あたしは先生に追いつかれないように急ぎながら震える足で階段を降りていった


何が、どういう状況なのか、
頭の中で何度も繰り返しても、
答えは出ない。

まだ混乱してる


今すぐナチに会いたい
ナチなら何も言わずに抱きしめてくれる気がする。


だけど意識とは裏腹に足は人気の無いところに向かっていた


…図書室に来てしまった。

鍵を閉めて電気を消していつもの定位置に座った


ここは先生との思い出ばっかり詰まってる
楽しかったな…出会ってまだ1週間も経ってないのに濃すぎる


静まり返った部屋の中、
ほんの少しだけ、呼吸が安定してきた。

「結局ここが1番落ち着くわ…」

そう独り言を言うと心の焦りやざわつきが落ち着いた気がした

頭にこびりついて離れない、さっきの光景。

麻央ちゃんと先生のあのキス。

先生が麻央ちゃんを突き飛ばしたあとの、あたしの名前を呼ぶ声。
あれが…芝居だったとは思えないし思いもしたくない


あの二人は付き合ってる、わけないか

冷静に考えありえるわけない先生はそんな人じゃない
絶対ちがう

麻央ちゃんにやられたんだ
だって、先生の目は本気で驚いてた。
必死にあたしに説明しようとしてた。


それなのに気持ち悪いって思ってしまった



「……あたし、どうすればいいの」



震える指で、制服の袖をぎゅっと掴んだ。


嫌いな子が好きな人とキスしてたんだよ
頭おかしくなりそう


図書室の片隅、あたしは椅子からズルズルと身体をずらして、
机に突っ伏すようにして寝転がった。

「先生あたしのこと、見つけてくれるかな」

呟いた声は、しんとした部屋の中に溶けていく。

眠たいわけじゃない。
目を閉じたって、頭の中じゃあの光景が何度も繰り返されるだけ。

でも、こうやって目を閉じて、
全部見えなくすれば――
ほんの少しだけ、逃げられる気がした。

頬を机につけたまま、ぎゅっと目を閉じる。


すると突然扉が開いた
ちゃんと鍵掛けれてなかったのかな?

