20XX年10月12日AM10:00
カイルアビーチにて
バックナンバーの内容が本当のことを書いているなら、今日、このビーチのどこかに翔太はいるはずだ。
この広いビーチのどこかに…
美紗子が逢いたい40歳の翔太が、日記形式で書いた会報の見開き2ページにわたり、カイルアの砂浜で演奏予定の数曲を練習したというのを読んだ。
自身の結婚を機にハワイ在住となって十数年経った翔太が、現地出身の「モアナメレ」というバンドとジョイントライブをすることになった。
翔太は彼らの大ファンであり、ジョイントライブまでの数カ月間、自分の気持ちや仕上がり具合を写真と共に会報に紹介していた。
美紗子にとっても思い出深いビーチであるカイルアに、翔太が練習をしに来ていたと知って親近感がより湧いて、何度も読み返したページだった。
【20年前のハワイ旅行】での過ごし方は、飛行機という名のタイムマシンの中でシュミレーションしてきた。
早朝、空港へ着いたあと、チェックインを済ませてカイルアビーチへバスを使って向かう。
空港に着いてしまえば、後は普通の旅行とさほど変わりはない。
ただ、そこに幾つかあるルールを遵守すれば。
会報の内容が大方事実であれば、10時前にはビーチに到着していたほうがいい。
翔太に会えるとしたらここしかチャンスはない。だから一番最初にここカイルアへ来るように日程を決めた。
正午までに翔太を見つけられなければ、遭遇する可能性はほぼゼロに等しいだろう。
会報には景色などの位置や場所を示す手がかりは映っていなかったし、広大な海岸線づたいに歩きながら彼を探すなんて、自分でも無茶苦茶だと思う。
でも、やるだけのことをやり、結果無駄足だったとしても、最初に済ませて諦めがつけば、あとは思い出を辿って観光したり、あの当時行けなかった場所や店に行って、20年前の心残りを回収するだけ。楽しむことは充分出来る。
もし翔太に会えたならラッキー。
若い翔太に声をかけ、握手を求めよう。
会えなければ、この辺りを散歩したり食べ歩いたり、ショッピングする。当時はこの海で遊んだだけで、散策や買い物は出来なかった。
そして、陽が落ちてゆくカイルアの水平線を目に焼き付けて帰ろう。
20年前旅行した時、気合を入れて人気有名モデルが教えるハワイのガイドブックを買った。魅力的な店の数々を紹介していたのに、ほぼ活用しきれず終わってしまった。
捨てられずに取っておいていたそのガイドブックを今回持ってきた。再び役に立つ時が来るとは思わなかった。
行きたかったステーキハウスは、惜しまれて数年前に店を閉めたと聞いた。半屋外のようなバーベキュースタイルで、注文した具材を自分で焼く鉄板焼の店だった。
当時は莉子がまだ小さくて危ないと、諦めた店の一つだった。時間旅行の有効的な点。
行きたかったのに店が無くなってしまったり、無くなったあの店の味をもう一度味わいたい時に使えることだ。
遠くて行けなかったノースショアで、行きたかったTシャツ屋さんや、本家シェイブアイス屋。
トロリーバスと徒歩でなんとか行けそうな、ロコ御用達のマラサダを売る店…
現在のハワイでまだ存在しているのかは定かではないが、あの時諦めた数々の店。全部行ってやろう。
古いガイドブックをめくりながら、気分は28歳の自分だ。
翔太のライブに久々に行ったあの時の以来のワクワク感に似ている。
握手会の時は、ワクワクというよりドキドキだったな。
翔太にはきっと会えないだろう。
会えなくてもその後に楽しみはたくさんある。
そう思うからこんなに落ち着いていられるのだろうか。
過去を知っている未来人が、会えるかもしれない場所に行って本当に会えるのかというスリルを、自らが作り出したオプションとして楽しもうとしているだけなのだ。
白と青の配色が、美紗子の目から見える限りどこまでも続くビーチ。
一点のくすみもない青空。
太陽に熱せられ、反射して眩しい白い砂は、ビーチサンダルの薄い靴底からも熱を感じるほどだ。
時折吹く風は爽やかに体を通り抜ける。
気が遠くなりそうな自分の計画の無謀さに挫けそうになりながらも、カイルアビーチと呼ばれるエリアの南から北上するようにスタートし、砂に何度も足を取られながら美紗子は歩き出した。
