放課後、下駄箱前。
マツアはいつものようにセイラを待っていた。 そこへ、ふわりと現れるレムール。
「今日は雨は降らないから安心ね。でも、大好きな先輩とくっついて歩けないのは残念かな」 彼女は悪戯っぽく笑いながら、マツアの顔を覗き込んだ。
マツアは一瞬戸惑いながらも、問い返す。
「君は……なぜ、雨では変異しないんだ?」
「……え?」 レムールはきょとんとした表情を見せたが、すぐに微笑む。 「それはね、マツアが特別だからよ」
「……僕が、ハーフだからか?」
「そう。知ってしまったのね」 レムールはそっと顔を近づける。 「あなたの身体は、大人になるにつれて“血の正体”を表すようになってきたのよ。ようやく、ね」
そのとき、後方から足音が聞こえる。 「マツア、待たせたね」 セイラが姿を現し、マツアとレムールの間にスッと割って入った。 睨むようにレムールを見るセイラに、レムールは小さく肩をすくめる。
「先輩、今日は雨が降らないから残念ねって、マツアをからかっちゃった」 セイラは無言でレムールの言葉を受け止め、言い放つ。 「雨なんて、関係ない」
そう言って、マツアの腕を抱え込むようにして歩き出す。 マツアは少し戸惑いながらも、それに従って歩き出した。
※ ※ ※
その日の夕食の後、マツアは「コンビニに行く」と母に伝え、家を出た。 何かに引き寄せられるかのように、足は海の方へ向いていた。
「肌が海を求めているのか? そんなばかな……」
コンビニからフードを被った少女がふわりと出てきたのを見て、マツアはすぐにレムールだと気がついた。 彼女が向かっている先は、街はずれの防泥壁だった。
光の少ない防泥の端、小さな発光塔の下。 そこには、日が落ちて静まりかけた海が広がっていた。
すでにレムールが待ち構えていた。 「こんばんは、マツア。話したいこと、あるのね?」
「誘導したのは分かっているよ。君は、一体何考えて、何を知っているんだよ…」 マツアの声はきつく、しかし振り切ったものだった。
レムールは夜風にフードをなびかせながら笑った。 「君が特別なこと、どうして隠すの? セイラって子に、嘘つくつもり?」
マツアはレムールを睨む。 「……セイラ先輩には、関係ない。関係させないって決めた」
「ふうん。だけどね、世界のすべてが動きはじめているんだよ。あなたが思っているより、ずっと早く」 いつもふざけているレムールが真顔になった。
「あなたのお父さんは、南太平洋のマラエ・ランガに投獄されているわ。地上侵攻に反対したせいで。王子たちの中でも、特別な立場にあったお方……」
「それは前にも聞いたよ」
マツアは脳の中で、違う意味で「準備できていたつもり」の言葉を反復していた。
「マツア、あなたのお父さんがなぜ投獄されたか、本当の理由を知っている?」 マツアは無言のまま、かすかに眉を寄せる。
「“地上に愛する者を作った”……それが罪とされたの」
「……」
「あなたの存在そのものが、派閥の分裂の火種になった。でも私はね、あなたが選ばれた存在だと思っている。そう、私の母、インド洋を支配するレムリアも――」
風が吹いて、レムールの衣装が漂う。
「インド洋?」
「私たちの祖先、ホツ・マツアには7人の王子がいた。南太平洋のマラエ・ランガが拠点、ファンタジーの世界ではホツ・マツアはラ・ムーとも呼ばれている」
「ムー大陸か?」
「太平洋のど真ん中にそんな大陸あるはずがないわ。私たちの祖先は航海技術が進んでいた。まるで陸を歩くが如くポリネシアの島々を渡り歩き栄えたの。それが伝説となったのがムー大陸のおとぎ話ってわけ」
「7人の王子の末裔の一人がレムールなのか?」
「そう、あなたもよ、マツア。あなたは北太平洋を支配した一族の末裔。私はインド洋、地球の七つの海は私たちの支配下にある」
「なぜ、今になって地上に侵攻するんだ?」
「そう、それが議論を割った。北極海を支配するオロイという長老が動き出した。北極海の永久氷河が地球温暖化によって減少を始めたことをネタにしてホツ・マツアの嫡流、私たちの王をそそのかしたの」
レムールは遠い海の果てを見ているようだ。
「地上人が地球を汚しているってオロイは唱えているわ」
「確かに、それは……」
「マツアは本当にウブね。セイラからあなたを奪いたくなる」
「僕は……」
「海は地球の70パーセントを占めているのは知っているでしょう? 地上の数百キロが汚染されたって微々たるものよ。私たち海棲人にとってはなんの影響もないわ」
何か言おうとしたマツアの唇に、レムールが指を押し当てた。
マツアはセイラの顔がふと脳裏をよぎり、思わず身を引いた。
「私たちを調べている地上人があなたを監視しているから。じゃあまたね、マツア。これで、あなたは気づいたわよね。何を守りたいか、何から考えるべきかを」
レムールはくるりと背を向け、広がる夜海の向こうに歩き出した。
防泥の端から町大通りに戻ると、レムールの言う通り黒塗りの車がいた。
マツアは口を開けようとして、言葉が喉のところで止まった。
──別れまで、あとどれくらい?

