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📘 第2話 “好き”なんて、まだ言えない(後編)
翌朝――
昨日のやり取りを何度も思い出しながら、私は少しだけ早めに登校した。
でも、教室に入るとすでにそこにいて、
何もなかったみたいに、机に突っ伏してる“彼”の背中を見つけた。
「……おはよう」
そっと声をかけた。
瀬那は、顔を上げるでもなく「ん」とだけ応えた。
でもそれだけで、私の心はまた騒ぎ出す。
昨日、“また話してくれる?”って聞いた私。
あれは思いきったつもりだったけど、今日のこの空気なら――。
「神咲くんってさ、朝はいつも早いの?」
「……まあ。バス混むの、嫌い」
「ふふ、わかるかも。静かな教室、好き」
「お前さ……」
「……うん?」
「誰にでも、そんな風に話しかけるわけ?」
その言葉に、少しだけ心が凍った。
「……え?」
「俺、話しかけられるの、嫌いじゃないけど。
……お前が誰にでもそうなら、別に俺じゃなくてもよくね?」
嫉妬。
そんな感情を、この人が抱くなんて思ってなかった。
でも、その目。声。
どこか不器用で、子どもみたいで、素直じゃないのにまっすぐで。
「……違うよ」
私はまっすぐ、彼の目を見る。
「私、そんなに誰にでも、話しかけたりしないよ」
「……そうなの?」
「うん。神咲くんだからだよ」
静かに、そう伝えると、瀬那は少しだけ目を見開いて、それから目を逸らした。
「……ふーん」
照れてるのか、何かをごまかすように、
彼はまた頬杖をついて、教科書を開いた。
それだけなのに――
また、好きになりそうだった。
いや。
もう、とっくに好きなんだと思う。
“好き”なんて、まだ言えないけど。
*
昼休み。
席を立とうとしたとき、クラスの女子数人が私の机に寄ってきた。
「ねぇねぇ一ノ瀬さん」
「……うん?」
「神咲くんと仲良くしてるみたいだけど……気をつけた方がいいよ?」
「え?」
「前に話してた子、急に無視されたりしてたし。あの人、飽きたら冷たいって有名」
「そうそう。喧嘩とかで有名だけど、恋愛もけっこうやばいって噂」
――噂。
まただ。
瀬那の名前には、いつも“何か”がついてまわる。
でも、それって本当に彼のことを見てる人の言葉?
「……ありがと。でも、私、自分の目で見て決めたいから」
そう言って教室を出ると、廊下の角で待っていたように、彼の姿があった。
「……何あれ。誰?」
「ただの……クラスの子たち。心配してくれただけ」
「……あいつら、何も知らねぇのにな」
吐き捨てるように言う声に、私は小さく首を振った。
「私が決めるから、大丈夫。神咲くんのこと」
彼は一瞬、目を見開いて、それからふっと笑った。
「お前、ほんと変わってる」
「……うん、よく言われる」
「……でも、それ、悪くないかも」
その一言が、どれだけ嬉しかったか。
“好き”ってまだ言えないけど――
きっと、その言葉を言える日が来るって、そう思えた。
(▶第3話《距離、ゼロセンチ》へつづく)

