身を翻し、迫る自分の出勤時間へ向けて猛スピードで支度を整える。
朝の弱い母子は毎朝それぞれ時間ギリギリまで寝、渋々起き出して美紗子は朝食・弁当の準備に取り掛かる。
自分は作りながら適当に朝食を済ませ、莉子の朝食と弁当が出来上がる頃莉子は起き出し、家の中は一気に忙しくなる。
娘に小さな洗面所をほぼ占領されるため、母はメイクとヘアセットをダイニングテーブルでする。
出かける直前にする歯磨きは、いつも洗面台の争奪戦となる。
莉子を見送った後、着替えを完了させ、指差し確認しながら家中の戸締まり消し忘れをチェック、鍵をかけて美紗子はバス停へと小走りに向かう。
この15年間、朝の支度風景は少しずつ変化してきたものの、この毎朝の慌ただしい日常は無事に続いてきた。

離婚直後、美紗子と莉子は小学校入学までの数カ月間、3人で暮らしていたアパートから電車で20分ほど離れたところにある実家で世話になった。
親の勝手な都合で、仲良くなった友達と離れ離れにし、新しい環境を押し付けることはしたくなかった美紗子は、莉子が仲良くしていた幼稚園のお友達と同じ小学校に通えるように、3人で住んでいた場所と同じ校区になる新居を探しつつ、働いていたスーパーを続けながら正社員の仕事も探していた。
スーパーエブリイ白百合店の副店長である高倉八重子は、美紗子より4つ年上の同じシングルマザーで、働き始めた当初から美紗子を気にかけてくれ、後に良き相談相手、大切な友人となった。
ちょうど美紗子の生活が困窮し始め、不穏な家庭内から逃げるように働き始めた時、当時まだ主任という立場だった八重子が、美紗子の指導係であった。
美紗子の現状を聞き、少しでも稼ぎたい美紗子の事情を汲んでシフト調節したり、急用時はすぐに対応してくれた。
莉子の不調時や行事以外は真面目にしっかり働く美紗子を、オールラウンドに働けるよう八重子が教えてくれたおかげで、どの部門で急な欠員が出ても対応できるようになり、離婚が成立した頃には、まわりからの信用も厚くなっていた。
しかし、このままバイトの給与で生活を成すには親子2人、自治体からの母子手当をあわせても、とても充分ではなかった。
経済力のない和也から慰謝料や養育費はもらえるあても将来的にもらえる保証もなく、そんなことを期待していても無駄に時間が過ぎるだけで、今は美紗子自身が稼ぎ出す選択肢しかない。
実家に身を寄せ、親子3代で暮らす選択も考えた。両親もそう提案してくれた。
莉子のためには淋しい思いをさせるより、身内がそばにいる環境でもよかったかもしれない。
親になった娘が、離婚したからとまた親に甘えて生きていく。困った時にはそれも間違ったことではないと思う。
これから残りの人生をゆったり生きていけるはずの、両親の穏やかな生活に、美紗子が離婚したことで余計な心配と面倒を増やし、水を差してしまったと美紗子は後ろめたく申し訳ないと思っていた。
年金生活を始めたばかりの両親に、自分達の生活を切り詰めさせて娘の生活の援助をさせるわけにはいかないし、してもらいたくない。
せめて両親が、自分達の亡き後の娘孫の生活を心配をしなくてもいいよう、自立した姿を見せていきたい。
何かあれば行き来できる距離で、時々可愛い孫の顔と娘の顔が見られるくらいがちょうどいい距離感だと美紗子は思った。
まずは正社員として雇ってもらえる職場を探し、見つかり次第白百合店を辞めるつもりでいることを八重子に打ち明けた。