待ち合わせたホテルのロビーは、ディナータイムに入るせいか人々の往来も多く、館内に何気なく流れるハワイアンミュージックが心地良さを誘う。
翔太がホテルの出入口付近で美紗子を探すようにロビー内の左右を見渡しているのが見えた。
藍色のアロハシャツに白いパンツの爽やかなコーディネートで佇む翔太は、スタイルの良さも際立って、立っているだけで目立つ。
翔太の脇の方から、そうっとフレアタイトの白スカートに薄いイエローのカットソーを身に着けた美紗子が目立たぬように中腰で駆け寄り、翔太の視界に入ると会釈しながら目の前に立った。
「本日はお世話になります」
硬い美紗子の挨拶から、昨日見た青のスポーツトラックに乗り込み、ホテルの駐車場を出て、目的の場所へ向かう。
小高い丘に向かってなだらかにくねくねと確実に上へと進む。
「タンタラスは行ったことある?」
運転する翔太が美紗子に聞く。
「昔一度来たことありますけど、一緒に行った連れがこのカーブの道に酔ってしまった思い出しか記憶になくて」
家族旅行の時、サンセットクルージングからの夜景を見るツアーに申し込んだが、和也が船と山道で酔ってしまい、ずっと背中をさすっていた記憶しかない。
「そうなんだ。そりゃもったいない。なら、思い出の上書きしないと」
火山が噴火し、隆起してできたと言われるこの丘。
「ここは夜景が有名だけど、その前のサンセットが俺はハワイで一番だと思うんだよね」
明るいうちに登ってきた山道は、いろは坂のような激しいうねりが続く。
まだ道が混んでおらず、スムーズに山道を進んでいくが、酔わないように配慮してくれているのかゆっくりと優しい運転をしてくれているのがわかる。
駐車場から芝生のような丘に移動しながら、標高差で少し肌寒さを感じる。
降り立った丘から、自分の真後ろ以外はどこを向いても海と山々とハワイの街並みが目に飛び込んでくる。これだけでもう充分な絶景だ。
太陽は水平線のまだ少し上におり、オレンジを帯びて徐々に水面と距離を縮めていく。
翔太は左に見えるダイヤモンドヘッドよりもっと左の、昨日出会ったカイルア方面から右へ少しずつ指す指をずらし、街や地域を現地ガイドのように説明してくれた。
「やっぱりここは見渡せる範囲が広くていいな」
翔太は両手を腰に置いて、景色を見つめる。
「ほら、そろそろ沈むよ」
たぎっている太陽は、その熱さを冷やしていくかのよう徐々に海の中へ身を沈めていくようだ。
オレンジ色の強い光も徐々に弱まり、街やヤシを黒く染めていく。
引き込まれ過ぎて、言葉もなく陽が沈みきるまで見届けてしまった。
ふと、翔太の個展の絵を思い出した。
あれはどこのサンセットを描いたものだったのか。
間違いなくここではない。
距離感的に海辺から見たような画角だった。
ここが一番好きなサンセットの場所だと言ったけど、この後の20年で好きな場所が変わったのだろうか。
20年も経てばアップデートもされるか。
「どうかした?」
翔太は、しばし固まって動かない美紗子を心配そうに覗き込んだ。
「あ、あ…ごめんなさい。見惚れすぎちゃって」
「凍ったみたいに固まってたよ」
翔太は笑った。
太陽があった場所はあっという間に色を変え、藍紫のような色に空は包まれていた。
ぼんやりと街の明かりが浮き上がってくるように目立ち始める。
「このまま夜景も見ましょうか」
翔太の言葉に、時間を延長してもらえたような気分になり、密かに喜んだ。
翔太が、空いた芝生の上に腰を下ろした。
美紗子も一緒に腰を下ろし、履いていた白いスニーカーの紐を結び直しながら問いかけた。
「岩崎さんは日本に戻る予定はないんですか?」
「んー…今のところないかな」
「ジョイントも近くて忙しいのに、こんな一般人に時間を作っていただいてありがとうございます」
「こっちの人はね、のんびりだから日本みたいに打ち合わせ多くないし時間も短期集中だから」
翔太が急に美紗子の方に上半身を向けて聞く。
「美紗子さんはさ、見た感じ…俺と同い年くらい?」
