Someday 〜未来で逢いましょう〜

指定された約束のレストランには美紗子が先に着いた。
高級住宅街と呼ばれるエリア内に佇む由緒あるホテルの一階、海側にあるレストラン。
彼の名字を告げると、ウェイターは腕を伸ばして行く方向を示しながら、美紗子の少し先を歩いて席へと誘導していく。
砂浜にせり出すように作られたウッドデッキ調のオープンエアなテラス席が、何卓も海に向かってセットされ、その脇を通り過ぎると食い込むような木の軋む音が響く。
ウェイターは一番海に近い「Reserve」のプレートが置かれた席の前で止まり、白いイスを引いて美紗子が座るのを待つ。
少し緊張して軽めに腰を下ろし、小さなバッグはテーブル下のラックに入れた。
顔まわりの髪の毛を手ぐしで整える。
オレンジ色に染まりつつある砂浜では、帰り支度の人々が少しずつ去って行き、海辺には静けさがやってくる。
待ち合わせ時刻がサンセットタイムなのは翔太の計算なのだろう。
くすんだ青がオレンジに領域を奪われ、徐々に辺りの景色を完全なオレンジ色に染めていく。
心地いい緩い海風が時々美紗子を通り抜けていった。
先日のタンタラスのサンセットとは見る角度も距離感も違い、まわりに建物やさえぎるものがないせいもあるのか、太陽までの距離感が圧倒的に近く感じ、迫力がすごい。
太陽の輪郭がジリジリと滾りながら水平線へと近づいていく。
最後にまで、こんなサンセットが見られるなんて、この上ない幸せだ…両手で頬杖をつき、夕陽に見惚れていた。
「口開いてる」
笑いながら翔太が登場して椅子を引き、腰掛けた。
美紗子は咄嗟に口元を隠し、笑った。
「綺麗だな」
翔太が一言つぶやいて、真顔で夕陽を見つめていた。
美紗子は翔太越しに見たサンセットのこの景色に、何かデジャヴのような感覚を覚えた瞬間、シャンパングラスとシャンパンが運ばれてきた。
「飲める?勝手に頼んでたけど」
翔太は美紗子に聞きながらも、すでにもうグラスにシャンパンは注がれていた。
「強くないので、一杯だけ」
カチンっとグラスが触れ、チリチリと泡のはじける音を聞きながらひと口飲む。
翔太が予約したらしい、決められたコースの料理が一皿ずつテーブルに置かれる。
ここは高級イタリアンの店のようだ。
前菜の盛り合わせである海老のカクテルと一口カプレーゼ、真鯛と帆立のカルパッチョが、2人の目の前にそれぞれ置かれた。
3種それぞれが上質だと美紗子でもすぐわかるほど素材の鮮度や繊細で上品な味に、幸福感がじわりと湧いてくる。
「こっちに来てからの食事はどれも美味しかったけど、これは格別です。この雰囲気にも酔ってるかな、私…」
「よかった、気に入ってもらえて」
翔太が優しく微笑む。
「そういえば、岩崎さんとこの数日間で3回も一緒にご飯食べてる…」
「ほんとだ。仲良しじゃん、俺等」
翔太はふざけて笑う。
知り合いのように普通に話していること、サンセットを見ていること、美味しい食事、翔太と同じ時間を過ごしていること。
どれも幸せすぎる状況に自分が溶けてしまいそうだ。
「ほら、陽が沈み始めた」
翔太の声に海の方へ顔を上げると、そこには水平線へとその身をゆっくりと沈めていく太陽があった。
砂浜には、身を寄せ合ってそれを見届ける恋人同士が黒い影となって夕陽と重なり、1枚の写真のように美しく美紗子の目に映った。
その美しい光景に瞬間で目元が熱くなり、涙がこぼれてしまった。
慌てて落ちる涙を手で拭った。
「やだなぁ…歳を取ると何でもすぐ泣けてきちゃって」
涙を歳のせいにして誤魔化そうとした。
「美しいものを見て涙が出るのは、何かを自然から感じ取ったり、自分の内面にあるネガティブな部分が洗い流れたってことだって聞いたことがある。それを見た俺も何か目の前にかかっていた靄(もや)がクリアになったような気分だよ」
幸福感に包まれて夕陽を見ているせいなのか。
写真に収めて忘れたくない…
と、美紗子の脳が何かをマッチングさせてハッと目覚めさせた。
これだ。この景色だ。翔太の個展で非売だったあのサンセットの絵はこれだと確信した。
砂浜にせり出すように作られたレストランを取り囲むように、等間隔に植えられている背の高いヤシの間から見える画角と、夕焼けを見ながら何か語らっているように寄り添う恋人同士のふたつの影。