人はあまりいない。
遠く波の上でボードやサーフィンをやる人達に目を向ける。あの中に…?いや、あの写真ではエメラルドグリーンのアロハシャツを着て、ギター片手に練習している風景だった。
楽譜が見切れていた。
波には乗っていないはず。
いやいや、練習の前にひと乗りしているかもしれない。
少し風が強くなり、椰子の木の葉がしなりだす。
ぽつんぽつんと設置されているパラソルも頼りなく揺れる。
美紗子は砂浜のど真ん中を左右確認しながらゆっくりめに歩く。
急に吹く強めの風に煽られ、美紗子は被っていた麦わら帽子が飛ばされそうになるのを押さえ、もう片方の手で顔の前を自由に動く髪の毛を整える。
時々立ち止まり、ミネラルウォーターを青い空に向かって喉を鳴らしながら飲む。
清々しい青空の下で心地良い風が吹いて気持ちはいいが、太陽に少しずつエネルギーを奪われているような気がする。
どのくらい歩いただろう。腕時計を見ると、10時半を少し過ぎたくらいだ。1時間弱ぐらいはゆっくりと歩いたのだろうか。
少し休憩しよう。緑が生い茂る木陰に身を寄せた。
ここに向かう前、空港の近くにあったコンビニで買ったスパムおにぎりで軽く栄養補給した。
なんだか岩崎翔太を探しているとは思えない不思議な気分だ。
ただ、好きな場所を散歩してるような感覚でしかない。
本当にここが20年前なのかすら時々疑わしく感じてしまう。
でも確かに空港の到着ロビーにあった掲示板は20年前の西暦で10/12を表示していた。
木陰になっている白い砂浜に足を投げ出して寝そべり、両手を後頭部の下で組んで空を見上げる。
美紗子の真上には、ヤシの葉がちょうど日差しのように垂れかかって大きく左右に揺れ、その隙間から真っ青な空が見え隠れする。
このまま眠ったらどんなにか気持ちいいだろう。
朝早かったのと、太陽の下でエネルギーを消耗しているせいか睡魔が襲ってきそうだ。
莉子はどうしてるだろうか。1人を満喫しているだろうか。莉子や和也のことが頭をよぎると罪悪感が湧き上がってきてしまう。
考え始めたら、いくらでも罪悪感と向き合ってしまう。
首を左右にブルブル振って払いのける。この旅行の間だけはやめよう。
美紗子はムクッと上半身を起こし、立ち上がって砂を払う。
再始動しないと、もう11時をとうに過ぎ、あっという間に昼になってしまう。木陰づたいに歩き出した。
歩き出してまもなく、突風が一瞬吹き抜け、白砂を巻き上げた。
「あぁもう…」
砂を被ってしまった服やカバンを叩いて払い、暴れた髪の毛を整えていると、斜め前にあった白い帆布の大きなパラソルが目に入った。
それは大きく揺れ、グラグラしている。中に人…?デッキチェアから足の先が少し見え、傍らに何か黒いケースのようなものがある。
倒れそうだな…近寄る途中、大きくパラソルが傾いた。「あ!」とっさに駆け寄り帆布を支える。
美紗子の急な声に持ち主が飛び起きた。
美紗子の身体は突如電池をひっこ抜かれたように停止、固まった。
「Thank you so…」
持ち主は美紗子を見て慌てて「ありがとうございます」と日本語で言い直し、軽く頭を下げた。
美紗子は固まったまま声が出ない。
翔太だ。紛れもなく40歳の岩崎翔太だ。
「支柱の掘りが甘かったな…」
パラソルが入っていたであろうカバーの中から小型のドリルを取り出し、より深く掘ってパラソルの支柱を刺した。
「これで大丈夫かな…すみません。助かりました」
爽やかな笑顔で帆布を支えたままの美紗子に礼を言う。
「いえ…」
翔太を探して歩いていたのに、本当に会えたことが予期せぬ事態に出くわしたかのように信じられず、美紗子はどうしたらいいのか、会ったらどうしようと思っていたのか思い出せず、真顔で二文字の言葉しか返すことができなかった。
翔太の動向を追いながら、握手を急に求めたらおかしいだろうか…?と躊躇していると、小さな突風がまた吹き上げ、今度はサイドテーブルの上に置いてあるデジカメをペーパーウェイト代わりにして少しズレて置かれていた紙が2、3枚ふわっと舞い上がった。