美紗子はちょっと身構える。
「…全然年上です…48」
「え?ホントに??そう見えないけど…」
翔太は驚いて言葉を詰まらせた。
思ったより歳を食っているオバさんを前に、リアクションに困っているかもしれない。
実際は10歳もあなたが年上なんだけど…と笑いがこみ上げる。
それをごまかすように、「未来から来た48歳です」と、美紗子は半ば自虐的におどけてみせる。
「その設定好きだね。…っていうことは、俺の方が年上の可能性があるってことだ」
翔太の鋭さにドキッとして、美紗子の表情から一瞬笑顔が消えたのが自分でもわかった。
翔太の視線を横目で感じた。
それを振り切るように立ち上がると、そこには先程の景色からさらに色を変え、薄紫と藍のグラデーションの空に大量の宝石をばらまいて敷き詰めたような、煌めいた世界が拡がっていて息を呑んだ。
「綺麗…本当に綺麗…」
こんな絶景を観れたこと、それも憧れの人の隣で一緒に観ていること、昨日からの奇跡の連続。
勇気を出して時間旅行に来てよかった。
本当によかった。
ここで命を落としたとしても、何の悔いもない。
「あの…写真撮っていただけますか?」
美紗子は突然日本人観光客のカップルに声をかけられた。
周りの観光客もカメラに夜景を納めようとあちこちでシャッターを切る人々であふれている。
「いきますよー…ハイ、チーズ」
デジカメを渡され、煌めく夜景をバックにシャッターを切る。
「ありがとうございました。お二人はいいですか…?」
「あ…だ、大丈夫です。ありがとうございます」
会釈をして去っていくカップルを見送る。
そもそもカメラは持ってきていない。
ツーショットが撮れる絶好のチャンスだった。
20年前のデジカメを持っていたなら、持ち込むことはできた。それでもツーショットは撮れないが、翔太のことだけは撮れたはずだ。残念でならない。
現世に戻ったら、ファンクラブの要望意見欄に、ツーショットで写真を撮れるイベントを提案しようと思う。
「美紗子さんは、カメラ持ってきてないの?」
「はい…私は写らないから…あ、いや、心にしっかり記憶したんで上書き完了です」
翔太は何か言いたげな表情を浮かべる。
「カメラ持ってこない旅行ってなかなか珍しいけど…思い出の上書きができたならよかった。俺もここへは久々来れたよ。君に昨日出会わなかったら、忘れていたままだったかもしれない。なんかね、美紗子さんに見せたいってパッて閃いたんだ。何だろ…何でか気になるんだよ、あなたは。」
夜景に目を向けたまま翔太はつぶやいて美紗子の方を見た。
本当に逢えただけで奇跡の始まりだった。
それなのに、会話し、ご飯を食べ、一緒に出かけ、そんな言葉までもらえて…充分すぎる時間を昨日からもらい続けている。
きっと彼は未来から来たとおかしなことを言う自分がなんとなく気になっているだけだ。
どんどん欲が出て辛くなる前になんとか…
「美紗子さん、俺腹減ったから何か食べに行こう」
翔太がパーキングエリアに向かって歩き出した。
小走りに後ろを追いかけながら、美紗子の弱い意志は翔太に飲み込まれる。
辺りはすっかり暗さも深くなり、対向車線は大渋滞だ。
「美紗子さんは今日、夜は何食べようと思ってた?」
「Starって言う店でバーベキューしようかなと…」
「ああ、あそこか。人気だからなかなか簡単に入れないとこだよね。観光客も多いし」
うねる道を軽快に下り、美紗子の泊まるホテルを通過して、ワイキキの中心街カラカウア通りに入る手前を海側に右折した。
街は解放感あふれ、たくさんの人々で賑わう。
〈Star〉は、やはり入店待ちの人が店の前に数人いる。
翔太は迷わず店内に入り、店のスタッフと何やら話している。貫禄ある別の男性が出てきて話した後、翔太は美紗子を手招きし、どういうことか訳がわからぬまま店内へと入った。
店内の外にあるテラス席の一番端に通された。
店内とテラスのちょうど間くらいに2箇所、巨大鉄板が設置してある。
食べたい食材を注文し、自分で焼きに行って食べるスタイルの店なのだ。
