Someday 〜未来で逢いましょう〜

翔太が会計をすませ、美紗子は丁寧にお礼をした。
「美紗子さんのホテルまで、こっちから歩いて行きません?」
カラカウア通り側の出口から外に出ると、翔太が海の方を指差し、砂浜づたいに歩き出す。
ここからホテルまではそんなに遠くない。
ゆっくり歩いても20分くらいで着いてしまうだろうか。
翔太の少し後ろをついて歩く。
「岩崎さん。私、岩崎さんにものすごく感謝してるんですよ」
「ん?大したおもてなしはしてないけど?」
「いえ、ここでのことだけじゃなくて…。私、離婚してから、これといった楽しみも持たずに子育てと仕事に必死だったんですけど…」
美紗子は、しばらくぶりの翔太のライブで、再びファンになり、そこから毎日が楽しく過ごせるようになったことを話した。
「私の人生を活き活きしたものに変えてくれた岩崎さんに、ここでもたくさんお世話になったことも含めて、お礼をちゃんと言いたくて…急にすみません。あっちの世界だったら絶対にこんなことあり得ないことなので」
「そうだとしたらそれはとても光栄だな。そういう言葉が曲作りの活力になるから。こちらこそありがとう」
翔太はひょこっと頭を下げて照れくさそうに笑った。
波の音が暗闇の中でザザァー…と響く。
「明日は何時出発なの?」
「朝の7時くらいにはホテルを出発する予定です」
「そっか…ここでもう少しだけ話せる?」
美紗子は喜んで頷き、翔太と砂浜に並んで足を投げ出して座った。
どちらからともなく、話題はお互いの離婚の話になり、半生を振り返るように語り合った。
「元々南の島に憧れていたから、住みたいとは思っていたよ。実際に結婚して子供が出来たってなると、あの当時の業界は厳しかったから、マスコミにさらされて家族を守れないって思ったんだ。だから、拠点を移せば守れるって単純に思ったんだけど、それが元妻を孤独にさせたんじゃないかと思う」
心が少し行き違っていると感じた時、すぐに修正をかけないと、行き違いやズレはどんどん拡がっていく。
「奥さんも最初から孤独だと思ってなかったはず。じゃなかったら、ハワイまでついて行かないですよ。暮らしていくうちに感じる違いが生まれたのかもしれないし…ほんの些細なことから亀裂は入ってしまうものですからね」
「南の島の穏やかな場所で暮らせてよかっただろ?っていう俺の傲慢を押し付けてたのかなって」
「相手が出したサインを見誤ったのかなぁって、自分自身を思い返す時ありますよね…。その土地の風土や習慣とか住民の人柄に自身が適合できるかどうかなんて、住んでみなきゃわからないし、岩崎さんのせいじゃないですよ」
「美紗子さん、優しいな」
翔太は力なく笑い、美紗子は首を左右に振る。
美紗子がかつての少女時代、翔太の結婚にショックを受けて熱が冷めるほど幼かった自分が、いろんな経験を経て、成長したと胸を張って言えるかどうかは自信がないが、相手の立場になって考えようとすることだけはできる。
「娘さんの成長をそばで見届けられないのは寂しいけど、奥さんや娘さんとの関係が悪くないなら、家族の形は変わっても関係は変わらない。岩崎さんがハワイに来てから出来た曲は、恋愛だけじゃなくて、家族とか友人への想いに当てはめられるような詩や曲調が多いじゃないですか。愛にあふれてるから、人を歌で感動させることができるんですよ、岩崎さんは」
翔太が決断したことを、奥さんが最終的に受け止められずに去ったことが翔太の傷跡になっていたのだろうか。
「最近、なかなか曲が出来るきっかけみたいなものが浮かんでこなくて、これから先やっていけるのか少し不安になってたんだ。そこにジョイントの話が来て、純粋に嬉しくて頑張ってるけど、今度はそれが終わった後のことを考えるようになって、また不安になり出したところに君が現れた」
美紗子は心の中で「大丈夫。あなたはこれからも素晴らしい曲を作って私たちに聴かせてくれるんだから」と、翔太に念を送るようにじっと見つめた。
「美紗子さんが何年後から飛んできたのかわからないけど、俺を探してくれたことが本当なら、俺は未来で何とかやっていけてるってことだよね」
美紗子は翔太を見てうんうんと頷き、通じたことに安心してにこりと微笑んだ。
「探したのは旅行のついでですけどね」
美紗子は肩をすくめておどけてみせる。
「言うな〜」翔太が笑う。
この笑顔もそろそろ見納めだ。
別れの時が近づいてくるのを美紗子は必死に気づなかい振りをして、星の降る空を見上げた。