あ……美紗子は舞い上がる紙を追いかけ、砂に落ちた紙を拾う。
翔太の直筆で書かれたであろう楽譜だ。
手渡す瞬間、タイトルの横にある「moanamele」という文字に、「モアナメレ…」とつぶやきながら彼に渡す。
彼の顔がパッと明るい表情に変わり、
「知ってますか?」嬉しそうだ。
現代の翔太がライブでカバーをし、前回のライブでセットリストの中に2曲上がっていたのだ。
「2曲だけですけど」
あなたが唄ってて知ったのよと心の中でつぶやく。
彼はモアナメレについて溢れ出すように語り出す。
彼らの奏でる美しい音と曲に惹かれてしまうこと、歌詞の内容が優しいこと、来月ジョイントできることになったきっかけ…
モアナメレの3人組はこのカイルア出身で、この海を見ながら多くの曲を作っていたそうで、そのソウルをより感じるために最近よくここへ練習しに来ていると、活き活きとした表情で翔太は語る。少年のようだ。
あの翔太が目の前にいて、私だけに語りかけている。
ちょっと悪ぶった風のファッションで紙媒体を飾っていた40歳の翔太は、その尖り気味の服やアイテムを取り払うと、ただの好印象な無敵中青年だ。
そんな翔太を目の前に、美紗子は自分の女性ホルモンが絶好調に活発化しているのを感じる。身体が熱い気がするのは気温のせいではない。
モアナメレの話の流れから急に美紗子が「ファンです」「握手お願いできますか」などと言ったら翔太は気分を害するだろうか…。
出会った瞬間からキャー!ファンです!と言ってしまった方がよかったかもしれない…タイミングをすっかりはずしてしまい、美紗子はどうしたらいいのか頭が真っ白になってしまった。
美紗子だけが妙に気まずさを感じ、口の中がカラカラに乾いてきた。
カバンから取り出したミネラルウォーターは、大きく一口で飲み切る分ほどしかない。買わなきゃ。
「あの…ここから一番近い売店はどこでしょう?」
「あぁ…っと、すぐそこにロコが移動販売してる店があるけど、種類も少ないし割高なんだ」
そう言いながら翔太は携帯電話をパカッとしてチラッと覗く。
ガラケーだ。やっぱり過去なんだ。
「もうランチタイムだね」
翔太は立ち上がり、サイドテーブルの上の楽譜をリュックにしまい、パラソルを畳んでデッキチェアの上に置いた。
「近くに美味いローカルフード売ってるとこあるんで、俺も何か食べたいからそこまで一緒に行きましょう」
翔太はケースに入れたギターとリュックを背負った。
店まで肩を並べ、二人で歩くのだ。
これは握手以上の価値だ。もう握手なんていい。
翔太は、砂浜の裏に停めてあった青のスポーツトラックの助手席からギターを入れて鍵をかけ、「そっち」と歩く方向を指差して誘導した。
翔太の愛車なのだろうか、綺麗に洗車されたボディが太陽の光でキラキラ輝いている。
現代ならスマホのカメラに収めたくなる。
翔太の過去の秘密を知ったようで嬉しい。
「さっき、モアナメレの曲を2曲知ってるって言ってたけど何と何?」
翔太が歩きながら無邪気に問う。
「え?えぇっと…カ・ラー・イ・カ・マウリオラと、ブルーバードです」
「おぉ!まさにその2曲、ジョイントでやるんだけど、なんで知ってるの?結構ファン?」
美紗子は言葉に詰まった。翔太がライブでやっていたことで美紗子は初めてモアナメレとこの2曲を知ったのだ。
ジョイントライブの情報は、この時代ではこれから会報に載る内容なのだから、翔太の未来のライブで知ったとは言えるはずもない。
「たまたま…ハワイ好きな人に教えてもらって…」
苦しい回答だが、嘘ではない。
「そうなんだ。地元では有名なバンドだけど、日本じゃそんなに知ってる人少ないと思うからさ」
二人で語らいながら歩く美紗子の足はまだフワフワと宙を浮いているようだ。
到着した店は、テイクアウトか店の前にあるテーブルで食べることができる小さな可愛らしい店だった。
味付けが様々なポケやカルアピッグ、シュリンプ、スパムなどのメインをカスタマイズしてお弁当のようにご飯付きで提供される。
店内に一歩足を踏み入れた途端、燻製のような香りと漬けダレであろうにんにく醤油の香りがふわっと鼻をくすぐり、胃が急激に動いて空になったようだ。
