「こんばんは」


唐突に声を掛けられた。


夜の映画館。町の片隅に位置したその古い映画館は来月取り壊しになる予定らしい。海外勤務だった僕が長期休暇を取ってこの町に戻ってきて、何度も通った映画館。いつも誰にも声を掛けられることなんてなかったのに。


レイトショーの枠で、上映予定の映画は大して話題にもなっていない恋愛もの。しかし映画はまだはじまっていない。これまた流行らなさそうな映画の予告をだらだらと流しているときだった。


僕は後ろの方の席に座っていた。声を掛けてきたのは僕の半分の年も満たないだろう少女だ。制服姿ではなく私服だったが恐らく未成年であろう少女は、けれどこの時間帯を当てもなくふらつく所謂(いわゆる)不良少女と言う感じではなかった。


黒く長い髪はさらりとしていて、肌は白い。目鼻立ちのはっきりとした整った顔の少女だ。


どこか“彼女”を思わせるのは、僕がそう願っているからだろうか。


いつかまた“彼女”が僕の隣の席に座って微笑んでいるその姿を―――未だ夢に見ているからだろうか。


僕は手に握られた映画のチケットの半券をぎゅっと握った。そこからかすれた音が聞こえた気がする。


気がする、と言うのは映画の予告でその音なんて聞こえやしないのだ。けれど確実に音はした。確実に僕の手の中にある。


過去の記憶が―――約束が……


「こんばんは」もう一度少女から声を掛けられ僕はのろのろと少女の方に顔を向けた。


少女は僕の方を向いていて映画予告の光の隙間から笑顔を浮かべていた。そこでようやく声を掛けられたのが僕であると気づいた。


「―――こんばんは」


かすれるような声で答えた。


こんな時間に女の子一人でこんなところに来ちゃいけないよ。お友達とはぐれたのかい?おうちの人は心配してるんじゃないの?


色んな疑問が浮かんでは消え、結局どの質問も口に出ることはなかった。


「こんばんは」


僕はばかの一つ覚えのように挨拶を繰り出す。