「——不祥事で降板?!」


車内に響く影山さんの声はイヤホンで音楽を聴いていても鮮明に聞こえた。不祥事、降板。不吉な単語の連発で音楽どころではなくなり両耳からイヤホンを外す。

電話を終えた影山さんは「寧々ちゃん、たすけてぇ」とハンドルに顔を埋めた。


「どうかしました…?」

「来週エスナの撮影あるでしょ?一緒にイメージモデルとして選ばれた菊野冬馬が一般女性に怪我させたらしくて、明日記事になるって」

「えぇ、まじですか」

「酔った勢いだから本人は記憶が曖昧らしい、最低!」

「女の敵ですね、そいつ」


エスナは海外でも人気のコスメブランドで、近々香水の新作を発表する。そのイメージモデルとして、ファッション業界ではカリスマ的存在の菊野冬馬と主演ドラマ出演でプチブレイクを果たした私が選ばれた。

が、しかし。

相方がいないとなると、撮影はどうなるのだろうか?

撮影日が迫ってきているから不安だな。








「寧々、最近、あまい匂いがする。なんかつけてる?」


なんだか無性にアイスが食べたくなり、家から2番目に近いコンビニに向かう道中、私の耳のあたりに顔を近づけ問うてくる依緒。吐息がダイレクトに鼓膜を揺らす。


「こ、香水!イメージモデルをしてるブランドから新作の香水が出るんだけど、サンプルいただいたから付けてみたの。……あんまり好きな匂いじゃない?」

「ううん、そんなことないよ。ただ、いつもと違う匂いがしたからちょっと気になって」

「普段、香り系付けないもんね。一応、表に出る仕事してるから、付けた方がいいんだろうけど。いっぱい種類あるじゃん?好みの匂いを探すのも大変だし、自然体でいいやーってなっちゃう」


匂いによっては周りを不愉快にさせてしまうかもしれないし、むずかしい。


「じゃあ、俺と同じの付ける?」

「えっ、依緒と同じ香水?」

「そう、普段使ってるやつ、匂いもきつくない」

「もちろん知ってるよ、でもいいの?」

「いいよ、小瓶に入れて渡すね」


どうしよう、依緒と同じ匂いになれる、依緒をより近くで感じられる、どうしようどうしよう、私、変態?

嬉しくて、表情筋がバグりそう。





数日後、影山さんから相談があると事務所に呼び出された。会議室に入ると影山さんとエスナの関係者の方々3人、いつもお世話になっているカメラマンさんが神妙な面持ちで待っていた。

なんだろ、こわいな。撮影が、中止か延期になるとか?


「単刀直入に言います。モデル見つかりませんでした」

「わーお」

「イメージに合いそうな男の子をピックアップして、オーディションもしたんですけど、なんか違うなって。でも撮影に穴開けるわけにはいかなくて、影山さんに相談したら、エスナにぴったりの男の子がいるって。でも一般人だから、天羽さんとその方の了承を得てからじゃないとってことで、今日は了承を得にきました!!」


う、うん?話が見えない。

この数分で情報量すごくなかった?

えっと、だから、つまり——…


「あの、影山さんの言う《ぴったりな男の子》って…」

「……依緒、くん」

「ですよね、依緒しかいないですよね」

「寧々ちゃん、無理を承知でお願いします。依緒くんに一度、モデルの件、頼んでみてくれないかな?受けてくれたら、それ相応の対価はお支払いします!保証する」


依緒は対価とかどうでもよくて、ただ、芸能に、ほんとうに興味がない。ましてやモデルだなんて顔が出てしまうから、期待はできない。

個人的にはモデルとしてカメラの前に立つ依緒を見てみたい気もするが。まぁ、ダメ元で聞いてみるか。







「俺が、モデル?」

「そう。昨日話してたブランドの撮影が近々あるんだけど、相方役が降板しちゃったの。急いでイメージに合うモデルさんを探してはいるんだけどなかなか難航してるらしくてね、マネージャーの影山さんが、依緒ならイメージにピッタリなんじゃないかなって」


ちら、と依緒の様子を伺うと、案の定、嫌そうな顔をしていたので、だよな、と納得する。


「それ、断ったら、寧々が困るよね」

「待って、私のためって思わなくていいからね?!」

「寧々のためじゃないと、俺、やらないよ」

「でも、それだと、依緒の心がしんどくなる」

「しんどくならないよ」

「…なるよ」


なんだか泣きそうになってきた。

やっぱり、この話はなかったことにしよう、私が嫌だ。


「寧々、こっちむいて」

「……私は依緒のことが大切なんだよ」

「うん、俺も寧々が大切」


依緒の指が、今にも涙がこぼれそうな目尻を撫でる。

優しい指先に、ほんとうに私のことを大切にしてくれているのだと、伝わる。


「モデルの件は受けるよ」

「いお〜〜っ」

「その代わり、ひとつだけ約束してほしいことがあるんだけど、それは影山さんに直接話すから、明日にでも場を設けてほしい。撮影まで時間もないでしょ?」

「わ、わかった!ほんとにありがとう、依緒。だい、」


私は慌てて口を隠す。

あ、あっぶな!!

思わず、大好きって叫び出しそうになった。







「僕は一般人なので大学にも通ってますし、アルバイトもしてます。日常生活に支障をきたすことは避けたいので顔全体を写さないという条件でしたらモデルの件を受けさせていただきたいです」

「口元から下とかだったら大丈夫ですか?天羽さんとの絡みがあって、構成上、どうしても写ってしまう可能性がありまして…」

「それなら大丈夫です。ご配慮ありがとうございます」

「い、いえ、こちらこそ、貴方様のような、超絶イケメンにイメージモデルの件を了承してもらえて、なんというか、ほんとうに泣きそうなんですが!!」


エスナの関係者さん、カメラマンさんは依緒を見た瞬間に、ぽっと頬を赤らめて、今にも泣きそうな顔をしていた。依緒レベルの男の子はそう簡単に見つけられないもん。こりゃ、あとで個人的にスカウトされそうだな。

依緒がモデルとしてカメラの前に立つ条件は《依緒だとわからないよう配慮してほしい》だった。ごもっともな条件だと思う。依緒には依緒の生活がある。

それに、依緒の場合、どこを切り取っても絵になるというか、エスナ、爆売れするんじゃないかな。




「依緒くん、ほんとうにありがとうございます!それ相応の対価はもちろんお支払いするので!」


帰りの車内、影山さんは涙ながらに依緒にお礼を言う。


「いえ、寧々のためですから」

「くううう!青春!」


何はともあれ、無事に当日をむかえられそうだ。