ここのオーナーが翔太の音楽仲間で、本当は席がない場所に予備のテーブルとイスをセットして無理やり空けてくれたという翔太の解説だった。
「岩崎さんにはお世話になりっぱなしですね。何とお礼を申し上げたらいいのか…」
「使えるもんは使わないと」
さっそく注文した野菜や肉が運ばれ、2人は大きな鉄板の前に移動し、肉や野菜を焼く。
「美紗子さん、今日は昼間どこへ?」
「ノースショアのマーケットへ」
「おぉ!いいねぇ。ノースショアか…波乗りしたいなぁ」
「聖地で波乗りしてる人達見て、初サーフィン体験しようと思ってます。」
「新しいことにチャレンジ、いいね」
一度でいいからやってみたかった。年齢的にもこの機会を逃したらやることはないだろうと思った。
「で、何か買ったの?」
「Tシャツとお土産の雑貨と…あとは娘に真珠のアクセサリーを」
「娘さん、いるんだ」
「はい、一人娘で」
「俺と一緒だね。幾つ?」
「22です」
「成人されてるの?そんな大きなお子さんいるなんてとても見えない」
最高の褒め言葉に涙が出そうになる。
「岩崎さんの娘さんは?」
「今年14歳かな?今はカナダにいるから」
「そうなんですね…すみません、離婚されたのは知ってました。私もバツイチで。」
「そうなの?仲間じゃん」
「あはは…仲間ですね。娘さんとは会えてますか?」
「ちょいちょい遊びに来てるかな」
「ならよかった」
食材を焼き終え、皿にのせて盛り付けをしてテーブルに戻る。
美紗子は厚いヒレ肉をミディアムレアに焼き、大きめに切りわけ、頬張る。
柔らかい。肉々しい。美味しい。
20年前、これが食べたかった。
味わいながら感じる幸せ。しかもそれを憧れの人と食べている。
「美紗子さんは幸せそうに食べるね」
「はい、20年越しのリベンジなので嬉しくて…」
「20年越し…?ここは俺が来てしばらくしてから出来た店だったと思うけど…」
「あ…あれ…?思い違いかな?計算間違った?…」
やらかした。やってしまった。計算違いで押し通そう。
激しい動悸を感じながら黙って食べ続けた。
急に店のフロント付近がザワザワし始めた。
「何か始まる…?」
翔太はニヤっと笑いながら指笛を鳴らした。
すると、フロント前に3人のフラガールが駆け足で登場し、軽快なハワイアンミュージックが流れ出し、それに合わせて踊りだすフラガール達。
しなやかで上品さを感じさせる手の動きに反して、速いテンポで次々に振りが変わる下半身の速い動きを感じさせず、笑顔も絶やさない。
フワフワ揺れるフラスカートがとても可愛らしい。
「パーリーシェル」という曲で〈真珠貝よりもあなたを愛する〉という内容の歌詞だ。
1曲目が終わると店内の客から拍手や指笛を一斉に受け、彼女達は胸に手を当て、膝を軽く曲げて挨拶をする。
翔太が素早く耳打ちで曲名や解説をしてくれた。
2曲目の「アロハ・オエ」は先程とは打って変わり、ゆっくりとした曲調で、一度は耳にしたことがある物憂げな印象の曲だ。
曲は聴いたことがあるが、愛する人との別れを綴った内容だと、やはり翔太が補足してくれた。
彼女達の表情や振りで哀しさが伝わってくるようだ。
美紗子は、本場のフラダンスを観るのは初めてだ。
いいかもしれない。これをやりたいと思った。
現世に戻ったら、さっそく教室を探そうと決めた。
「この店はね、時々不定期にこうしてゲリライベントをやるんだ。フラだったりバンドライブだったり色々あるんだよ。俺も何度かここで歌ったんだ」
フラガール達は拍手で見送られ、店内はまた食材を焼く音や人々の笑い声に包まれた。
店内は食材を焼く煙が充満し、室温は外より暑そうだ。テラスには海から吹いてくる風が流れ、美紗子の身体を包みこんで鎮めるようだ。
お腹も満たされ、落ち着いた。
美しいサンセットと夜景、来たかった店にも来れたし、フラまで見ることが出来た。
ここに来てからほとんどが翔太のおかげだ。
少しお世話になり過ぎた。どんどん自分が翔太に期待してしまいそうになる。
