“その動画”は、翌朝にはすでに、
クラス中に広がっていた。

制服姿で、れんと公園で抱き合って、
激しくキスをしてるあたしの姿。

口元、首筋、制服の乱れ――
明らかに“未成年の夜”とは思えない内容。

SNSのストーリー、裏垢、匿名掲示板。
あたしの顔が、名前が、噂話と共に、ぐちゃぐちゃに晒されていった。

「やばくね?これ……」

「マジで本人?やば……制服、うちらと同じじゃん……」

「ってか相手って、れんじゃね?クソイケじゃん……」

「のあってさ、モデルやってんだよね?終わったじゃん……」

教室に入ると、ざわめきが一気に静まった。

みんな、あたしを見ている。
でも誰も、目を合わせようとしない。
あからさまにLINEを回して、距離をとる女子たち。

「……はぁ、マジ疲れた」

席につくと、後ろの席の男子がわざとらしく舌打ちをした。

「え?あんな動画撮られてるとか、ビッチじゃね?」

「ガチで引いた。あれで“学級委員”とか、笑える」

(うそ……なんで、こんな……)

鼓膜が痛い。心が震える。
呼吸が浅くなって、教室の空気が重くて、息ができない。

(ゆあ……ゆあが、流したの……?)

でも、証拠はどこにもない。
SNSの投稿は、全部“匿名”から。
アカウント名も、裏垢専用。特定なんて、できるわけない。

「のあ、大丈夫?」

莉子が小声で話しかけてきた。
あたしの“数少ない”味方。

「……うん、大丈夫」

(嘘。全然、平気じゃない)

***

昼休み。
彼――“れん”の姿がなかった。

(……どこ?)

LINEをしても未読。
既読すらつかないまま、時間だけが過ぎていく。

そして、昼休み終わり。
廊下の隅で見つけた彼は、顔を伏せて、携帯を握りしめていた。

「れん……」

声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。

その瞳は、曇っていた。

「……見たよ、動画」

「ごめん、あたし、信じてくれるって……」

「のあ、なんで……あんな映像があるんだよ。
俺、撮られた記憶ない。
誰かに、盗撮されたのか?」

「……ゆあ、かもしれない」

「……は?」

「ゆあが、“のあを壊す”って……わたしに言ったの。
“れんも、天音も、全部奪う”って……」

れんの拳が、ぎゅっと握られた。

「……あいつ、そこまでやってんのかよ」

「信じて……あたし、れんを傷つけたくないの。
ちゃんと、守るから」

「のあ……」

彼の手が、わたしの頬に触れた。

「何があっても、俺はお前の味方だからな。
動画ごときで、俺らが壊れるわけない」

その言葉が、胸に沁みた。

でも――

どこか、遠くに感じる“距離”も確かにあった。

(れん……もう、あたしを抱きしめてくれないの?)

***

放課後。
家に帰ると、天音がソファでスマホを見ながら、わたしを待っていた。

「姉貴……おかえり」

「……ただいま」

玄関で靴を脱いで、リビングに向かう。
その時、天音の目が、あたしの制服の“首筋”を見つめた。

「まだ……痕、残ってるな」

「……え?」

「れん君に、つけられたやつ。
動画にも映ってた。なあ、あいつ……あの後、何してきた?」

「……なにも。ほんとに、キスだけ。
ちゃんと断ったし、それ以上は……」

天音はゆっくりと頷いた。

「そっか。なら、よかった」

「天音……?」

「今日な。学校の掲示板にも貼られてた。
“のあは売女”って書かれてた。
動画と一緒に、姉貴の個人情報まで晒されてた」

「……っ」

「これ、完全に“犯罪”だよ」

「……警察、行く?」

「行っても証拠がない。裏垢も、非通知も、匿名掲示板も――
どうせ特定できねぇように、上手くやってんだろ」

「じゃあ……どうすれば……?」

「姉貴」

天音が立ち上がって、あたしの手を握った。

「今夜、俺の部屋来いよ。
話したいことがある。……お前にだけ、見せたいもんもある」

「……うん」

その声が、妙に静かで、でもあたたかくて、
わたしはただ、頷くしかなかった。

***

夜。
天音の部屋。

相変わらず、男っぽくてシンプルな空間。
でも、どこか落ち着く匂い。

「座ってて」

ベッドの端に座ると、天音は引き出しから、一冊のノートを取り出した。

「これ……?」

「日記。
俺がずっと、書いてたやつ。
お前のこと、毎日、綴ってた」

ぱらりと開かれたページに、あたしの名前が何度も書かれていた。

“今日も姉貴は笑ってた”
“姉貴が涙を流した日。俺は何もできなかった”
“姉貴を守るためなら、なんだってする”

「……これ、いつから……」

「中学の頃からずっと。
俺、気づいたんだよな。
“姉”としてじゃなくて、“女の子”として、お前を見てるって」

その言葉に、鼓動が跳ねた。

「……天音」

「お前が誰と付き合おうと、
誰にキスされようと、
俺は、お前だけを見てきた」

彼の手が、あたしの頬に添えられる。

そのまま、唇が近づいて――

「……っ」

でも、わたしは思わず首を振った。

「……ごめん、天音。
あたし……今は、混乱してて……」

「分かってるよ。
今すぐどうこうしようなんて、思ってねぇ」

彼は微笑んで、わたしの髪を撫でた。

「ただ、伝えたかった。
お前が“誰にも信じてもらえない”って思ったとき、
“俺がいる”って、思い出してくれたら、それでいい」

涙が、こぼれた。

天音の前でだけは、素直に泣けた。
あたしは、何も守らなくてよかった。

この夜、
ふたりきりの部屋で、わたしは――
はじめて「弟」としてじゃなく、「支え」として天音を受け入れ始めていた。