わがまま王子の取扱説明書

ミシェル・ライネル12歳。
現在動悸が半端なく、体温が無駄に上昇し、血圧がヤバいことになっている。
ミシェルは、現在自分の中で起こっている激しい化学変化を、恋と認識した。

(私はどうやら恋をしてしまったようだ)

しかも男相手に、一目惚れだ。
あり得ない。

「あり得ないっつったら、あり得ないんだよっ!」
ミシェルは甲高く叫び、自身の思考を打ち消すべく、その記憶を抹消すべく、
自室の壁に激しく頭を打ち付けた。

うん。頭痛い……。(色々な意味で)

「私の目には、ミシェル様は美しい方だと映っております」

先程出会ってしまった天使が、そう言った。

ミシェルの脳内が、お花畑状態になる

(あはは~♡ うふふ~♡ 
 手を腰に当て、スキップをしたい心境だ)

美しい方……。
美しい方……。
美しい方……。

恋の脳内リピートがエンドレスに鳴り響き、天にも昇りそうな心地がする。
(嗚呼、私はなんて幸せなんだろう)
ミシェルは愛用の枕を抱きしめ、うっとりと呟いた。

天使の名は、ゼノア・サイファリア12歳。
隣国の王太子(♂)だ。

現実の障害が半端ない。

ミシェルは白目を剥いて、枕を壁に向かって投げつけた。

(一体何を浮かれているのだ、私はっ!
 無理じゃん! 絶対無理じゃん! これじゃあ告白すら出来ねぇじゃん! 
 恋愛始まる前から、すでに詰んでるじゃんっ!
 国家国民絡む前に、男同士ってどうよ?
 私に想われているって事がバレたら、キモがられるだけじゃん!
 好きな人にキモがられるとか、私のガラスの心臓が持つわけないじゃん……。
 よし、もしバレたら切腹しよう……)


密やかにやばい決心をするミシェル・ライネル12歳、思春期真っ最中であった。

そしてその天使はこうも言った。

「ああ、だからですね。ミシェル様の体格が、貧弱でモヤシみたいなのは」

貧弱で、もやしみたい……。
貧弱で、もやしみたい……。
貧弱で、もやしみたい……。

(悪魔か、あいつは……)
恋の脳内リピートが、今度はミシェルを奈落へと突き落とす。

ミシェルは激しく落ち込んだ。

服を脱ぎ、全身を姿見に映すと、なるほど確かに貧弱でモヤシみたいだ。

家庭の事情は事情として、
これは自分が生きるということに、きちんと向き合ってこなかったことの結果だ。

「確かに甘えていたな、私は」

ミシェルは苦々しく呟いた。

(食べることは苦手だ、
 だが努力をしようと思う。
 あいつに認められるために)

そういうわけでミシェルは、用意された食事を完食するところから始めた。
それはミシェルが、生きるということを受け入れた瞬間だったのかもしれない。

傷つき、閉ざされていた世界が開かれたとき、
ミシェルは初めて自分に注がれている愛を知った。

「ミシェル様がお食事を完食なさいました」

給仕役から報告を受けたアレックが廊下を走り、

「ミシェル様っ! お食事を完食なさったと伺いました」

ノックを忘れ、小躍りしそうな勢いで喜びを表現している。
頭脳明晰、冷静沈着を地で行くこの完璧執事が、である。

「食事くらいで、大袈裟なんだよ」

ミシェルは少し恥ずかしかった。
だが、温かい気持ちにはなった。
自分を心配し、自分の生を喜んでくれる人が、たしかにここにいる。
そう思うことができたから。

「午後は少し散歩がしたい、家庭教師の予定を都合してくれ」

ミシェルがそういうと、アレックが破顔した。

「畏まりました」

紫宸殿へと続く石畳の両脇には、楓が植えられている。
夏の日の命の燃えるような新緑の時を経て、
今は秋風に吹かれる移ろいの時。
葉は黄金色に、また鮮やかな紅へと色付き始めている。

風に吹かれて、ひとひらの葉が舞い落ちると、
ミシェルが感慨深げに、それを拾い上げた。

ミシェルは夏に、大きな発作をおこしてから、
ずっと食欲もなく、体調も悪くて外出ができなかった。

死というものと隣り合わせの日々の中で、
部屋の中で眺めていた外の世界に、今自分は触れている。

穏やかな木漏れ日の温かさ、頬を撫でる秋風の冷気。
それはとても不思議な感覚で、
しかし決して当たり前のことではない、とミシェルは思う。

少し湿り気を帯びた楓の葉には、生命がある。
それは掌の中にある紛れもない生の営みので証で、
確かに自分はそれを握っているのだと、ミシェルは自覚する。

自分もまた命を取り留めて、この場所に生きている。
いや、生かされているといった方がしっくりとくるのか。

いずれにせよ自身の見つめているものが、変わったのだ。

遠目に見える城内の馬場では、ゼノアが乗馬の訓練を受けている。
元来運動神経がいいのだろう。
背筋も伸び、フォームも美しい。

眩しいものをみるかのように、ミシェルが目を細めた。

「ゼノアは美しいな」

ミシェルがそう呟いた。
それはミシェルにとって、生命(いのち)へ賛歌であり、
太陽への憧憬だったのかもしれない。

今のミシェルにとって、ゼノアとはそういう存在なのだ。

アレックがミシェルに優しい眼差しを向ける。

「ゼノア様は筋が良いですね、勉学も優秀だと聞いています」
「病気に甘えていた私は何もかも劣っている。だがな、見ていろ。アレック
 必ず追いついてみせる」

ミシェルは(くるぶし)に力を込めて、歩き出した。