明後日にはここを離れる。ここで断ち切らねば。
「岩崎さん。私昨日からお世話になり過ぎました。私のような一般人に時間を使わせてしまって申し訳ありません。何もお返しができなくて心苦しいんですけど、こんなおもちゃですが、これ…」
昼間、ノースショアで買ったサーフボード型のトレイをバッグから出し、渡した。
「可愛いね…ありがとう。何入れようかな…」
翔太は微笑んで美紗子を見、美紗子は頷いた。
「久しぶりに仕事以外で楽しかったなって思えました。美紗子さんが不思議で面白くて気になっちゃって…色々連れ回してすみません」
現世でこんなことを言われたら、どうしようもなく好きになって離れられなくなってしまう。
過去の世界だから。それで気持ちを踏み留まらせないと。
「昨日から岩崎さんに刺激をもらうことが多くて…またやりたいことが増えました」
「え?何を…」
その時突然、翔太の携帯電話が鳴った。
「ちょっとごめん」
背を向けてフロントの方へ離れていった。
店を出る支度をし、通りがかったスタッフにテーブルチェックを促した。
店を出ると、ちょうど翔太が電話を終えて戻ろうとしていた。
翔太は驚いて
「女性に会計させるなんて申し訳ないことしました」
と恐縮した。
「とんでもありません。私の方こそ、岩崎さんの貴重な時間を私に使っていただいたので、せめてものお礼をさせてください。本当にありがとうございました。」
「あの…」
翔太が何か言おうとした途端、また電話の着信音が鳴る。
「私なら大丈夫。ホテルすぐそこだし、腹ごなしに歩きますから。じゃ」
早口で言いながら手を振り、美紗子は強引にその場を離れた。
電話が入ってくれて好都合だ。そうでもしなければ別れを惜しみ過ぎて自分が辛くなる。
美紗子は、満足感と幸福感を胸に、夜空を仰ぎ見ながらホテルまで歩いた。
街にはまだまだ楽しみ足りない人々が何かを求め、夜の街を探し歩いている。
人々の笑い声や、どこからか聞こえてくるハワイアンミュージックを背中に、夢のようなひとときを振り返りながら、美紗子はホテルのエントランスをくぐった。
翔太がホテルの出入口付近で美紗子を探すようにロビー内の左右を見渡しているのが見えた。
藍色のアロハシャツに白いパンツの爽やかなコーディネートで佇む翔太は、スタイルの良さも際立って、立っているだけで目立つ。
翔太の脇の方から、そうっとフレアタイトの白スカートに薄いイエローのカットソーを身に着けた美紗子が目立たぬように中腰で駆け寄り、翔太の視界に入ると会釈しながら目の前に立った。
「本日はお世話になります」
硬い美紗子の挨拶から、昨日見た青のスポーツトラックに乗り込み、ホテルの駐車場を出て、目的の場所へ向かう。
小高い丘に向かってなだらかにくねくねと確実に上へと進む。
「タンタラスは行ったことある?」
運転する翔太が美紗子に聞く。
「昔一度来たことありますけど、一緒に行った連れがこのカーブの道に酔ってしまった思い出しか記憶になくて」
家族旅行の時、サンセットクルージングからの夜景を見るツアーに申し込んだが、和也が船と山道で酔ってしまい、ずっと背中をさすっていた記憶しかない。
「そうなんだ。そりゃもったいない。なら、思い出の上書きしないと」
火山が噴火し、隆起してできたと言われるこの丘。
「ここは夜景が有名だけど、その前のサンセットが俺はハワイで一番だと思うんだよね」
明るいうちに登ってきた山道は、いろは坂のような激しいうねりが続く。
まだ道が混んでおらず、スムーズに山道を進んでいくが、酔わないように配慮してくれているのかゆっくりと優しい運転をしてくれているのがわかる。
駐車場から芝生のような丘に移動しながら、標高差で少し肌寒さを感じる。
降り立った丘から、自分の真後ろ以外はどこを向いても海と山々とハワイの街並みが目に飛び込んでくる。これだけでもう充分な絶景だ。
太陽は水平線のまだ少し上におり、オレンジを帯びて徐々に水面と距離を縮めていく。
