弟の夜、屋上の秘密



『今夜、屋上来い。話ある』

天音からのLINE。
文面はいつも通りぶっきらぼうだけど、その短さが逆に気になった。

(屋上……? なんで?)

いつもなら、自分の部屋に呼ぶか、リビングに下りてきて「姉貴」ってぶっきらぼうに話すだけ。
それが――わざわざ“屋上”なんて場所を指定してくるなんて。

(……何か、あるんだ)

21時すぎ。家政婦さんの気配が薄くなるタイミングを見計らって、あたしは静かに階段を上った。

2階、3階……そして、滅多に使わない鍵付きの屋上扉を、そっと開けた。

「……天音?」

「遅い」

屋上の風に吹かれながら、天音は一人、柵に寄りかかっていた。
白のTシャツに、ジャージの下。原付のヘルメットが傍に置かれてて、今日は学校帰りにそのままどっか行ってたらしい。

「……何? 急に屋上なんて」

あたしが近づくと、天音は視線を外したまま言った。

「……姉貴、あの女のこと、終わらせたんだな」

「……うん。今日、証拠出して。正式に動いてもらうって」

「ふーん。……やっぱ、姉貴はつえぇな」

ポツリとつぶやく天音の声に、どこか迷いが混じっていた。

「……何か、あったの?」

「……ちょっと。言っときたいことあるだけ」

そう言って、天音は柵から背を離し、あたしの前に立った。
月明かりに照らされた彼の横顔は、どこか――大人びて見えた。

「俺、アイツ――橘彩芽と、昔関わってた」

「……え?」

「……1年の時、ちょっとだけ。ヤツ、俺のとこ通ってきてた。“姉貴の知り合いですー”とか言って近づいてきて」

(彩芽が……天音に?)

「俺は興味なかった。けど、あいつ、俺のスマホ勝手に触ったりして、いろいろ探ってたみてぇだ」

「……どうしてそんなこと」

「わかんねぇ。でも、多分……姉貴のこと、最初からターゲットだったんじゃねぇか」

「……!」

「俺のスマホには、姉貴の写真もある。連絡履歴も。家の情報とかも、あいつ、それで調べたんじゃねぇのかって思ってる」

……寒気がした。

そんなに前から。
そんな風に。
狙われてた――?

「俺、マジで気づかなくて……悪かった」

天音が小さく頭を下げる。

いつも強気でツンケンしてる弟が、こんな風に謝ってくるなんて――

「……謝ることじゃないよ。天音が悪いんじゃない。気づかずにいたのは、あたしも同じ」

「……いや。俺は守れたはずだった。……それが悔しい」

天音の声が震えていた。

「姉貴が泣いてんの、知ってた。部屋でずっと布団かぶって、声殺してたのも。……知ってたのに、動けなかった。クソだった、俺」

「……天音」

思わず、その体に腕を回した。

「ありがとう、話してくれて。……天音が言ってくれて、すごく、救われた」

しばらくの沈黙。

天音の体温が、思ってたよりあったかくて。
この弟が、ずっと近くで見ててくれたことが、胸にじんわり広がった。

「……姉貴、俺が守る。もう誰にも……あんな顔、させねぇ」

ぎゅっと抱きしめ返されたその腕が、少しだけ震えてた。

(この子も、戦ってたんだ)



翌日。

教室に入ると、空気が違った。

ザワザワ……とした空気。
みんなが妙にそわそわしてて、あたしを見ては目を逸らす。

(……また何か?)

その時だった。

ガタンッ――と椅子が倒れる音。

彩芽が、教室の中央で叫んでいた。

「嘘ッ!! アンタたち……信じてたのに……ッ!!」

誰かがスマホを手にしてて、そこには――
“彩芽の裏垢”の画面が映っていた。

「あんたが言ってたこと、全部嘘じゃん」
「のあちゃんの加工画像、自分で作ってたってマジなの?」
「まじでやばくね?引くわ」

ざわっ、ざわざわ……と、クラスの温度が一気に下がる。

「ちがっ……違うの……っ! そんなつもりじゃ……!」

彩芽の声は、どこにも届いていなかった。

あたしはもう、何も言わなかった。
恋が手を取ってくれて、ゆあとあきらが側にいた。

それだけでよかった。

「あれだけ人のこと晒して、今さら何泣いてんの?」

その一言で、彩芽は崩れるように膝をついた。

これが、終わり。

そして――

放課後。

あたしは屋上に向かった。
また、あの風に吹かれたくて。

でもそこには、先に来ていた人影があった。

「……天音?」

彼は、珍しく制服のまま。
煙草は吸ってなかったけど、指先が少しだけ震えてた。

「……姉貴。ちょっと、話あんだけど」

あたしが近づくと、彼は真剣な顔で言った。

「姉貴のまわり、まだ終わってねぇかも。……もうひとり、怪しい奴がいる」

「……え?」

「俺のとこに、また来た。……女。今度は“ゆあ”の名前出して、なんか探ってきた」

(……誰?)

その瞬間、背筋がゾワリとした。

終わったと思ったのに。

(……新たな“影”が――)