マシュマロをふわっと噛んだような高めのテノールとともに、奥からひとり男性が現れた。
(わっ、きれい……!!)

短い黒髪にゆるいウェーブがかかっている。透き通るような肌の持ち主で、黒い目がぱっちりとしてまつ毛が濃く長く、鼻が高く、
紅い唇がぽってりとした面長の美青年だった。右目と左口元の小さなホクロが印象的だ。
真っ白なシルクの長そでシャツを着ている。光の加減によってピンクに見える。有名ブランドのものだ。
ボトムは黒の細身のスラックス。首から、真っ赤なガーネットの丸いトップのついた、銀の鎖のペンダントを下げていた。

「いらっしゃいませ。ご予約の方ですね。お好きな席へどうぞ」
(ど、ど、どこに座ろうかな)
男性はにこやかに右手のひらを見せる。長い頭脳線が2本あり、豊かに編まれた長い感情線があり、太い生命線は手首を超えて伸びていた。

「お食事されましたか」
「あ、いえ、まだ。仕事がいそがしくて」
(実はおなかぺこぺこ)
編集者の仕事には昼も夜もない。月末はスケジュールが大荒れだ。月末進行を終えた月初めの今日でさえ。
もう夜の20時を過ぎているが昼食をまだ食べていなかった。
「アレルギーやお嫌いなものは」
「アレルギーはありませんが、キュウリとトマトはちょっと」
「承りました。サンドイッチはお好きですか」
「え?」

美形がニコニコしている。天国のような風景だが、バーでサンドイッチ?

「す。好きです、が、出していただけるんですか」
「もちろんでございます」
(え? 軽食? カフェ? まちがってカフェに来たかな?)
きちんと下調べをしてきたが、どうやら違う店に入ってしまったらしい。しかも。予約客と間違えられている。
「あ、あの、失礼ですが、
オーナーの方、ですよね。このバーの」
「はい。はじめまして。どうぞよろしくお願いいたします。
お客様からは『エル』と親しみをこめて呼んでいただいております」
美形が両手で白い名刺をくれた。店名と日本の名前と「エル」と言うニックネーム、
それにSNSのアカウントのみが銀色がかった黒い文字で印刷されていた。