帰りたくない。だけど、ここで断ち切らねば。
あがいても、楽しかった後に途方もない寂しさが待っていることは避けられない。
美紗子は心を決めて立ち上がり、翔太に改めて礼を言った。
「この数日間、本当にありがとうございました。逢えただけで嬉しかったのに、食事も夜景も一緒に出来る夢みたいな時間を過ごせて…怖かったけど勇気出して本当に来てよかった…」
翔太は立ち上がって急に美紗子の腕を取り、翔太の方へ引き寄せて抱きしめた。
「帰るなって言ったらどうなる?」
翔太の腕に包まれているという状況を美紗子は飲み込めず、硬直した身体で答えるのがやっとだった。
「え、え、あの…強制的に連れ帰らされます」
「ちゃんと君が帰れば、いつかは逢えるってことだよね?」
そうだけど…美紗子は帰ればすぐに20年後だが、翔太は20年後だとは知らずにここから20年だ。
いやその前に、一般庶民の美紗子と再び逢える日まで待つなんて、どこで?どうやって?いつか連絡を取れるように翔太にこの場で暗記をお願いすればいいのか…
ピーッピーッ
小さな音が頭に少しずつ響いてくる。警告音だ。
自分以外の人の体温を一定時間感知して鳴り始めたのだ。
過去人と体の関係を持つことは禁止だ。
本人以外の体温を一定時間感知すると、危険予知として警告音が発信される。
その音で美紗子は一気に現実へ引き戻された気がした。
美紗子は連絡先を翔太に伝えることをやめた。
「ハワイ」という神聖かつ自然が作り出した世界屈指のリゾート地であるこの場所と「時間旅行」という掛け算が、現世ではあり得ない奇跡の時間を作り出したのだ。
「ここから何年も何十年も憶えてるってことは意外と難しいことです。絶対に忘れないって思っても、人の記憶や思いは少しずつ薄れていくから…」
翔太が手を緩め、美紗子から少し離れた。
翔太はわかってくれたのだろうか。警告音は止んだ。
すると翔太は自分の首に付けていた青色のペンダントを外した。
ブルーオパールで作られたホヌのペンダントトップが本革の紐に通されたペンダントだ。
それを美紗子の首に付けた。
翔太のぬくもりがペンダントから伝わってくる。
ペンダントトップをそっと指で包み込み、美紗子の目から涙がこぼれ落ちた。
「こんな素敵なもの…嬉しいですけど、現世に戻ったら劣化しちゃう…」
美紗子の涙を翔太の指がそっとすくい上げる。
「俺はホヌのデザイン違いでもう一つ持ってるから、これは劣化しても君に持っててほしい。今は何があっても忘れたくないって心からそう思うから」
「何も残せなくてごめんなさい」
「描いた絵がある。サーフボードのトレーも貰ったし」
満点の星が降る空の下、もうすぐそこに見える美紗子の宿泊先のホテルまでほんの数十メートルの間だけ、自然に互いの手は繋がれていた。
警告音が再び鳴り始めた。
警告音は鳴り続けたまま無視し続けると音量のレベルは少しずつ上がって、頭痛を引き起こすほどになってくるはずだ。
でも離したくない翔太の大きな手。
溢れ出る涙を止められず、美紗子は翔太の手をそっと剥がすように離した。
そして、改めて翔太の目の前に立ち直して翔太を見上げた。
「そろそろ行きます。辛くなっちゃうからここでさよならです」
美紗子は一番大好きな40歳の翔太を目に焼き付けるように直視して微笑んだ。あの個展でサイン入りの複製画をもらった時のようにしっかりと直視して。
「さよなら」
翔太に背を向けて歩き出そうとした瞬間、翔太が後ろから美紗子を再び暖かい腕と胸で包みこんだ。
そして美紗子を振り向かせ、少し乱暴にも感じるくらい翔太は美紗子の唇に触れ、それは強さを増した。
美紗子は驚いて硬直したが、徐々に受け入れるように身体から力は抜け、翔太に身を任せるように寄りかかっていく。
美紗子の両頬を包んでいた翔太の両手が、美紗子の身体の輪郭を確認するように首から肩、腕へと降りてくる。
その手が腰の辺りにきた瞬間、警告音がさっきとは格段に違う音量で美紗子の頭に鳴り響いた。
苦痛で顔が歪みそうになるのをこらえ、美紗子は翔太の唇からそっと離れた。
美紗子は左右に首を振って翔太に終わりのサインを送る。
涙を拭い、手を小さく振って微笑んだ。
ちゃんと笑えているだろうか。
メイクも崩れて酷い顔かもしれないが、最後まで笑顔は貫きたい。
美紗子は、翔太の姿をギリギリまで視界に残しながら後退りするように歩き出し、やがて向きを変えてホテルのエントランスの中へと入って行った。