惣菜の種類の豊富さが美紗子のテンションをさらに上げ、迷うことが嬉しくさえ感じる。
美紗子はショーケースの向こう側にある惣菜をガラス越しに見つめ、ショーケースに顔と手がくっつきそうだ。ワクワクが止まらずメニューを決められないでいる。
翔太はそんな美紗子を見てクスクス笑う。
翔太が先にガーリックシュリンプとサーモンポケのクラッシックスタイルの2種盛りを頼んだ。
それを参考にしながら美紗子は、カルアピッグとアヒポケのスパイシースタイルの2種類盛りをテイクアウトし、ミネラルウォーターも2本買った。
「さっきの場所に戻って、よかったら一緒に食べましょう」
「あ、ありがとうございます。お邪魔…します」
先ほどの陣地へ戻り、翔太はパラソルを立て直した。
スパムおにぎりを食べていたから、そこまで空腹ではなかったのに、あのお店で品揃えを見た瞬間から急激にお腹がすいてたまらなくなった。
「いただきます」
アヒポケをプラスチックのスプーンですくいあげ、口の中に放り込む。ハワイの味が口いっぱいに広がる。
「うわ!美味しっ!」
「美味いでしょ?」
彼は誇らしげに言いながらエビの殻を指で剥がし取りながら、にこやかな笑顔を浮かべる。
翔太と並んで食事をするなんて、夢でしかない。
莉子や和也と話すように自然に食事をしていることが不思議でたまらない。
あの岩崎翔太なのだ。
どこまでいっても実感できる気はしない。
「ところで、君は日本のどこから?」
この質問が出てしまった。
誰かと関わったら必ず出てくる言葉だろうと予想された。
当時住んでいた場所や嘘の場所を伝えてもなんら問題なくやり過ごすことは充分可能だ。
その場限りの会話で終わると予測される場合は適当な回答でかわせるが、親しくなった場合は少々やっかいな展開になる可能性も予測される。
突っ込んだ会話に発展した時、かなり復習をしていないとその時代の背景や状態に合わせて話すことが難しく、その時代にないことをうっかり話してしまう恐れが出てくる。
カイルアビーチにて
バックナンバーの内容が本当のことを書いているなら、今日、このビーチのどこかに翔太はいるはずだ。
この広いビーチのどこかに…
美紗子が逢いたい40歳の翔太が、日記形式で書いた会報の見開き2ページにわたり、カイルアの砂浜で演奏予定の数曲を練習したというのを読んだ。
自身の結婚を機にハワイ在住となって十数年経った翔太が、現地出身の「モアナメレ」というバンドとジョイントライブをすることになった。
翔太は彼らの大ファンであり、ジョイントライブまでの数カ月間、自分の気持ちや仕上がり具合を写真と共に会報に紹介していた。
美紗子にとっても思い出深いビーチであるカイルアに、翔太が練習をしに来ていたと知って親近感がより湧いて、何度も読み返したページだった。
【20年前のハワイ旅行】での過ごし方は、飛行機という名のタイムマシンの中でシュミレーションしてきた。
早朝、空港へ着いたあと、チェックインを済ませてカイルアビーチへバスを使って向かう。
空港に着いてしまえば、後は普通の旅行とさほど変わりはない。
ただ、そこに幾つかあるルールを遵守すれば。
会報の内容が大方事実であれば、10時前にはビーチに到着していたほうがいい。
翔太に会えるとしたらここしかチャンスはない。だから一番最初にここカイルアへ来るように日程を決めた。
正午までに翔太を見つけられなければ、遭遇する可能性はほぼゼロに等しいだろう。
会報には景色などの位置や場所を示す手がかりは映っていなかったし、広大な海岸線づたいに歩きながら彼を探すなんて、自分でも無茶苦茶だと思う。
でも、やるだけのことをやり、結果無駄足だったとしても、最初に済ませて諦めがつけば、あとは思い出を辿って観光したり、あの当時行けなかった場所や店に行って、20年前の心残りを回収するだけ。楽しむことは充分出来る。
もし翔太に会えたならラッキー。
若い翔太に声をかけ、握手を求めよう。
会えなければ、この辺りを散歩したり食べ歩いたり、ショッピングする。当時はこの海で遊んだだけで、散策や買い物は出来なかった。
