保健室のカーテン越し、誰かの泣き声が聞こえた気がした。

違う、それは――

…あたしだった。

自分の喉から漏れた、壊れたみたいな泣き声が、空気ににじんでいた。

教室を飛び出して、誰にも何も言えずに保健室のベッドに潜り込んで。
カーテンの中に籠った匂いすら苦しくて、息ができなかった。

「……なんで、あたしが……」

誰も信じてくれない。
先生も、クラスの子も、…あんなに仲良かった子まで、みんな、冷たい目で。

晒された。
SNSに、勝手に撮られた写真。
ありもしない噂と一緒に。
加工されたLINEのスクショ。
誰かが作った動画。

“ギャルのくせに清純ぶるな”
“モデルとか調子乗ってる”
“彼氏いるのに遊んでるらしいよ?”

全部、ウソ。
全部、ウソなのに。

それを信じたみんなの目が、あたしの心を裂いてくる。

「やだ、やだやだやだっ……」

何度目かわからない言葉が、喉で擦れて、涙と一緒にこぼれ落ちる。

でも、何も変わらなかった。
どれだけ否定しても、どれだけ心の中で叫んでも――届かない。

怖い。
人が怖い。
世界が怖い。
全部、敵みたいに見えて、息ができなかった。

「のあっ!!」

ドアが開く音と同時に、聞き慣れた声が響いた。

「……恋…?」

ベッドのカーテンが開いて、あたしの前に彼がいた。

真っ赤な目をして、肩で息をして、まるで何かを壊しそうな顔で。

「…なんで、ここに……」

「彩芽が教室でなんか言ってたって、唯愛から聞いた。……のあが、保健室に行ったって」

「……そっか」

うん、なんか、涙がまた出てきた。

彼の顔を見た瞬間、崩れてたものが全部、あふれて。

「っ、ひっく……ぅ、れん……っ……」

何も言えなくて、ただ泣いてるあたしを、恋は黙って抱きしめてくれた。

「いいよ。泣け。俺の前じゃ、全部、出していい」

耳元でそう囁く声が、優しすぎて、反則で。

「……っ……なんで、みんな信じてくれないの……? なにもしてないのに……」

「俺は、信じてる」

「……でも、他の人は……」

「関係ねぇよ。……お前が苦しいなら、それが真実だ」

恋の言葉は、あたしの心にすっと入り込んで、奥でじんわり溶けていった。

何も求めず、何も責めず、ただ、あたしを「守る」ことだけに必死な彼の腕が、あったかくて。

「もう、無理かも……全部、こわくて……」

「のあ。見ろ、俺の顔」

ぐしゃぐしゃな顔のまま、彼を見上げた。

「俺は、お前を絶対に、ひとりにしねぇ。お前が、全部壊れそうになっても、俺が全部支える。だから――」

彼の指があたしの頬に触れて、濡れた涙をぬぐった。

「……俺のことだけ、信じてろよ」

そんなの、…泣くしかないじゃん。

――壊れた日常の中で、
たったひとつ残った光みたいに、彼がいた。



数時間後。放課後。

先生との話し合い、ゆあと恋の付き添いで受けた簡単な事情聴取。
両親にも連絡がいっていたらしいけど、海外出張中だった。

騒動は校内で広まり、彩芽は“のあと揉めてる”って噂に包まれ、ちょっとした注目の的に。

でも、彩芽は平気な顔で笑ってた。
まるで、なにも起きてないみたいに。

その「平気な顔」が、いちばん怖かった。

(なんで、彩芽が……)

あんなに仲よかったのに。
一緒にプリ撮って、カフェ行って、恋バナして――。

あの時間は、なんだったの?

あたしが壊れそうな顔をしても、彼女は、ただ、笑っていた。

「のあ、大丈夫?」

ゆあの声で我に返った。

「…うん。ありがと、ゆあ」

「今日はうち来なよ。親もOKしてくれてるし」

「ううん、大丈夫。…今日は、恋と帰る」

「……そっか。じゃあ、また明日ね」

唯愛が優しく笑って、手を振ってくれる。

この世界に、味方はちゃんといる。

たとえ、全員が敵になったとしても、恋とゆあがいれば――。

「のあ、帰るぞ」

「うん」

恋と手を繋いで、歩き出す。

街はもう夕方の色で、少し肌寒かった。

でも、彼の手は、ずっとあったかいままだった。



白咲家の部屋。

恋と並んでベッドに座り、ぼんやりと天井を見上げてた。

さっきまで泣きつかれてたせいか、体は重いのに、心は少しだけ軽くなってた。

「のあ」

「ん?」

「……もう限界になったら、俺の前では、全部さらけ出せ」

「……うん」

「誰かに裏切られても、誰にも理解されなくても、俺だけは……絶対、お前の味方だ」

そう言って、彼はあたしを引き寄せた。

「……あたし、恋がいなかったら、たぶん今日、壊れてた」

「壊れそうな時は、俺が全部抱きしめる。な?」

「……うん」

彼の唇が、そっとあたしの額に触れる。

それだけで、心がふわって緩んで――

気づいたら、また涙がこぼれてた。

「バカ、泣きすぎ」

「うるさい。……泣かせたのは、恋だし」

「じゃあ責任とるわ」

彼の指が、そっと頬に触れて、そのまま唇へ。

「……っ、…恋……」

「愛してるよ、のあ」

そう言って重なるキスは、今までよりずっと深くて、ずっとあたたかかった。

外では嵐みたいに世界が荒れてるのに、
ここだけは、静かで、やさしかった。

(……ここが、あたしの居場所)

今だけは、それでいいと思えた。

どれだけ壊れても、
彼がいる限り――あたしは、大丈夫だって思えた。