翌日は、宿泊ホテルのプライベートビーチで行われているサーフィン体験に午前中の参加を申し込んだ。
今日も快晴で、太陽の真下ではよく焼けそうだ。
レンタルウエットスーツに着替え、腕や首、足の先に日焼け止めを塗って、準備体操を始めた。
参加者は美紗子を入れて5人。若者ではなく、美紗子よりちょっと上くらいの、やはり経験しそびれた世代と思わしき日本人夫婦と、外国人カップルだった。
波打ち際でパドル方法のレクチャーを受けたあと、少し若そうな外国人カップル以外の日本人3人は、ボードに立つのが本日の目標として何度も浅瀬で海の中へ落ちた。
外国人カップルはあっという間にボードの上に立てるようになり、少し遠くまでパドリングをして小さな波に乗れるまでいっていた。
日本人組はボードの上で重たい子鹿のようだった。
ガタガタと不安定に揺れる両足は上半身が起き上がるのを待たずに塩っぱい水の中へといちいち落ちて沈む。
「やっぱり、身体がなかなかついていきませんね」
日本人組は疲弊して弱音ばかり吐いていたが、意外と諦めは悪い。
板の上に3秒立てたら目標達成としようと急に目標設定が変わり、妙な連帯感が生まれ始めた。
初老3人全員が新たな目標を達成すると、手を取り合って喜び、完全に当初の目標は変わっていたが、清々しい達成感に包まれた。
ひとときのサーフィン仲間となった夫婦と、
「楽しかったですね。いい旅を続けましょう」
そう挨拶をして別れた。
夫婦の後ろ姿を見送りながら、美紗子は2人が今も現世で元気に過ごしていることを願っていた。
美紗子は部屋に戻り、シャワーを浴びてスッキリした身体をベッドに投げ出した。
太陽の下で海に入り、思ったより体力を使ったのだろうか。心地良さに包まれ、いつしか眠りに落ちた。
ふと目を開け、ハッとする。
午後はフラの体験に参加しようと思っていた。
慌ててベッドのデジタル時計を見ると14:15を表示している。
まだ眠っていたい気持ちと、残っているやりたいことを消化しなければならないという使命感が脳の中で闘いだした。
身支度とメイクで部屋を出るのは15:00は過ぎる。
明日の滞在最終日を満喫するためにも、今日は疲れを取ってゆっくりすることに決めた。
16:00をまわる前に、夜を部屋でゆっくり過ごすため買い物に出た。
家族旅行の時も来たお気に入りのフレッシュジュースの店の前に着いた。この店のジュースの味が忘れられなかった。
莉子はここのオレンジジュースが大好きで、たくさん欲しがる莉子をなだめるのが大変だったことを思い出す。
日本でもミキサーにかけた果物ジュース屋さんを見かけて時に飲むけれど、この店を超えるものはこの20年間出会わなかった。
量も濃さも全然違うこの店にもう一度来たかった。
きっと現世では、この店のメニューの種類も豊富になって選ぶのに悩むのであろうと想像する。
ジュースの店と同じ並びの数軒先にあるステーキのテイクアウト専門店で、一番ボリュームの少ない6オンスのステーキプレートのテイクアウトを先に注文した。サラダも付いていて、一番小さいサイズでも美紗子が食べ切れるかどうかわからない。
昨日もお肉食べたのに…翔太のことが脳裏をかすめながらも、まだ満たさない自分の食欲が笑える。
それをピックアップしてから、ジュース屋さんで今回はパッションフルーツのスムージーを注文した。
渡されたスムージーはまだ硬く、ストローが動かない。
滑らかに飲めるまでには少し時間がかかりそうだ。
買った品物を両手に持ちながら、アスファルトのストリートを避け、オレンジに染まりかけている海辺側を歩く。
時折フワっと吹き上げる風が、背の高いヤシの葉を一斉に揺らし、美紗子の髪の先がくるくると口元をくすぐる。
翔太は忙しい1日だったのだろうか。
どんな流れで仕事が進むのか、美紗子には全く想像がつかない世界だ。
仕事の合間に景色を眺めたりするのだろうか。
日の入りまであと30分くらいなのか、辺りはどんどんオレンジ色に染まってくる。
この夕焼けを翔太も見ているだろうか。
昨日の今頃、過ごした時間が嘘のように、静かで穏やかな夕暮れを迎えている。
まだ沈まぬ太陽に、素敵な時間を過ごせていることを感謝した。
カイルアの絶景を目の前にした時も、美紗子のこれまでのいろんな出来事が走馬灯のように流れた。
今はこの夕陽を目の前に、カイルアから始まった予想外の旅が走馬灯のように流れる。
美紗子がやりたかったことを翔太がさらに素敵な時間に飾ってくれた。
翔太に会った瞬間から、自分の推しに本気で恋しそうになる自分を抑止するのは大変だった。