翔太は左に見えるダイヤモンドヘッドよりもっと左の、昨日出会ったカイルア方面から右へ少しずつ指す指をずらし、街や地域を現地ガイドのように説明してくれた。
「やっぱりここは見渡せる範囲が広くていいな」
翔太は両手を腰に置いて、景色を見つめる。
「ほら、そろそろ沈むよ」
たぎっている太陽は、その熱さを冷やしていくかのよう徐々に海の中へ身を沈めていくようだ。
オレンジ色の強い光も徐々に弱まり、街やヤシを黒く染めていく。
引き込まれ過ぎて、言葉もなく陽が沈みきるまで見届けてしまった。
ふと、翔太の個展の絵を思い出した。
あれはどこのサンセットを描いたものだったのか。
間違いなくここではない。
距離感的に海辺から見たような画角だった。
ここが一番好きなサンセットの場所だと言ったけど、この後の20年で好きな場所が変わったのだろうか。
20年も経てばアップデートもされるか。
「どうかした?」
翔太は、しばし固まって動かない美紗子を心配そうに覗き込んだ。
「あ、あ…ごめんなさい。見惚れすぎちゃって」
「凍ったみたいに固まってたよ」
翔太は笑った。
太陽があった場所はあっという間に色を変え、藍紫のような色に空は包まれていた。
ぼんやりと街の明かりが浮き上がってくるように目立ち始める。
「このまま夜景も見ましょうか」
翔太の言葉に、時間を延長してもらえたような気分になり、密かに喜んだ。
翔太が、空いた芝生の上に腰を下ろした。
美紗子も一緒に腰を下ろし、履いていた白いスニーカーの紐を結び直しながら問いかけた。
「岩崎さんは日本に戻る予定はないんですか?」
「んー…今のところないかな」
「ジョイントも近くて忙しいのに、こんな一般人に時間を作っていただいてありがとうございます」
「こっちの人はね、のんびりだから日本みたいに打ち合わせ多くないし時間も短期集中だから」
翔太が急に美紗子の方に上半身を向けて聞く。
「美紗子さんはさ、見た感じ…俺と同い年くらい?」
美紗子はちょっと身構える。
「…全然年上です…48」
「え?ホントに??そう見えないけど…」
翔太は驚いて言葉を詰まらせた。
思ったより歳を食っているオバさんを前に、リアクションに困っているかもしれない。
実際は10歳もあなたが年上なんだけど…と笑いがこみ上げる。
それをごまかすように、「未来から来た48歳です」と、美紗子は半ば自虐的におどけてみせる。
「その設定好きだね。…っていうことは、俺の方が年上の可能性があるってことだ」
翔太の鋭さにドキッとして、美紗子の表情から一瞬笑顔が消えたのが自分でもわかった。
翔太の視線を横目で感じた。
それを振り切るように立ち上がると、そこには先程の景色からさらに色を変え、薄紫と藍のグラデーションの空に大量の宝石をばらまいて敷き詰めたような、煌めいた世界が拡がっていて息を呑んだ。
「綺麗…本当に綺麗…」
こんな絶景を観れたこと、それも憧れの人の隣で一緒に観ていること、昨日からの奇跡の連続。
勇気を出して時間旅行に来てよかった。
本当によかった。
ここで命を落としたとしても、何の悔いもない。
「あの…写真撮っていただけますか?」
美紗子は突然日本人観光客のカップルに声をかけられた。
周りの観光客もカメラに夜景を納めようとあちこちでシャッターを切る人々であふれている。
「いきますよー…ハイ、チーズ」
デジカメを渡され、煌めく夜景をバックにシャッターを切る。
「ありがとうございました。お二人はいいですか…?」
「あ…だ、大丈夫です。ありがとうございます」
会釈をして去っていくカップルを見送る。
そもそもカメラは持ってきていない。
ツーショットが撮れる絶好のチャンスだった。
20年前のデジカメを持っていたなら、持ち込むことはできた。それでもツーショットは撮れないが、翔太のことだけは撮れたはずだ。残念でならない。
現世に戻ったら、ファンクラブの要望意見欄に、ツーショットで写真を撮れるイベントを提案しようと思う。
「美紗子さんは、カメラ持ってきてないの?」
「はい…私は写らないから…あ、いや、心にしっかり記憶したんで上書き完了です」
