昨夜、母から聞かされた話は、マツアにとって信じがたいものだった。

──回想──

 漁師だった祖父は、ある日、傷ついて海を漂う奇妙な生き物を船に引き上げた。  それは、全身が魚の鱗で覆われた"人間のような存在"だった。  だが、陸に着く頃には、その鱗は剥がれ、端正な顔立ちの青年に変わっていた。

 陸で待つ祖母と母は、祖父の錯覚だと思っていた。  しかし、手当てをする母の前で、青年は目を覚ました。  その瞬間こそが、マツアの父と母の出会いだった。

 二人はやがて駆け落ちし、マツアが生まれた。  だが、父は“自らの存在が災いになる”と悟ったのか、幼いマツアを残し、海へと還っていった。

──現在──

 放課後、いつもの浜辺で、マツアは虚ろな目をして、セイラの隣にいた。

「なんだ、その腐った魚みたいな目は!」

 セイラが冗談めかして言う。

「……さかな……」

 マツアは思わず頭を抱えた。

「どうしたっていうの?」
「……みんな、遠い存在になっていくんです」
「バカだな、あたしも春にはこの街を出て東京で働くけどさ」

 そうだった。セイラ先輩は来春には卒業してしまう。

「卒業したら……先輩はいない……」
「うるうるするなよ。2度と会えないわけじゃない」

 そう言って、セイラはマツアの鼻をつまんで笑った。

 その瞬間、マツアは“秒読みが始まった”と感じた。

──別れまで、あとどれくらい──

 潮風が肌に冷たく感じる秋の終わり。



 その帰り道。

 マツアは自宅の前で、例の黒塗りの車を見つけた。
 とっさに物陰に隠れる。

 玄関から出てきた男は、以前マツアを尾行していた人物だった。
 男が車に乗り去ってから、マツアは急いで家へと入った。

「母さん、今の男……」

「マツア……。あれが……内閣調査室の人間なんだって」

「内閣調査室?」

「信じられないかもしれないけど、本当にあったのよ。いわゆる内調が……。今日、来て話されたの」

 母の表情は怯えと、どこか諦めが混ざっていた。

「先日、あなたと同じような体質の人が、海で遺体として発見されたでしょう。その遺体を引き上げた漁師さんも、殺されたでしょう?」

「僕のこと、彼らは知ってるの?」

「詳細までは……でも確実に“何か”を調べてる。  国はね、私たちを守るって言ったけど、その言葉の裏にある意図は……誰にもわからない」

「僕たちを守る? それとも……閉じ込めるために?」

 母は言葉を失った。

「母さん……どうして、こんなことに……」

「……幼い頃のあなたには、変異は起きてなかった……そう思っていたのよ。  だから私はあなたを育てたの。あの人は……それを知って、自ら海に還った。私だけでも地上に残って、あなたを人間として育てたかった」

 母の声は、涙で震えていた。マツアはその言葉の重さに、黙ってうなずくしかなかった。

 海風が、ひときわ強く窓を揺らした。  それは、過去と未来の境界線を告げるようだった。