寝ぼけ眼をこすりながらリビングに行くとトーストと苺ジャム、目玉焼きとウインナー、コーンスープが用意されていて、タイミングよくお腹が、ぐうう、とかわいさのカケラもない音を鳴らす。
「おはよ、寧々」
ほんのりムスクの匂いがしたと思ったら、寝癖マックスの髪をぐしゃりと撫でられ、視界が遮られる。
「も〜〜依緒のせいでぐちゃぐちゃになった!見て!」
「寧々の新しいCM流れてる」
「あ、そうそうそれね、一ヶ月前に撮影が、って」
そうじゃなくて!と、ソファーに座る依緒の隣にドカッと勢いよく着地し、身を乗り出す。
三白眼の中に私が映る。
手を伸ばし、じっとしている私の乱れた前髪を指先で整えた依緒は「ごめんね、怒んないで」とわたがしみたいに笑った。
私、天羽寧々は現在大学生をしながら芸能活動もしている。
事務所は割と大手で主に俳優、アイドルを育成し、多くの著名人を輩出している。私は俳優部門二年目のまだまだ新人。最近では事務所の先輩のバーターとしてドラマに出演したり、雑誌の【次に来る若手俳優ランキング】で三位にランクインしたり、徐々に知名度は上がってきていると思う。
そんな私をそばで見守ってくれているのが幼なじみの周 依緒だ。
物心ついたときから喜怒哀楽を共にしてきた私の大大大好きな人。
実は依緒も私が所属している事務所にスカウトされたんだけど、芸能に全く興味がないらしく、名刺どころか説明も聞かずに断っちゃったんだよね。
スカウトしてくれた人が私の今のマネージャーさんなんだけど、いまだに『依緒くん、事務所入ってくれないかな、5000年に一度の逸材だよ、あんな美男子、芸能関係の仕事を20年はしてるけど見たことないよ!』って、依緒の芸能界入りを待っている。
「寧々、今日も遅くなるの?」
朝のエンタメ情報を流し見しながら聞いてくる依緒に、トーストに苺ジャムを塗りながら「うん」と答えれば「そっか」と短い返事が返ってきた。
今、半年後に放送の深夜枠のドラマにこれまた先輩のバーターとして出演するため、ドラマ撮影中なのだ。バーターとはいえ、割と出番が多く、撮影も深夜になることがあって、依緒はそれを心配してくれている。
だから、深夜に帰ってきた日の朝はこうして、たまに、私の様子を見に来てくれるんだ。
「ねえ、依緒。私、頑張るからね」
「じゅうぶん頑張ってるから、無理だけはしないで」
「(そういうとこも、好き)」
芸能人とはいえ、大学に行くときは電車を使う。
朝の満員電車に揺られることはしょっちゅうだし、人と人にもみくちゃにされるけど、普通に生きていればそんなのは当たり前で、芸能の世界では味わえないことだから、ちゃんと大切にしている。
マネージャーさんにはマスクとサングラスは必須と言われたけど、サングラスは逆に目立ってしまい一度バレたので伊達メガネにしている。挙動不審じゃない限り、バレないと思うんだけどな。大学生をしているときは完全にオフモードだし。
ちなみに大学では依緒を含む男子とは極力関わらないようにしている。今はネットにあることないこと書かれる時代。顔だって平気で晒される。特に異性問題はおもしろおかしくネタにされてしまい、収拾がつかない。自分を守ることは周りを守ることでもある。
教室について、あとからやってきた依緒と目が合う。
黒のワイドパンツに白のゆるっとしたTシャツ、センターパートで、片耳にフープピアス、派手に着飾ると逆に依緒という超最強の素材が死んでしまうのでシンプルイズベストだ。
《なあに》
《ちょっとあまりにもかっこよすぎやしませんか?》
《そう?ふつうだけど》
あなたの普通がみんなと同じだと思わないでほしい!!
《俺ばっか見てるとまわりに不審がられるよ》
ハッとして依緒から視線を外す。
こういうとこ、ぜんぜんだめ、オフモードのいけないところはこれなの。依緒への気持ちあふれてが止まらないの。目が依緒を追っちゃってるんだからメッセージでやりとりしてる意味ないじゃんね。
《俺は寧々のこと、うしろから見てるね》
ねえ、ずるい、ずるすぎる!!