マツアはいつものようにセイラを待っていた。 そこへ、ふわりと現れるレムール。
「今日は雨は降らないから安心ね。でも、大好きな先輩とくっついて歩けないのは残念かな」 彼女は悪戯っぽく笑いながら、マツアの顔を覗き込んだ。
マツアは一瞬戸惑いながらも、問い返す。
「君は……なぜ、雨では変異しないんだ?」
「……え?」 レムールはきょとんとした表情を見せたが、すぐに微笑む。 「それはね、マツアが特別だからよ」
「……僕が、ハーフだからか?」
「そう。知ってしまったのね」 レムールはそっと顔を近づける。 「あなたの身体は、大人になるにつれて“血の正体”を表すようになってきたのよ。ようやく、ね」
そのとき、後方から足音が聞こえる。 「マツア、待たせたね」 セイラが姿を現し、マツアとレムールの間にスッと割って入った。 睨むようにレムールを見るセイラに、レムールは小さく肩をすくめる。
「先輩、今日は雨が降らないから残念ねって、マツアをからかっちゃった」 セイラは無言でレムールの言葉を受け止め、言い放つ。 「雨なんて、関係ない」
そう言って、マツアの腕を抱え込むようにして歩き出す。 マツアは少し戸惑いながらも、それに従って歩き出した。
※ ※ ※
その日の夕食の後、マツアは「コンビニに行く」と母に伝え、家を出た。 何かに引き寄せられるかのように、足は海の方へ向いていた。
「肌が海を求めているのか? そんなばかな……」
コンビニからフードを被った少女がふわりと出てきたのを見て、マツアはすぐにレムールだと気がついた。 彼女が向かっている先は、街はずれの防泥壁だった。
光の少ない防泥の端、小さな発光塔の下。 そこには、日が落ちて静まりかけた海が広がっていた。
すでにレムールが待ち構えていた。 「こんばんは、マツア。話したいこと、あるのね?」
「誘導したのは分かっているよ。君は、一体何考えて、何を知っているんだよ…」 マツアの声はきつく、しかし振り切ったものだった。
レムールは夜風にフードをなびかせながら笑った。 「君が特別なこと、どうして隠すの? セイラって子に、嘘つくつもり?」
マツアはレムールを睨む。 「……セイラ先輩には、関係ない。関係させないって決めた」
「ふうん。だけどね、世界のすべてが動きはじめているんだよ。あなたが思っているより、ずっと早く」 いつもふざけているレムールが真顔になった。
「あなたのお父さんは、南太平洋のマラエ・ランガに投獄されているわ。地上侵攻に反対したせいで。王子たちの中でも、特別な立場にあったお方……」
「それは前にも聞いたよ」
マツアは脳の中で、違う意味で「準備できていたつもり」の言葉を反復していた。
「マツア、あなたのお父さんがなぜ投獄されたか、本当の理由を知っている?」 マツアは無言のまま、かすかに眉を寄せる。
「“地上に愛する者を作った”……それが罪とされたの」
「……」
「あなたの存在そのものが、派閥の分裂の火種になった。でも私はね、あなたが選ばれた存在だと思っている。そう、私の母、インド洋を支配するレムリアも――」
風が吹いて、レムールの衣装が漂う。
「インド洋?」
「私たちの祖先、ホツ・マツアには7人の王子がいた。南太平洋のマラエ・ランガが拠点、ファンタジーの世界ではホツ・マツアはラ・ムーとも呼ばれている」
「ムー大陸か?」
「太平洋のど真ん中にそんな大陸あるはずがないわ。私たちの祖先は航海技術が進んでいた。まるで陸を歩くが如くポリネシアの島々を渡り歩き栄えたの。それが伝説となったのがムー大陸のおとぎ話ってわけ」
「7人の王子の末裔の一人がレムールなのか?」
「そう、あなたもよ、マツア。あなたは北太平洋を支配した一族の末裔。私はインド洋、地球の七つの海は私たちの支配下にある」
「なぜ、今になって地上に侵攻するんだ?」
「そう、それが議論を割った。北極海を支配するオロイという長老が動き出した。北極海の永久氷河が地球温暖化によって減少を始めたことをネタにしてホツ・マツアの嫡流、私たちの王をそそのかしたの」
レムールは遠い海の果てを見ているようだ。
「地上人が地球を汚しているってオロイは唱えているわ」
「確かに、それは……」
「マツアは本当にウブね。セイラからあなたを奪いたくなる」
「僕は……」
「海は地球の70パーセントを占めているのは知っているでしょう? 地上の数百キロが汚染されたって微々たるものよ。私たち海棲人にとってはなんの影響もないわ」
何か言おうとしたマツアの唇に、レムールが指を押し当てた。
マツアはセイラの顔がふと脳裏をよぎり、思わず身を引いた。
「私たちを調べている地上人があなたを監視しているから。じゃあまたね、マツア。これで、あなたは気づいたわよね。何を守りたいか、何から考えるべきかを」
レムールはくるりと背を向け、広がる夜海の向こうに歩き出した。
防泥の端から町大通りに戻ると、レムールの言う通り黒塗りの車がいた。
マツアは口を開けようとして、言葉が喉のところで止まった。
──別れまで、あとどれくらい?