そして、陽が落ちてゆくカイルアの水平線を目に焼き付けて帰ろう。
20年前旅行した時、気合を入れて人気有名モデルが教えるハワイのガイドブックを買った。魅力的な店の数々を紹介していたのに、ほぼ活用しきれず終わってしまった。
捨てられずに取っておいていたそのガイドブックを今回持ってきた。再び役に立つ時が来るとは思わなかった。
行きたかったステーキハウスは、惜しまれて数年前に店を閉めたと聞いた。半屋外のようなバーベキュースタイルで、注文した具材を自分で焼く鉄板焼の店だった。
当時は莉子がまだ小さくて危ないと、諦めた店の一つだった。時間旅行の有効的な点。
行きたかったのに店が無くなってしまったり、無くなったあの店の味をもう一度味わいたい時に使えることだ。
遠くて行けなかったノースショアで、行きたかったTシャツ屋さんや、本家シェイブアイス屋。
トロリーバスと徒歩でなんとか行けそうな、ロコ御用達のマラサダを売る店…
現在のハワイでまだ存在しているのかは定かではないが、あの時諦めた数々の店。全部行ってやろう。
古いガイドブックをめくりながら、気分は28歳の自分だ。
翔太のライブに久々に行ったあの時の以来のワクワク感に似ている。
握手会の時は、ワクワクというよりドキドキだったな。
翔太にはきっと会えないだろう。
会えなくてもその後に楽しみはたくさんある。
そう思うからこんなに落ち着いていられるのだろうか。
過去を知っている未来人が、会えるかもしれない場所に行って本当に会えるのかというスリルを、自らが作り出したオプションとして楽しもうとしているだけなのだ。
白と青の配色が、美紗子の目から見える限りどこまでも続くビーチ。
一点のくすみもない青空。
太陽に熱せられ、反射して眩しい白い砂は、ビーチサンダルの薄い靴底からも熱を感じるほどだ。
時折吹く風は爽やかに体を通り抜ける。
気が遠くなりそうな自分の計画の無謀さに挫けそうになりながらも、カイルアビーチと呼ばれるエリアの南から北上するようにスタートし、砂に何度も足を取られながら美紗子は歩き出した。
人はあまりいない。
遠く波の上でボードやサーフィンをやる人達に目を向ける。あの中に…?いや、あの写真ではエメラルドグリーンのアロハシャツを着て、ギター片手に練習している風景だった。
楽譜が見切れていた。
波には乗っていないはず。
いやいや、練習の前にひと乗りしているかもしれない。
少し風が強くなり、椰子の木の葉がしなりだす。
ぽつんぽつんと設置されているパラソルも頼りなく揺れる。
美紗子は砂浜のど真ん中を左右確認しながらゆっくりめに歩く。
急に吹く強めの風に煽られ、美紗子は被っていた麦わら帽子が飛ばされそうになるのを押さえ、もう片方の手で顔の前を自由に動く髪の毛を整える。
時々立ち止まり、ミネラルウォーターを青い空に向かって喉を鳴らしながら飲む。
清々しい青空の下で心地良い風が吹いて気持ちはいいが、太陽に少しずつエネルギーを奪われているような気がする。
どのくらい歩いただろう。腕時計を見ると、10時半を少し過ぎたくらいだ。1時間弱ぐらいはゆっくりと歩いたのだろうか。
少し休憩しよう。緑が生い茂る木陰に身を寄せた。
ここに向かう前、空港の近くにあったコンビニで買ったスパムおにぎりで軽く栄養補給した。
なんだか岩崎翔太を探しているとは思えない不思議な気分だ。
ただ、好きな場所を散歩してるような感覚でしかない。
本当にここが20年前なのかすら時々疑わしく感じてしまう。
でも確かに空港の到着ロビーにあった掲示板は20年前の西暦で10/12を表示していた。
木陰になっている白い砂浜に足を投げ出して寝そべり、両手を後頭部の下で組んで空を見上げる。
美紗子の真上には、ヤシの葉がちょうど日差しのように垂れかかって大きく左右に揺れ、その隙間から真っ青な空が見え隠れする。
このまま眠ったらどんなにか気持ちいいだろう。
朝早かったのと、太陽の下でエネルギーを消耗しているせいか睡魔が襲ってきそうだ。
莉子はどうしてるだろうか。1人を満喫しているだろうか。莉子や和也のことが頭をよぎると罪悪感が湧き上がってきてしまう。
