「……おい、こっち来いよ」

そう言って私の腕を掴んだ瀬那は、そのまま校舎の裏手へと私を連れていった。

夕方のチャイムが鳴ったばかり。
放課後のざわつきが校内に広がる中で、私たちは裏庭にある、ほとんど使われなくなった小さな旧体育倉庫の前で立ち止まった。

「ここ……?」

「俺、ここよく使ってんの。誰も来ねぇし、静かだし」

鍵が壊れかけた木製の扉を開けると、中には掃除用具と古い備品が雑然と積まれていて、外の光が差し込まないせいで、ちょっとだけ薄暗い。

「やだ、ちょっと怖……」

「別に何もしねぇよ。ビビんな」

「な、何もしないって言われても……!」

「つーかさ、お前……俺と2人でここ来るの、嫌じゃねぇの?」

瀬那は壁に寄りかかりながら、じっと私を見つめた。

その目。
やっぱり、まっすぐで。どこか子供みたいで、でも底が見えない。

「……怖いよ、正直。ちょっとだけ。でも」

「でも?」

「それ以上に……気になる。神咲くんのこと」

ふっと、彼の目元が和らいだ。

「……変わってんな、やっぱ」

「よく言われる」

「俺さ。別に誰とでも喋ったりしねーし、女子とか特に、関わりたくねぇの」

「うん……聞いたことある」

「でもお前だけは、なんか、放っとけねぇ」

息が止まりそうになる。

近い。距離、たったゼロセンチ。

「……神咲くん」

「瀬那でいい。名字で呼ばれんの、嫌い」

「……瀬那、くん」

彼の目がほんの少し見開いて、次の瞬間、すっと手が伸びてきた。

私の髪に触れる指先。
そっと耳の後ろの髪を撫でながら、囁くように言った。

「……呼ばれると、悪くねぇな」

「え……っ」

「俺、お前の声、好きかも」

一瞬。時間が止まった気がした。

手はすぐに離れたけど、髪に触れた感覚と、彼の低い声が、胸の奥で震えてる。

「帰るか。変なとこ長居したら、ほんと噂になるし」

「……うん」

それだけ言って、瀬那は私の前を歩き出す。

その背中を、私は無意識に追いかけていた。

この距離。
心の距離も、ほんの少しだけ、ゼロに近づいた気がしていた。

(▶後編につづく)