影山さんから主演ドラマのオファーをもらって、早いことで一ヶ月が経った。
共演者との顔合わせがあったり台本をいただいたり、撮影の流れや原作者の方への挨拶があったりと、ありがたいことに忙しい日々を過ごしている。
今回、漫画が実写化するにあたり、より原作に近いドラマに仕上げなくてはならない。
つまり、一から演じるのではなく、元々あるヒロインに私が憑依しないといけないのだ。
これってめちゃくちゃむずかしい。
ただ、既刊をすべて読んで感じたのは今の自分と、どことなく当てはまる、ということ。
幼なじみに恋をするという大きなテーマの中で、私ができる精一杯のことを作品にぶつけたい。
「月下さん、入られましたー!!」
クランクイン。
私服ふうの衣装で現れたのは相手役、月下さん。
ドラマのために黒髪からアッシュブラウンに染めたそう。【髪染めた!】というタイトルでSNSにアップされた写真は瞬く間に拡散され、トレンド入り。
恐るべし人気アイドル。
月下さんとは顔合わせのほか、台本の読み合わせも何度かしている。だから変に気を遣うこともなく、比較的フランクに接することができている。
「おはようございます、月下さん。今日からよろしくお願いします」
「こちらこそです。てか、髪、染めたんですけど、どうです?」
髪の先を指でいじる月下さんに「似合ってますよ」と返すと「よし。その返事を待ってました」と屈託のない笑みが返ってきた。まるで人慣れした犬のようだ。
アイドルも俳優も、いつも笑顔でいなきゃいけない、だとか、夢を売る商売だ、とか言われるけど、人間だから全部が全部、うまく完璧にこなせるわけじゃない。
だけど、ここ一ヶ月、月下さんを観察していると、いつどんなときでもキラキラのアイドルで、正直、アイドルしてないときは裏があったり、なんて勘繰っていたけれど、そんな勘繰りは必要なかった。
「天羽さんは、髪いじんなくても、そのままの愛子ちゃん(※今回のドラマで演じる役名)ですね。かわいい」
この人が売れる理由が、わかる。
物語のあらすじは、モブよりのどこにでもいる主人公・愛子が、男女問わず人気者の幼なじみ・颯斗に片想いをしている、といったもの。
キュンと切なさがいい塩梅に散りばめられている王道かつ誰もが一度は憧れるだろう。
『私といるとこ、あんま、見られない方がいいよ』
『俺は一緒にいたいと思う奴と、いるだけだから』
月下さんのセリフのあと、私たちは何秒間か見つめ合い、照れくさそうにゆっくりと視線を外す。この数秒間が一番緊張する。心臓の音、一瞬の表情、呼吸、どこをどこまで使われるか、わからないから。
カット、の声がかかり、OKが出る。
月下さんは手で顔をパタパタと仰いだ。
「暑い、ですか?」
「いやー、暑いというか、照れません?」
「こういうの慣れっこでは?」
「天羽さんに、俺はどう映ってるんですか」
「え、うーん、なんでもこなすスーパーアイドル…?」
「あー、うん、あながち間違いじゃないすけど、恋愛ドラマは初めてなんで、やっぱり身構えますね」
ふう、と息を吐きながら、にっこり笑った。
身構えてる人の笑顔ではない気がするけど。
撮影は順調に進み、一度、休憩がとられた。
配られたお弁当を抱え、どこで食べるか探しているとトン、と肩を叩かれる。
「あ、月下さん。お疲れさまです」
「お疲れさまです。食べるとこ悩みますよね」
同じ悩みを抱えている人を見つけた。
ロケバスで食べてもいいんだけど、天気がいいし、せっかくだったら外で食べたい気分なんだよね。かといって撮影範囲は決まっているので、場所に悩む。
月下さんは「ちょっと待っててください」とお弁当を私に託し、どこかへ行ってしまった。そして、折りたたみの椅子を二脚、脇に抱えて戻ってきた。
「よかったら一緒に食べません?」
「えっ、あ、はい。月下さんが良ければ」
「俺から誘っておいて、嫌なわけないじゃないですか」