考え始めたら、いくらでも罪悪感と向き合ってしまう。
首を左右にブルブル振って払いのける。この旅行の間だけはやめよう。
美紗子はムクッと上半身を起こし、立ち上がって砂を払う。
再始動しないと、もう11時をとうに過ぎ、あっという間に昼になってしまう。木陰づたいに歩き出した。
歩き出してまもなく、突風が一瞬吹き抜け、白砂を巻き上げた。
「あぁもう…」
砂を被ってしまった服やカバンを叩いて払い、暴れた髪の毛を整えていると、斜め前にあった白い帆布の大きなパラソルが目に入った。
それは大きく揺れ、グラグラしている。中に人…?デッキチェアから足の先が少し見え、傍らに何か黒いケースのようなものがある。
倒れそうだな…近寄る途中、大きくパラソルが傾いた。「あ!」とっさに駆け寄り帆布を支える。
美紗子の急な声に持ち主が飛び起きた。
美紗子の身体は突如電池をひっこ抜かれたように停止、固まった。
「Thank you so…」
持ち主は美紗子を見て慌てて「ありがとうございます」と日本語で言い直し、軽く頭を下げた。
美紗子は固まったまま声が出ない。
翔太だ。紛れもなく40歳の岩崎翔太だ。
「支柱の掘りが甘かったな…」
パラソルが入っていたであろうカバーの中から小型のドリルを取り出し、より深く掘ってパラソルの支柱を刺した。
「これで大丈夫かな…すみません。助かりました」
爽やかな笑顔で帆布を支えたままの美紗子に礼を言う。
「いえ…」
翔太を探して歩いていたのに、本当に会えたことが予期せぬ事態に出くわしたかのように信じられず、美紗子はどうしたらいいのか、会ったらどうしようと思っていたのか思い出せず、真顔で二文字の言葉しか返すことができなかった。
翔太の動向を追いながら、握手を急に求めたらおかしいだろうか…?と躊躇していると、小さな突風がまた吹き上げ、今度はサイドテーブルの上に置いてあるデジカメをペーパーウェイト代わりにして少しズレて置かれていた紙が2、3枚ふわっと舞い上がった。
あ……美紗子は舞い上がる紙を追いかけ、砂に落ちた紙を拾う。
翔太の直筆で書かれたであろう楽譜だ。
手渡す瞬間、タイトルの横にある「moanamele」という文字に、「モアナメレ…」とつぶやきながら彼に渡す。
彼の顔がパッと明るい表情に変わり、
「知ってますか?」嬉しそうだ。
現代の翔太がライブでカバーをし、前回のライブでセットリストの中に2曲上がっていたのだ。
「2曲だけですけど」
あなたが唄ってて知ったのよと心の中でつぶやく。
彼はモアナメレについて溢れ出すように語り出す。
彼らの奏でる美しい音と曲に惹かれてしまうこと、歌詞の内容が優しいこと、来月ジョイントできることになったきっかけ…
モアナメレの3人組はこのカイルア出身で、この海を見ながら多くの曲を作っていたそうで、そのソウルをより感じるために最近よくここへ練習しに来ていると、活き活きとした表情で翔太は語る。少年のようだ。
あの翔太が目の前にいて、私だけに語りかけている。
ちょっと悪ぶった風のファッションで紙媒体を飾っていた40歳の翔太は、その尖り気味の服やアイテムを取り払うと、ただの好印象な無敵中青年だ。
そんな翔太を目の前に、美紗子は自分の女性ホルモンが絶好調に活発化しているのを感じる。身体が熱い気がするのは気温のせいではない。
モアナメレの話の流れから急に美紗子が「ファンです」「握手お願いできますか」などと言ったら翔太は気分を害するだろうか…。
出会った瞬間からキャー!ファンです!と言ってしまった方がよかったかもしれない…タイミングをすっかりはずしてしまい、美紗子はどうしたらいいのか頭が真っ白になってしまった。
美紗子だけが妙に気まずさを感じ、口の中がカラカラに乾いてきた。
カバンから取り出したミネラルウォーターは、大きく一口で飲み切る分ほどしかない。買わなきゃ。
「あの…ここから一番近い売店はどこでしょう?」
「あぁ…っと、すぐそこにロコが移動販売してる店があるけど、種類も少ないし割高なんだ」
そう言いながら翔太は携帯電話をパカッとしてチラッと覗く。