この旅が終われば、どんなに泣き叫んでも強制終了だ。
こんな歳になって、久しぶりに訪れた恋する気持ちは、特殊な旅だからこそ起きた奇跡なのだろう。
だから最終日の明日まで、そっと大事にしたい。
やっと沈み始めた太陽を見届けながら、緩くなったスムージーをひと口飲んだ。
美紗子はビーチサンダルをペタンペタン鳴らし、ホテルの部屋へ戻る。
部屋のテレビをつけ、適当に回したチャンネルからハワイアンミュージックが流れる番組を見つけ、音楽アプリのように流した。
小さくカットされた肉を頬張りながら、ガイドブックを眺める。
残っているやりたいことは、熱帯魚を見ながら泳ぐシュノーケリングだ。
家族旅行の時は、イルカに触れたり餌付け体験をし、カイルアでは砂遊びをメインに、海に浸かる程度しか海には入らなかった。
綺麗な小さな魚たちが細々と泳ぐ様子をただひたすら見ていたい。
肉体的に、太陽の下でウェットスーツやラッシュガードを着ても、老体の肌にはダメージしかない。
もう海で泳ぐことは、これが最後になるだろう。
ベランダの向こうはもう暗い。
窓を開けると心地良い風が通り抜ける。
ふと、聞き慣れない音がどこか近くで鳴っている。
耳を澄ませて部屋の中へ戻り、音のする方へ近づく。
ベッドのサイドテーブルに置いていた携帯電話だ。
心臓が突然激しく打ち始める。
恐る恐る通話ボタンを押した。
「美紗子さん?」
スピーカーから聞こえる期待通りの声が、嬉しいのに少し辛く感じる。
「よかった。ちゃんと帰る日を聞いてなかったから、もしかしてもう帰っちゃって、違う人が電話に出たらどうしようかと思ったよ」
「忙しいのではないですか?」
「昨日はすみません。きちんと挨拶もできずに…たまたま急に立て込んじゃって。いつ帰るんですか?」
「明後日の朝出発です」
「じゃあ…明日の夕方、もう一度逢えますか?」
昨日のまま現世へ帰ることができたら、いい思い出になった恋心に蓋を閉めることができると思った。
もう一度逢ったら、自分の気持ちが苦しさに変わってしまう。いや、もうすでに苦しいかもしれない。
もう苦しいなら、断ったところで意味がない。
正直には、逢いたい。
「はい」
「よかった。じゃあ明日…」
嬉しさと共に押し寄せる淋しさに、美紗子は胸を押さえた。
今日も快晴で、太陽の真下ではよく焼けそうだ。
レンタルウエットスーツに着替え、腕や首、足の先に日焼け止めを塗って、準備体操を始めた。
参加者は美紗子を入れて5人。若者ではなく、美紗子よりちょっと上くらいの、やはり経験しそびれた世代と思わしき日本人夫婦と、外国人カップルだった。
波打ち際でパドル方法のレクチャーを受けたあと、少し若そうな外国人カップル以外の日本人3人は、ボードに立つのが本日の目標として何度も浅瀬で海の中へ落ちた。
外国人カップルはあっという間にボードの上に立てるようになり、少し遠くまでパドリングをして小さな波に乗れるまでいっていた。
日本人組はボードの上で重たい子鹿のようだった。
ガタガタと不安定に揺れる両足は上半身が起き上がるのを待たずに塩っぱい水の中へといちいち落ちて沈む。
「やっぱり、身体がなかなかついていきませんね」
日本人組は疲弊して弱音ばかり吐いていたが、意外と諦めは悪い。
板の上に3秒立てたら目標達成としようと急に目標設定が変わり、妙な連帯感が生まれ始めた。
初老3人全員が新たな目標を達成すると、手を取り合って喜び、完全に当初の目標は変わっていたが、清々しい達成感に包まれた。
ひとときのサーフィン仲間となった夫婦と、
「楽しかったですね。いい旅を続けましょう」
そう挨拶をして別れた。
夫婦の後ろ姿を見送りながら、美紗子は2人が今も現世で元気に過ごしていることを願っていた。
美紗子は部屋に戻り、シャワーを浴びてスッキリした身体をベッドに投げ出した。
太陽の下で海に入り、思ったより体力を使ったのだろうか。心地良さに包まれ、いつしか眠りに落ちた。
ふと目を開け、ハッとする。
午後はフラの体験に参加しようと思っていた。
慌ててベッドのデジタル時計を見ると14:15を表示している。
まだ眠っていたい気持ちと、残っているやりたいことを消化しなければならないという使命感が脳の中で闘いだした。
身支度とメイクで部屋を出るのは15:00は過ぎる。
明日の滞在最終日を満喫するためにも、今日は疲れを取ってゆっくりすることに決めた。
16:00をまわる前に、夜を部屋でゆっくり過ごすため買い物に出た。
