図書係の嘘と恋



階段を下りると、そこは非常口。
その出入り口から、サッカー部の練習の声を乗せた風が入ってくる。


まだ明るい陽の光で影を作ったシュウが、そこにいた。

しゃがんで、壁に背をあずけて、下を向いていた。


そんな姿を見て、私は
小学校のとき、給食のお鍋をひっくり返して落ち込んでたシュウを思い出した。

「……ぷっ」

思わず吹き出して笑う私を、シュウが振り向く。


「……なんだよ、ナツ」

私を見上げたシュウの、その声と目が思ってたよりもずっと弱くて
私は笑い顔を引っ込めた。


「なんだか思い出しちゃって。2年のときだっけ、シュウ、給食のお味噌汁のお鍋、廊下で引っくり返したよね」

「……なんで今そんなこと」

「シュウも、私がお姉ちゃんにアイス食べられて泣いたの、思い出してたでしょ」



シュウは黙った。

何を言えばいいのか迷ってるんだろうな。

お鍋ひっくり返したときみたいに。

「あのとき、シュウは一人でお鍋持ってた子を手伝おうとしたのにね」

「……だからなんだよ」


ふてくされた声は、小さいころと変わってない気がした。


「……だから、メモ帳に返事くれてたのも、意地悪じゃなかっ」

「違う!」

私が言い終わる前にシュウが言った。
その声に弱さはなかった。

「違う、意地悪とかじゃない」

「じゃあ何だったの」


今度は私の声が弱く、震えそうになる。


「なんでタクミ先輩みたいな返事だったの。私がタクミ先輩を好きだからからかったの?私の書いたやつ見て笑ってたの?」

「違う、そんなんじゃなくて」

ちがくて……


そう言ったシュウはまたうつむいてしまった。

風が止む。

サッカー部がボールを蹴る音。
陸上部の何人かが、非常口の前を走り抜けていった。



「じゃあ、なに?」

私もシュウみたいに壁に寄りかかった。

シュウはうつむいたまま、言った。


「……最初は、ちょっと、遊んでただけだったけど…、でも、ナツ、タクミ先輩だって勘違いしてたみたいで」

「…うん、勘違いした」

「ていうか…、おれが書いたやつで…でもおれって分かったら、ナツが、がっかりすると思って」

「私をがっかりさせないために嘘ついたの?」

「……嘘っていうか」


往生際悪い。

でも、これがシュウだって、私は知ってる。


「嘘でしょ。私いまがっかりしてるよ。“サッカー部で目立つポジション”なんて、タクミ先輩としか思わないもん」

「……ごめん」

この、沈んだ小さい声
本当に落ち込んで申し訳なく思ってるときの声だってことも、知ってる。


「ねぇ、タクミ先輩って一人っ子なんだって。知ってた?」

「……えっ」

驚いたシュウが顔をあげる。

「シュウもやっぱり知らなかったんだ?シュウにはお兄ちゃんいるもんね、だから自分もケンカするとか書いたんでしょ」

「……」

バツが悪そうに黙り込むシュウ。

思い通りの反応すぎて、私はなんだか楽しくなってきていた。


「あれは?ジャムパンは?シュウって甘いもの好きじゃないでしょ」


シュウは観念したのか、私の質問に素直に答えだす。


「あれは……タケ屋でジャムパン買って一口食ったけど、やっぱ食えなくて。どうしようかと思ってたらタクミ先輩が『それ食わないならちょうだい』って言って食ってくれて」

「それを、誰かが見たんだ」

「そう。だからなんか、いきなり“タクミ先輩のジャムパンブーム”起きた」

「……ぷっ、奇跡すぎる」

「ジャムパンうまいって先輩が言ったのは本当」

「……そっか」


あのジャムパンにそんな理由があったなんて。
真相を知るのは、私とシュウだけってことだ。


「あれは?あのバンドの話。あれはシュウが好きなの?タクミ先輩?」

MVの話をしたりした、あのアーティスト。

「あれはほんとにタクミ先輩が好きなやつ。部室でよく聴いてた」

「そうなんだ。私もあれちょっと好きになった」

「……おれも」

「……ふふふっ」




顔を見合わせて、二人で笑った。

メモ帳でのやりとりも楽しかったけど、
こうやって直接話すのもやっぱり楽しいな。



グラウンドから、タクミ先輩が後輩たちに指導する声が響いてきた。

真剣な声。
汗だくでも、土に汚れていても、かっこいいタクミ先輩。
私の、憧れだった先輩。

シュウも、そろそろ練習に行かなきゃいけないころだ。


「シュウは、いつ、あそこにメモ帳置いてたの?」

シュウは立ち上がってカバンを背負う。
ちょっとだけ、迷うような顔をして答えた。

「サッカー部の練習、終わるのは図書係より遅いし、朝練は朝早いし。そのときに、先生に言って鍵借りてた。返したい本があるとか、忘れ物したとか」

「……この前の練習試合、見学できないって言ったのは?」

私は一番聞きたかったことを口にした。


シュウは自分の頭の中を整理していたように、数秒考えてから言った。


「メモ帳の相手が、タクミ先輩じゃないって気がつくかと思った。おれ、試合に出ないし。それに」

また、数秒おく。

「……先輩の彼女来るって、聞いてたから」