ガラケーだ。やっぱり過去なんだ。
「もうランチタイムだね」
翔太は立ち上がり、サイドテーブルの上の楽譜をリュックにしまい、パラソルを畳んでデッキチェアの上に置いた。
「近くに美味いローカルフード売ってるとこあるんで、俺も何か食べたいからそこまで一緒に行きましょう」
翔太はケースに入れたギターとリュックを背負った。
店まで肩を並べ、二人で歩くのだ。
これは握手以上の価値だ。もう握手なんていい。
翔太は、砂浜の裏に停めてあった青のスポーツトラックの助手席からギターを入れて鍵をかけ、「そっち」と歩く方向を指差して誘導した。
翔太の愛車なのだろうか、綺麗に洗車されたボディが太陽の光でキラキラ輝いている。
現代ならスマホのカメラに収めたくなる。
翔太の過去の秘密を知ったようで嬉しい。
「さっき、モアナメレの曲を2曲知ってるって言ってたけど何と何?」
翔太が歩きながら無邪気に問う。
「え?えぇっと…カ・ラー・イ・カ・マウリオラと、ブルーバードです」
「おぉ!まさにその2曲、ジョイントでやるんだけど、なんで知ってるの?結構ファン?」
美紗子は言葉に詰まった。翔太がライブでやっていたことで美紗子は初めてモアナメレとこの2曲を知ったのだ。
ジョイントライブの情報は、この時代ではこれから会報に載る内容なのだから、翔太の未来のライブで知ったとは言えるはずもない。
「たまたま…ハワイ好きな人に教えてもらって…」
苦しい回答だが、嘘ではない。
「そうなんだ。地元では有名なバンドだけど、日本じゃそんなに知ってる人少ないと思うからさ」
二人で語らいながら歩く美紗子の足はまだフワフワと宙を浮いているようだ。
到着した店は、テイクアウトか店の前にあるテーブルで食べることができる小さな可愛らしい店だった。
味付けが様々なポケやカルアピッグ、シュリンプ、スパムなどのメインをカスタマイズしてお弁当のようにご飯付きで提供される。
店内に一歩足を踏み入れた途端、燻製のような香りと漬けダレであろうにんにく醤油の香りがふわっと鼻をくすぐり、胃が急激に動いて空になったようだ。
惣菜の種類の豊富さが美紗子のテンションをさらに上げ、迷うことが嬉しくさえ感じる。
美紗子はショーケースの向こう側にある惣菜をガラス越しに見つめ、ショーケースに顔と手がくっつきそうだ。ワクワクが止まらずメニューを決められないでいる。
翔太はそんな美紗子を見てクスクス笑う。
翔太が先にガーリックシュリンプとサーモンポケのクラッシックスタイルの2種盛りを頼んだ。
それを参考にしながら美紗子は、カルアピッグとアヒポケのスパイシースタイルの2種類盛りをテイクアウトし、ミネラルウォーターも2本買った。
「さっきの場所に戻って、よかったら一緒に食べましょう」
「あ、ありがとうございます。お邪魔…します」
先ほどの陣地へ戻り、翔太はパラソルを立て直した。
スパムおにぎりを食べていたから、そこまで空腹ではなかったのに、あのお店で品揃えを見た瞬間から急激にお腹がすいてたまらなくなった。
「いただきます」
アヒポケをプラスチックのスプーンですくいあげ、口の中に放り込む。ハワイの味が口いっぱいに広がる。
「うわ!美味しっ!」
「美味いでしょ?」
彼は誇らしげに言いながらエビの殻を指で剥がし取りながら、にこやかな笑顔を浮かべる。
翔太と並んで食事をするなんて、夢でしかない。
莉子や和也と話すように自然に食事をしていることが不思議でたまらない。
あの岩崎翔太なのだ。
どこまでいっても実感できる気はしない。
「ところで、君は日本のどこから?」
この質問が出てしまった。
誰かと関わったら必ず出てくる言葉だろうと予想された。
当時住んでいた場所や嘘の場所を伝えてもなんら問題なくやり過ごすことは充分可能だ。
その場限りの会話で終わると予測される場合は適当な回答でかわせるが、親しくなった場合は少々やっかいな展開になる可能性も予測される。
突っ込んだ会話に発展した時、かなり復習をしていないとその時代の背景や状態に合わせて話すことが難しく、その時代にないことをうっかり話してしまう恐れが出てくる。