机に突っ伏し、うさぎの泣き顔スタンプを送ると笑い転げているくまのスタンプが返ってきたので、トーク画面をそっと閉じた。
今日、ちゃんと髪巻いててよかった。
授業が終わり、レジュメと筆記用具をトートバッグにしまっているとチラチラといくつもの視線を感じ、伊達メガネ越しから控えめに覗く。
案の定、何人かと目が合いスマホまで向けられる始末。
本当は注意したいし、こそこそしないでほしいし、スマホを向けないでほしい。だけどここで私が荒波を立てたらそれこそ相手の思う壺。無視をする、それでいい。
できるだけ目立たないように席を立つ。
すると、席の前にひとつ、影が落ちた。
「今、撮った写真、消してくれる?」
私に向いているスマホを指差す依緒。
スマホを向けていたのは二人組の男の子で、こうして注意されるなんて思ってもみなかったのだろう。ひとりは案の定「は、撮ってねーし」と反論してきた。
「撮ってるとこ見たから、撮ってないは、嘘」
「はあ?証拠あんのかよ」
「証拠は俺の目、撮ってないならスマホ見せてよ」
いつも穏やかな依緒からは想像ができない低い声にあたりに緊張が走る。
「見せれるよね」
「……わ、わかったよ、消すから、んな怒んなって」
男の子は、引き攣った表情をしながら撮った写真を依緒の前で削除した。結局、撮ってたんじゃん。相手の嘘を見事に見抜いた依緒に拍手を送りたい。
「寧々は見せ物じゃないから、二度と撮らないでね」
依緒の牽制に男の子は、こく、と小さく頷き、逃げるようにその場から去っていった。
「依緒、ありがとう。私のせいで目立っちゃったね」
「寧々が謝る必要ないし、悪いのはあいつらだから」
周りをシャットアウトして、目立たないようにしてたつもりだけど、今回のことで、まだまだ爪が甘かったのだと再確認できた。
すべての授業が終わり、大学の裏に停めてあるマネージャーの影山さんの車に乗り込む。
台本をトートバッグから出し、エナジードリンクを片手に今日の出来事を伝えた。
「依緒くんさ、絶対、戦隊モノの赤色だよね」
「ですね、もうほんとにほんとにかっこよかったです」
「まだ芸能に興味ない?」
「まったくですね、芸能のげの字もないです」
まじかー、とハンドルに項垂れた。
影山さんはいまだに依緒を諦めていないし、依緒は芸能界にまったく興味ないから、ふたりの気持ちが同じ方向に進むことは一生ないだろうな。
「そうそう、寧々ちゃんに、お知らせがあるんだけど」
「なんですかー?」
「なんと主演ドラマのオファーが来ました。ぱちぱち」
「えっ、うそ、ほんとに私に、ですか?」
「ほんと、しかも少女漫画の実写化なんだよね」
影山さんは鞄から一冊の単行本を取り出した。
漫画は好きだけど仕事を始めてから読む時間がうまく取れてないんだよね。ゆっくり読む時間が欲しいな。
「相手役はセントラル事務所の月下静くん」
月下静さんのことはもちろん知っている。
直接的な関わりはないものの、アイドル活動をしながら俳優業にも力を入れているらしく、数々のドラマに出演し、主演ドラマもいくつかあったはず。
アイドルなのに演技はもちろん、トーク、人間性、ビジュアルの良さでバラエティーにも引っ張りだこな今をときめく人だ。そんな人の相手役が、私…?ほんとに?
「幼なじみを題材にしてるから、寧々ちゃんと依緒くんだったらぴったりなのにって思ったのは秘密ね」
受け取った単行本に【私、幼なじみに恋をしました】と書かれている。私が恋する役なんだ。内容次第では依緒を重ねてしまうかもしれない。
こんなの見ちゃったらますます依緒を芸能界に入れたくなるよね、影山さん。
その日の夜、ドラマが決まったことを依緒に報告した。
「すごいじゃん、寧々、頑張ってたもんね」
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
それが嬉しくて、にまにましていると、部屋のローテーブルに何冊か置いてある単行本に気づき、「これがドラマ化するの?」と手に取りぺらぺらとめくった依緒。
そうだよ、と伝えると、ふうん、と短い返事が返ってきて、興味ないよね、なんて顔を覗き込むと、口元をムッとさせた依緒がいて。
「俺、たぶん、これ観れないかもしんない」
パタン、漫画を閉じて、じっと私を見つめてくる。
「ラブシーンが、やたらと多い」
「え、そうなの?まだ全部読めてなくて」
「心に整理がついたら観る」
そんなにラブシーンがあるの?
依緒にもぜひ観てほしいし、ドラマを通して、幼なじみである私を女として意識してほしいなって思ってたんだけどな。自分の中のミッションは始まる前から失敗しそうで、前途多難です…!!