翔太は何か言いたげな表情を浮かべる。
「カメラ持ってこない旅行ってなかなか珍しいけど…思い出の上書きができたならよかった。俺もここへは久々来れたよ。君に昨日出会わなかったら、忘れていたままだったかもしれない。なんかね、美紗子さんに見せたいってパッて閃いたんだ。何だろ…何でか気になるんだよ、あなたは。」
夜景に目を向けたまま翔太はつぶやいて美紗子の方を見た。
本当に逢えただけで奇跡の始まりだった。
それなのに、会話し、ご飯を食べ、一緒に出かけ、そんな言葉までもらえて…充分すぎる時間を昨日からもらい続けている。
きっと彼は未来から来たとおかしなことを言う自分がなんとなく気になっているだけだ。
どんどん欲が出て辛くなる前になんとか…
「美紗子さん、俺腹減ったから何か食べに行こう」
翔太がパーキングエリアに向かって歩き出した。
小走りに後ろを追いかけながら、美紗子の弱い意志は翔太に飲み込まれる。
辺りはすっかり暗さも深くなり、対向車線は大渋滞だ。
「美紗子さんは今日、夜は何食べようと思ってた?」
「Starって言う店でバーベキューしようかなと…」
「ああ、あそこか。人気だからなかなか簡単に入れないとこだよね。観光客も多いし」
うねる道を軽快に下り、美紗子の泊まるホテルを通過して、ワイキキの中心街カラカウア通りに入る手前を海側に右折した。
街は解放感あふれ、たくさんの人々で賑わう。
〈Star〉は、やはり入店待ちの人が店の前に数人いる。
翔太は迷わず店内に入り、店のスタッフと何やら話している。貫禄ある別の男性が出てきて話した後、翔太は美紗子を手招きし、どういうことか訳がわからぬまま店内へと入った。
店内の外にあるテラス席の一番端に通された。
店内とテラスのちょうど間くらいに2箇所、巨大鉄板が設置してある。
食べたい食材を注文し、自分で焼きに行って食べるスタイルの店なのだ。
ここのオーナーが翔太の音楽仲間で、本当は席がない場所に予備のテーブルとイスをセットして無理やり空けてくれたという翔太の解説だった。
「岩崎さんにはお世話になりっぱなしですね。何とお礼を申し上げたらいいのか…」
「使えるもんは使わないと」
さっそく注文した野菜や肉が運ばれ、2人は大きな鉄板の前に移動し、肉や野菜を焼く。
「美紗子さん、今日は昼間どこへ?」
「ノースショアのマーケットへ」
「おぉ!いいねぇ。ノースショアか…波乗りしたいなぁ」
「聖地で波乗りしてる人達見て、初サーフィン体験しようと思ってます。」
「新しいことにチャレンジ、いいね」
一度でいいからやってみたかった。年齢的にもこの機会を逃したらやることはないだろうと思った。
「で、何か買ったの?」
「Tシャツとお土産の雑貨と…あとは娘に真珠のアクセサリーを」
「娘さん、いるんだ」
「はい、一人娘で」
「俺と一緒だね。幾つ?」
「22です」
「成人されてるの?そんな大きなお子さんいるなんてとても見えない」
最高の褒め言葉に涙が出そうになる。
「岩崎さんの娘さんは?」
「今年14歳かな?今はカナダにいるから」
「そうなんですね…すみません、離婚されたのは知ってました。私もバツイチで。」
「そうなの?仲間じゃん」
「あはは…仲間ですね。娘さんとは会えてますか?」
「ちょいちょい遊びに来てるかな」
「ならよかった」
食材を焼き終え、皿にのせて盛り付けをしてテーブルに戻る。
美紗子は厚いヒレ肉をミディアムレアに焼き、大きめに切りわけ、頬張る。
柔らかい。肉々しい。美味しい。
20年前、これが食べたかった。
味わいながら感じる幸せ。しかもそれを憧れの人と食べている。
「美紗子さんは幸せそうに食べるね」
「はい、20年越しのリベンジなので嬉しくて…」
「20年越し…?ここは俺が来てしばらくしてから出来た店だったと思うけど…」
「あ…あれ…?思い違いかな?計算間違った?…」
やらかした。やってしまった。計算違いで押し通そう。
激しい動悸を感じながら黙って食べ続けた。