たしかに、それもそうか。
私は、ぜひ、と返し、木陰に置かれた椅子に座った。
スマホを開くて依緒から《今日から撮影がんばって》とメッセージが入っていた。
ふふ、と頬がゆるむ。
私はお弁当の写真を撮って《これからお弁当食べるよ》と返事を返す。
ちょうどおひるどき。依緒は何たべるのかな。
いただきます、と手を合わせてプラスチックの蓋をあけていると「俺もSNS用に写真撮ろうかな」と、月下さんがおもむろにスマホを取り出し、なぜか膝の上に乗っている私のお弁当と自分のお弁当、ふたつが画角におさまるように写真を撮りはじめた。
「まさかとは思いますけど、それ、載せます?」
「だめですかね」
「だ、だめに決まってます!!炎上ですよ、私が!!」
予想以上に大きな声が出て、思わず口を覆う。
すると、月下さんは、ふは、と吹き出し、「冗談ですよ」と笑った。
スーパーキラキラアイドルの心臓に悪い冗談がこわすぎる。私、スカート履いてるし、女だってすぐバレるし、いくら撮影中とはいえ、よく思っていないファンだっているだろうし、間違いなくこちらが炎上する。
こわい、こわい。
スマホにメッセージが届き、こそっと確認すると《おいしそうだね、俺はカルボナーラ食べるよ》とカルボナーラの写真が送られてきた。
カルボナーラか。
依緒、パスタ好きだもんね。
「天羽さんはさっきの写真、SNSに載せるんですか?」
「載せないですよ」
「じゃあなんで写真を?」
「えっ、あー…えと、」
「彼氏、とか?」
「違います、彼氏じゃないです!!」
「じゃあ、彼氏じゃない異性に?」
「ち、違い、ます」
否定すればするほど、ボロが出ていると自覚している。
あたふたしている私がおもしろいのか「ちょっといじめちゃいました」とお茶目に笑った。
私の事務所はアイドルのように恋愛禁止ではないし、自由だ。けれど、時期は考えてほしい、と言われたことがある。ドラマや映画、所属している先輩の大事な時期に週刊誌にすっぱ抜かれたりでもしたら、大打撃をくらってしまうから。まぁ、週刊誌は容赦ないんだけど。
私が依緒に恋をしていることは誰にも話していない。
だから、すっぱ抜かれることも、きっとない。
長時間の撮影で今にも倒れそうなくらいクタクタでも玄関に並ぶ見慣れたスニーカーを見れば身も心も元気になる、私ってほんとうに単純で、純粋である。
「ただいまぁ」
「おかえり、寧々。遅くまでお疲れさま」
ひらひらと手を左右に揺らす依緒。
今すぐにでも抱きつきたい気持ちをグッと抑え「どうしてうちに?」と、平然を装って問う。
「え、ああ、うん、お疲れさまって直接言いたくて」
ふにゃ、と笑う依緒に心の中で「好き!!!」と叫ぶ。
私と依緒は同じマンションの階違いに住んでいて、小さい頃からお互いの家を行き来している。だから私の家に依緒がいることはごく自然で、だけど不意打ちは困るんだよね、胸のトキメキが隠せないから。
「これ今回のドラマの台本?」
依緒はテーブルに置きっぱなしの台本を指差す。
そうだよ、読んでみる?と聞くと、いやネタバレになっちゃうじゃん、と、気にしつつもやんわり断ってきた。
『幼なじみを題材にしてるから、寧々ちゃんと依緒くんだったらぴったりなのにって思ったのは秘密ね』
ふと、影山さんの言葉が頭をよぎる。
そして、提案をしてみた。
「ね、依緒。私の台本読みに付き合ってくれない?」
◆
「依緒は、この颯斗ってところ読んでね、私は愛子読むから。颯斗はちょっといじわるな部分があるんだけど根は優しくて、愛子のことを一番に考えてる男の子なの」
「寧々に漫画借りたから読み進めてるけど、なかなかいじわるだよね。あと結構クサイセリフがあって、俺、関係ないのにちょっと恥ずかしくなる」
「少女漫画は、そのクサイセリフがいいんだよ!胸がむず痒くなったり、足をジタバタしたりね、少女漫画からしか得られないトキメキがあるし」
「ふうん」
依緒の瞳が台本をなぞる。