今は人に会う気分じゃないのに…

「葵っ!!」

この声あたし知ってる

大好きな声

起き上がって扉の方を向いた

「先生っ」

「…鍵、かかってなかったぞ…お前、どこまでドジなんだよ……」


先生は髪のも服もめちゃくちゃな状態で
訳が分からないくらい息も上がってて肩で呼吸してる

必死にあたしのこと探したんだろうなと思った


「一旦落ち着きなって」


「…落ち着けるわけねぇだろ」

そう言って先生は扉を閉めてあたしに近ずいてきた

先生の足音が、静まり返った図書室の床に響く。

どんどん近づいてくる。

その音だけで、胸の奥がギュッと締めつけられる。

「……どこ行ったかっ、わかんなくて……」

先生は目の前まで来ると、疲労のせいか倒れ込むようにあたしの隣にある椅子に座った。


髪は乱れてるし、赤いジャージのチャックは珍しく全開で、額にはうっすら汗も浮かんでた。


「……校内、ほぼ回った。教室も体育館の裏も昇降口も全部探して……でも居なくて、葵が行きそうなとこ考えた…図書室しか思いつかなくて……」

肩で大きく息をして、先生はあたしの目をまっすぐに見た。

「見つかって……ほんと、よかった……」

その目は、本当に泣きそうなほど必死で。

こんな顔、初めて見る。

思わず息を呑んだ。

「……先生」

「葵も呼ばれてるなんか…思ってもなくて、しかもあんなことされるなんか…予想外で俺も気が動転しててっ…ごめんなっ葵」

その言葉だけで、涙が溢れた。

「ごめんで済む問題じゃないよっ」

声が震える。

でも、あたしの中で止まってた感情が、少しずつ動き出す。

「先生が麻央ちゃんに襲われたのなんて、見ればわかる……でも、でも、やだ。あたし、そんなの……」

言いながら、また涙が出てきて、手の甲で必死に拭う。


先生が頭を撫でてくれる

それでまた、泣いてしまう


「先生のこと、信じたい。でも、もうわかんない。自分の気持ちも、全部ぐちゃぐちゃで……」

先生は一瞬だけ目を伏せて、静かに言った。

「信じなくてもいい…だけど俺、麻央と1ミリも何も無いからっ」


「わかってるよっ」

「麻央にされたことよりも、お前の失望した顔を見た瞬間の方が、心臓が止まるかと思った。お前がいなくなることが、怖くてっ」

その言葉に、心臓が跳ねた。

「なんだよそれっ」

「これ以上葵に拒絶されたくなくて、昨日葵が怒って帰ったのもあるからっ」

先生はぎゅっと拳を握って、言葉を探すように一瞬視線を彷徨わせた。

「葵にだけは嫌われたくねぇんだよっ…」

「ばかっ」


先生もあたしのこと好きだったらいいのに


「だから俺さ、昨日麻央にLINEしてなぁなぁになってる関係終わらせて、向き合おうとしたらこうなってさ、朝葵のこと巻き込んだろ」

「先生も知ってたんだ」

「あぁ朝、教頭から呼び出しくらって今日の授業ほぼ全部潰れたわくそっ、休み時間は普通に過ごしたけど」


「だから居なかったのか、いや、休み時間いたんか」


あたしがそういう言うと、先生はちょっとだけ笑って、でもすぐ真顔に戻った。


「昼休みは…廊下、何回もウロウロしたけど…葵いなかったんだよ」

「……なにそれ、ストーカーかよ」

「うるせぇ、必死だったんだよ」

先生がちょっとムッとしたように言って、あたしはクスッと笑ってしまった。

お互い、心がボロボロなはずなのに。
こんな風に笑える瞬間があるって、不思議だ。

ほんと、先生といると感情が忙しい。

「…でも、もう嫌だよ、あたし、あんなの見たくなかった」

「二度と見せねぇし近ずけさせねぇから断言する」

先生のその言葉に、あたしの心はまた少しだけ安心する


「俺が葵のこと守るから」

先生はずるいな
そんなこと言われたらもっと好きになってしまう
麻央ちゃんも、もしかしたらそうだったのかもしれない。
このセリフはきっと無意識に言った言葉なんだろうな

あたしにとってはその一言で世界が変わって見えてしまうくらい嬉しかった


「先生、好きだよ」

無意識にそう言ってた
正直麻央ちゃんのことがあって、トラウマになってるかもしれないのに、あたし何やってんだか


先生は驚いて顔があっという間に赤くなっていく



「ばかっ」


先生は顔隠しながらそう言った

可愛いこんなにでかいのになんでこんなに可愛いの!!!


「冗談に決まってんだろ」


照れ隠しにそう言ったあたし可愛くないな

本当は全然冗談なんかじゃないのに。

むしろ、あたしの中でいちばん本気の気持ちなのに。

でも、こんな空気の中で「好き」なんて重たすぎるって、どこかで思ってた。

――なのに。


「……そうやって、冗談って言うとこ、ずるいよな」


先生の声が、思ったよりも近くて。

驚いて顔を上げると、先生はあたしをまっすぐに見ていた。

頬はまだちょっと赤いままなのに、目はすごく真剣だった。

「……本気にしたくなるくらい、嬉しかったのに」

その一言で、心臓が一気に跳ねた。

「きも」

「ぶん殴るぞ」

あたしらにはこんな雰囲気がお似合いだろ
ふわふわした空気は似合わない

そう思ったら、なんだかちょっと笑えてきた。

先生も少し口元を緩めて、肩の力が抜けたように笑ってる。

しばらくの沈黙。

でもそれは、気まずさじゃなくて、なんとなく心が落ち着いてるからこその静けさ。

「な、葵」


「ん?」


「今はどうにもできねぇけど、もし俺の事これからもずっと好きでいてくれるんだったら、卒業する時まで俺待ってるから」

その瞬間、あたしの心臓が跳ねた。

ちょ、ちょっと待ってそれって…


一瞬、意味がわからなかった。いや分かったけど、勘違いだとしたら普通に痛い人になる。

先生はふざけてない。
冗談でも、軽いノリでもなくて。
目をそらさず、ちゃんと、まっすぐに、あたしだけを見てる。


「先生はあたしのことっ」

「どうだろな〜」

「んだよ」

「答えは卒業式に教えてあげっから」

先生が一瞬だけ目を細めて、優しい顔で微笑んだ気がした。

今は、そんなわけないって感の鈍い生徒になろう

卒業式まで長すぎるし、もしかしたらいっときの感情かもしれない


「葵」

先生が、ポケットから何かを取り出して、あたしの目の前に差し出した。

「ん?!ポテトじゃんんん!!」

「購買で最後に売ってたやつ買ってきたお前好きだろ?これあればお前のこと制圧できるしな」

「んん?今なんて言いました?」

「お前の好きなポテト」

「違いますよ?最後に言った言葉です」

「なんか言ったけ?」

「とぼけんなよぼけ」

先生がめっちゃ笑ってる
この笑顔が大好き
笑いながら1回手を叩くのも
全部好き

「けどありがとね無事制圧されました」

先生のそういう、さりげない優しさが、いちばんずるい。いい男だ

それにしても、さっきまで涙で顔ぐちゃぐちゃだったのに、今は普通にポテトもらって笑ってる自分、ほんと単純すぎて引く。

「疲れたろ?俺も疲れたしゆっくりしとけよ」

「んそうだね」

あたしはそっと、先生の隣に体を寄せて、肩にもたれかかった。

先生は耳を赤くさせあたしの頭が痛くならないように高さを調節してくれた

先生の体温が近くにあるだけで、少しずつ心がほぐれていく。

静かな図書室。

閉ざされた世界の中で、誰にも見られない場所で。

あたしは、ほんの少しだけ、現実から逃げることを許された気がした。

「……いつもありがと、先生」

「こっちのセリフだよ」

先生の低い声と、温もりと。

全部、忘れたくない。

たとえ明日になって、また何かが変わってしまったとしても。

今だけは、この気持ちを大切にしていたい。










その後
先生と手の甲が触れて、誰にもバレないように
そっと手を繋いだ。
それは、ここだけの秘密。