📘第4話《秘密と、カフェオレ》後編

旧校舎の裏。
夕方の空は、オレンジから紺へとゆっくり色を変えていく。

その中で私たちは、並んで缶コーヒーを飲んでいた。
瀬那くんが選んでくれた、ほんのり甘いカフェオレ。

缶を持つ手が、ほんの少し震えていたのは、夕方の風のせいじゃない。

(こんな時間、ずっと続けばいいのに)

私はふと、そう思った。

「なあ」

瀬那くんが、ぽつりと口を開く。

「……お前、なんで俺のこと怖くねぇんだ?」

唐突な質問だった。
でも、どこか寂しそうな声で。

「去年……文化祭のバンドの時、ステージ裏でお前に見られたの、俺、覚えてる」

「やっぱり……」

目が合った、あの瞬間。

それは、ほんの一秒だったかもしれない。
でも、私の心にずっと残ってた。

「普通、あそこで目ぇ合ってもすぐ逸らす。みんな、目を合わせないようにする。……でも、お前は違った」

「……怖くなかったんだよ、瀬那くんの目。すごく、まっすぐで」

「まっすぐ?」

「うん。優しさとか、寂しさとか……いっぱい詰まってた」

瀬那くんは無言で空を見た。

頬にかかる髪が風に揺れる。
強そうに見える横顔は、どこか不器用で、あたたかくて。

そのとき、カシャン、と缶の音が鳴った。

「俺、たぶん、これまで“ちゃんと見てもらえた”ことなんてなかった」

「……え?」

「家も、昔の学校も、全部。期待されるか、避けられるか、どっちかだった」

缶を地面に置いて、瀬那くんは私の方を向いた。

「でも、叶愛……お前は、最初から違った」

名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。

「変なやつだよな。俺、ガン飛ばして、態度もデカくて、すぐキレるのに」

「変じゃないよ。……むしろ、もっと知りたいって思った」

私も、缶を静かに置いた。

そして。

「――ねえ、瀬那くん」

呼びかけると、瀬那くんの目が、ゆっくり私を見た。

「私は、瀬那くんの“秘密”、いっぱい知りたい」

それは恋とか、好きとか、そんな言葉より前の感情。
でも、確かに惹かれてる。
もっと、そばにいたいって思ってる。

「俺の秘密なんて、ロクなもんじゃねぇよ?」

「それでもいい。知ってたいの。……私だけに見せてよ、瀬那くんのこと」

沈黙が流れた。

そして次の瞬間。

ふいに伸びた手が、私の前髪にそっと触れた。

「……甘ったれな目、すんな」

「え……?」

「そういう顔、見てると……触りたくなんだろ」

それは、優しさか、欲か。
わからない。

でも。

近づいてくる顔。
夕焼けに染まるその横顔に、私は目を閉じた。

キス、されるって、思った。

……けど。

「やめとく。今やったら、止まんねぇ」

瀬那くんは、すぐ目の前で、ふっと笑ってそう言った。

「でもさ。叶愛」

「……なに?」

「お前の“秘密”も、俺だけに教えろよ」

その言葉が、胸の奥でゆっくり溶けていく。

夕暮れの色が、少しだけ夜に変わった。

私と神咲瀬那の“秘密”は、またひとつ、増えた。



▶第5話《心拍数の距離》につづく