もし、依緒があのとき、スカウトを断らず、芸能の世界に入っていたら、こんなふうに台本の読み合わせができたりしたのかな。
伏し目がちだった三白眼が、ふいに、こちらを向く。
『お前、俺のこと好きなの、ばればれだよ』
「…え、」
『隠す気ある?』
「え、えと、」
心臓が、バクバク、と聞いたことのない音を立てる。
射止めるような鋭い瞳から目が離せずにいると「こんな感じでいいの?」と、いつの間にか、いつもの依緒に戻っていて、変な汗をかいた。
びっくりした。
依緒の演技もそうだけど、自分の気持ちが見透かされているみたいで、依緒を好きな気持ちがバレちゃったんじゃないかって、本気で震えた。
「ドラマだから許せるセリフだね、これは」
「そ、そう、かな」
「これとか、どう?——俺、お前のこと、好きだよ」
顔を少し倒し、覗き込むようにして、耳元で囁く。
「(やばい破壊力やばいしぬしぬしぬ)」
思わず台本で顔を隠す。
だけど、依緒がそれを拒んだ。
「寧々、耳、真っ赤」
ウィスパーボイスが鼓膜に直撃し、足のつま先から頭のてっぺんまで熱い。もはや焦げる。
「い、依緒のせい、だよ」
「俺が、寧々のここ、そうさせてんのね」
耳の縁や耳朶を親指の腹で優しく撫でながら「寧々のこんな顔、誰にも見せたくないな」と少し眉をさげた依緒は力なく笑って、台本を閉じた。
その日の夜、依緒が触れた耳がずっと熱くて、しばらく眠りにつくことはできなかった。
それから怒涛の3ヶ月を過ごした。
ドラマの番宣のためバラエティーやニュース番組のゲスト、雑誌のインタビューがドラマの撮影と同時並行で行われ、自分があとひとり、いやふたりほどいればスムーズに進むのに、なんて架空の自分に頼りたくなる日もあった。濃すぎる3ヶ月、贅沢な3ヶ月。
「——愛子役、天羽寧々さん、オールアップです!!」
拍手喝采の中、オレンジを基調とした大きな花束を月下さんから受け取る。
花の香りと共にこれまでの思いや景色が走馬灯のように脳内を駆け巡り、目頭が熱くなった。
「えー、まず、初めに。こんなにも大きな花束をいただけるなんて思っていなかったので、めちゃくちゃびっくりしました。ありがとうございます。私のような新人が座長で頼りなかっただろうし、不安な気持ちにさせてしまうことがあったと思いますが、私が今こうしてここに立っていられるのは関わってくださった全ての方々のおかげです。私を座長にしてくださりありがとうございます。初めての座長がこの現場で幸せでした!」
結局、最後は泣いてしまった。
仕方ない、人間だもの。
ドラマは好調だった。というのも情報解禁当初荒れに荒れまくったからだ。漫画の実写化反対派、人気アイドルとの共演、相手役と荒れる3大要素が散りばめられた中で、いかに原作そのものを視聴者に届けられるか、納得の配役と認められるか、私を含むドラマに関わったすべての人間が全身全霊で向き合った。
結果、テレビ離れが懸念されている中、視聴率は平均よりも常に上をマークし、雑誌の【今一番たのしみにしているドラマ】ランキングでは一位を獲得した。
さらに、ドラマで着ている私や月下さんの衣装がかわいいと話題になり、取り扱ったブランドの売り上げが鰻上り、なにか形に残せないか、とアクリルスタンドの製作も決定した。
「え、依緒、アクスタ買ったの?」
「うん、買ったよ、なんで?」
「なんでって、そういうの興味ないと思ってた」
「ないね、でも、寧々が頑張った証だから」
「い、依緒〜っ」
「ちなみに3種類ぜんぶ買った」
届くの楽しみ、と顔色は変わっていないものの声色はどこか弾んでいた。
後日、依緒からアクスタの写真が送られてきた。部屋のテーブルに並べられている。
《依緒はどれが好き?》
《ぜんぶ好きだけど、紺色のワンピース着てるやつ》
《私もそれ好き!》
《ね、かわいい》
アクスタ製作よっしゃ〜!っと心の中でガッツポーズをする私だった。