スープ、サラダとメインがたて続けにテーブルに運ばれた。

絶対にこの景色だと、美紗子は体中に鳥肌を立たせながら、震えそうな手で持ったナイフとフォークで、メインのタリアータをどうにか口まで運ぶ。
「ねぇ、1枚いいかな?」
ふいに翔太がデジカメを取り出した。
この時代の携帯電話に付随していたカメラは画質も粗く、高性能ではなかった。デジタルカメラが主流だった頃だ。
デジカメに詳しくないし、あまり記憶もないが、翔太の持っているカメラの型が古めだというのはなんとなくわかる。
翔太が店のスタッフを呼ぼうとして、美紗子は慌てて腕をつかみ止めた。
「あの…私は画像に映らないので、撮る店員さんが驚いてしまうと思うんです」
「え?何言ってるの?」
「前に言いましたよね、私は未来から来たって」
「冗談でしょ…?」
翔太は急いで美紗子にレンズを向け、言葉を失う。
チェックした画像に、美紗子はどこにもいない。
「信じてくれました?」
冷静に言う自分の言葉に、急激な淋しさがこみ上げてくる。
「この時代に存在しないものは残らないし、残せないんです。それは物でも人でもです」
翔太はしばらく黙り、気まずい空気が流れた。
幸せな気持ちになった分だけ、辛く悲しい気持ちに耐えなければならない。
「ちょっと待ってて」翔太はスッと席を立ち、店から出て行った。
冗談ではない、簡単には信じられないことを目の当たりすれば動揺するのは当たり前だ。
店員は、食後のコーヒーとデザートを美紗子のテーブルの前にだけ置き、戻らない翔太のイスをさりげなく直して、去っていった。
空は綺麗な薄紫に染まり、星たちがちらほらと灯り出した。
レストランを囲うように配置されたガーデントーチが灯り、各テーブルにも小さなキャンドルランタンが灯る。
目に映る何もかもが、ひとつひとついちいち綺麗で、また涙が出そうになる。
美紗子はコーヒーを一口飲んで心を静めた。
翔太が小走りに戻り、席に着いた。
翔太が戻ってきて、美紗子はホッとした。
手にはスケッチブックと鉛筆を持っている。
「写真に残らないなら書かせて」
個展を開くほどの腕前は承知済だが、肖像画…?と驚いて翔太を見たが、美紗子は言葉を返さず黙ったままでいた。
あの個展で肖像画は1枚もなかった。
翔太がどんなふうに人を描くのか想像もつかないが、描くためとはいえ、チラチラこちらを見られるのはとても照れる。
「未来はどうなっているの?」
翔太は未来への関心を直球でぶつけてきた。
「未来のことは…話せないんです」
「話すとどうなるの?」
「きっと現世で一生独房の中ですかね…?」
「そりゃキツイな…」
本当に信じてるのか、よくわからない無表情で返事をする。
「岩崎さん、本当に信じてます?」
「ん…まぁ…半信半疑な感じというのが正直なとこだけど、これまでの美紗子さんの不思議な感じはそのせいかって考えると納得できる気がする。…何年後から来たの?」
言ってもいいのか迷った。
言えば、いつ頃タイムトリップができるようになるのか大体の見当はついてしまうだろう。
「言わないでおきます。もし私が捕まることになったら、完全に岩崎さんに誘導尋問されたせいになりますよ」
美紗子が激しく笑うと翔太は怒った。
「あんまり表情変えないで。変な顔に描いちゃうよ」
翔太が怒って笑う。
こんな他愛もないやりとりが愛おしい。
この時間がずっと続けばいいのに。
会話が一瞬途切れ、紙と芯が擦れる音と、静まる空間に波の打ち寄せる音が同時に聞こえてくる。
「岩崎さん。実は私、岩崎さんのファンで…カイルアのどこかに岩崎さんがいるって知ってたんです。ただ、本当に見つけられるとは思わなかったんですけど、度を過ぎるような追っかけ行為を白状します。すみません」
翔太は手を動かし続けながら、美紗子を見た。
「すべては結果論だけど…見つけてくれなかったら、今の時間はなかったってことだよね。海に一人で、アクティビティ目的でもなさそうな恰好だったから、訳ありでちょっと危ない人じゃないかっていう第一印象だったけど」
翔太の視線は美紗子とスケッチブックを往復しながらそう言って笑い、美紗子もそれを聞いて激しく笑った。
あの時、翔太を見つけられなかったら…淡々とやりたかったをこなして、それなりに楽しく過ごしていただろうが、こんな幸せな時間を経験してしまっては、もはや平凡なハワイ旅行を想像できない。
「出来た」
翔太が美紗子を見ながら、スケッチブックをひっくり返し、出来上がった肖像画を見せた。
両肘をテーブルについて顔の前で両手の指を軽く絡ませ、こちら側に向かって微笑む自分。
自分がとても幸せそうに見える。
自分の絵で涙が出てくるなんて変な気持ちだ。
そして、恥ずかしいくらいに上手く出来過ぎている。
「良く誇張しすぎじゃないですか?」
さりげなく涙を拭いながら、冗談めかして言った。
「実物より良く描けてるでしょ?」
翔太は笑って、満足そうにスケッチブックの絵を見直し、静かに表紙を閉じた。