家族旅行の時も来たお気に入りのフレッシュジュースの店の前に着いた。この店のジュースの味が忘れられなかった。
莉子はここのオレンジジュースが大好きで、たくさん欲しがる莉子をなだめるのが大変だったことを思い出す。
日本でもミキサーにかけた果物ジュース屋さんを見かけて時に飲むけれど、この店を超えるものはこの20年間出会わなかった。
量も濃さも全然違うこの店にもう一度来たかった。
きっと現世では、この店のメニューの種類も豊富になって選ぶのに悩むのであろうと想像する。
ジュースの店と同じ並びの数軒先にあるステーキのテイクアウト専門店で、一番ボリュームの少ない6オンスのステーキプレートのテイクアウトを先に注文した。サラダも付いていて、一番小さいサイズでも美紗子が食べ切れるかどうかわからない。
昨日もお肉食べたのに…翔太のことが脳裏をかすめながらも、まだ満たさない自分の食欲が笑える。
それをピックアップしてから、ジュース屋さんで今回はパッションフルーツのスムージーを注文した。
渡されたスムージーはまだ硬く、ストローが動かない。
滑らかに飲めるまでには少し時間がかかりそうだ。
買った品物を両手に持ちながら、アスファルトのストリートを避け、オレンジに染まりかけている海辺側を歩く。
時折フワっと吹き上げる風が、背の高いヤシの葉を一斉に揺らし、美紗子の髪の先がくるくると口元をくすぐる。
翔太は忙しい1日だったのだろうか。
どんな流れで仕事が進むのか、美紗子には全く想像がつかない世界だ。
仕事の合間に景色を眺めたりするのだろうか。
日の入りまであと30分くらいなのか、辺りはどんどんオレンジ色に染まってくる。
この夕焼けを翔太も見ているだろうか。
昨日の今頃、過ごした時間が嘘のように、静かで穏やかな夕暮れを迎えている。
まだ沈まぬ太陽に、素敵な時間を過ごせていることを感謝した。
カイルアの絶景を目の前にした時も、美紗子のこれまでのいろんな出来事が走馬灯のように流れた。
今はこの夕陽を目の前に、カイルアから始まった予想外の旅が走馬灯のように流れる。
美紗子がやりたかったことを翔太がさらに素敵な時間に飾ってくれた。
翔太に会った瞬間から、自分の推しに本気で恋しそうになる自分を抑止するのは大変だった。
この旅が終われば、どんなに泣き叫んでも強制終了だ。
こんな歳になって、久しぶりに訪れた恋する気持ちは、特殊な旅だからこそ起きた奇跡なのだろう。
だから最終日の明日まで、そっと大事にしたい。
やっと沈み始めた太陽を見届けながら、緩くなったスムージーをひと口飲んだ。
美紗子はビーチサンダルをペタンペタン鳴らし、ホテルの部屋へ戻る。
部屋のテレビをつけ、適当に回したチャンネルからハワイアンミュージックが流れる番組を見つけ、音楽アプリのように流した。
小さくカットされた肉を頬張りながら、ガイドブックを眺める。
残っているやりたいことは、熱帯魚を見ながら泳ぐシュノーケリングだ。
家族旅行の時は、イルカに触れたり餌付け体験をし、カイルアでは砂遊びをメインに、海に浸かる程度しか海には入らなかった。
綺麗な小さな魚たちが細々と泳ぐ様子をただひたすら見ていたい。
肉体的に、太陽の下でウェットスーツやラッシュガードを着ても、老体の肌にはダメージしかない。
もう海で泳ぐことは、これが最後になるだろう。
ベランダの向こうはもう暗い。
窓を開けると心地良い風が通り抜ける。
ふと、聞き慣れない音がどこか近くで鳴っている。
耳を澄ませて部屋の中へ戻り、音のする方へ近づく。
ベッドのサイドテーブルに置いていた携帯電話だ。
心臓が突然激しく打ち始める。
恐る恐る通話ボタンを押した。
「美紗子さん?」
スピーカーから聞こえる期待通りの声が、嬉しいのに少し辛く感じる。
「よかった。ちゃんと帰る日を聞いてなかったから、もしかしてもう帰っちゃって、違う人が電話に出たらどうしようかと思ったよ」
「忙しいのではないですか?」
「昨日はすみません。きちんと挨拶もできずに…たまたま急に立て込んじゃって。いつ帰るんですか?」
「明後日の朝出発です」
「じゃあ…明日の夕方、もう一度逢えますか?」
昨日のまま現世へ帰ることができたら、いい思い出になった恋心に蓋を閉めることができると思った。
もう一度逢ったら、自分の気持ちが苦しさに変わってしまう。いや、もうすでに苦しいかもしれない。
もう苦しいなら、断ったところで意味がない。
正直には、逢いたい。
「はい」
「よかった。じゃあ明日…」
嬉しさと共に押し寄せる淋しさに、美紗子は胸を押さえた。