急に店のフロント付近がザワザワし始めた。
「何か始まる…?」
翔太はニヤっと笑いながら指笛を鳴らした。
すると、フロント前に3人のフラガールが駆け足で登場し、軽快なハワイアンミュージックが流れ出し、それに合わせて踊りだすフラガール達。
しなやかで上品さを感じさせる手の動きに反して、速いテンポで次々に振りが変わる下半身の速い動きを感じさせず、笑顔も絶やさない。
フワフワ揺れるフラスカートがとても可愛らしい。
「パーリーシェル」という曲で〈真珠貝よりもあなたを愛する〉という内容の歌詞だ。
1曲目が終わると店内の客から拍手や指笛を一斉に受け、彼女達は胸に手を当て、膝を軽く曲げて挨拶をする。
翔太が素早く耳打ちで曲名や解説をしてくれた。
2曲目の「アロハ・オエ」は先程とは打って変わり、ゆっくりとした曲調で、一度は耳にしたことがある物憂げな印象の曲だ。
曲は聴いたことがあるが、愛する人との別れを綴った内容だと、やはり翔太が補足してくれた。
彼女達の表情や振りで哀しさが伝わってくるようだ。
美紗子は、本場のフラダンスを観るのは初めてだ。
いいかもしれない。これをやりたいと思った。
現世に戻ったら、さっそく教室を探そうと決めた。
「この店はね、時々不定期にこうしてゲリライベントをやるんだ。フラだったりバンドライブだったり色々あるんだよ。俺も何度かここで歌ったんだ」
フラガール達は拍手で見送られ、店内はまた食材を焼く音や人々の笑い声に包まれた。
店内は食材を焼く煙が充満し、室温は外より暑そうだ。テラスには海から吹いてくる風が流れ、美紗子の身体を包みこんで鎮めるようだ。
お腹も満たされ、落ち着いた。
美しいサンセットと夜景、来たかった店にも来れたし、フラまで見ることが出来た。
ここに来てからほとんどが翔太のおかげだ。
少しお世話になり過ぎた。どんどん自分が翔太に期待してしまいそうになる。
明後日にはここを離れる。ここで断ち切らねば。
「岩崎さん。私昨日からお世話になり過ぎました。私のような一般人に時間を使わせてしまって申し訳ありません。何もお返しができなくて心苦しいんですけど、こんなおもちゃですが、これ…」
昼間、ノースショアで買ったサーフボード型のトレイをバッグから出し、渡した。
「可愛いね…ありがとう。何入れようかな…」
翔太は微笑んで美紗子を見、美紗子は頷いた。
「久しぶりに仕事以外で楽しかったなって思えました。美紗子さんが不思議で面白くて気になっちゃって…色々連れ回してすみません」
現世でこんなことを言われたら、どうしようもなく好きになって離れられなくなってしまう。
過去の世界だから。それで気持ちを踏み留まらせないと。
「昨日から岩崎さんに刺激をもらうことが多くて…またやりたいことが増えました」
「え?何を…」
その時突然、翔太の携帯電話が鳴った。
「ちょっとごめん」
背を向けてフロントの方へ離れていった。
店を出る支度をし、通りがかったスタッフにテーブルチェックを促した。
店を出ると、ちょうど翔太が電話を終えて戻ろうとしていた。
翔太は驚いて
「女性に会計させるなんて申し訳ないことしました」
と恐縮した。
「とんでもありません。私の方こそ、岩崎さんの貴重な時間を私に使っていただいたので、せめてものお礼をさせてください。本当にありがとうございました。」
「あの…」
翔太が何か言おうとした途端、また電話の着信音が鳴る。
「私なら大丈夫。ホテルすぐそこだし、腹ごなしに歩きますから。じゃ」
早口で言いながら手を振り、美紗子は強引にその場を離れた。
電話が入ってくれて好都合だ。そうでもしなければ別れを惜しみ過ぎて自分が辛くなる。
美紗子は、満足感と幸福感を胸に、夜空を仰ぎ見ながらホテルまで歩いた。
街にはまだまだ楽しみ足りない人々が何かを求め、夜の街を探し歩いている。
人々の笑い声や、どこからか聞こえてくるハワイアンミュージックを背中に、夢のようなひとときを振り返りながら、美紗子はホテルのエントランスをくぐった。

