わがまま王子の取扱説明書

「ぶぇっくょん!」

特大のくしゃみと共に目が覚めた。
身体がだるい。
これはひょっとすると、やってしまったかもしれない。
ミシェルはベッドの中で思案を巡らした。

昨日の夜会で、薄着だったゼノアに上着を貸して
イチャコラしたのが災いしたか……。

(くっそ、あれしきのことで……)

己が虚弱体質が恨めしい。

過保護執事にベッドでの安静を命じられ、暇を持て余していると、
天使が見舞いにやってきた。

虚弱体質最高!
ミシェルのテンションが上がる。

「お加減はいかがですか?」

そういってゼノアが気遣ってくれるのが嬉しくて、
くすぐったい。

ゼノアはりんごを剥いてくれたり、粥をたべさせてくれたりと、
それはもう細やかな心配りをしてくれる。

(これではついうっかりと
『結婚してください』って口走りそうになるではないか)

微熱とともにミシェルは脳内恋愛ホルモンを持て余す。

ゼノアの優しさは尽きるところを知らない。
果ては本棚にあった少年漫画の朗読までしてくれる。

「だっだだだだだ! ごふっ、くそっ、やるなカカトット!」

しかもすっかり伝説の野菜星人ベジターに
なりきって読んでくれるので臨場感が半端ない。
よし次は愛読書の少女漫画をリクエストしてみるか。
主人公の好きな男の名前を『ミシェル君』に
変えて読んでくれないかな。

「あたし……あたし……ミシェル君が好きなのっ」

朗読でもいい、言われてみたい。

こんなまったりとした時間を過ごせるならば、
たまには風邪をひくのも悪くないなと
思っていると、そうこうしているうちに、昼になり、
午後からゼノアは茶会に招かれているらしいので
支度の為に部屋を出て行った。

ゼノアが後にした部屋の扉を眺めているうちに

「ちょっと待て、ゼノアを茶会に招いたのはどこの雌豚だ?」

むくむくと嫉妬心が沸いてくる。

館の車止めから、エンジン音が聞こえていたので、
きっとゼノアはもう行ってしまったんだ。
私ではない、どこかの雌豚の所へ……。

ゼノアは綺麗だ。
ゼノアは優しい。
運動神経もいいし、華もある。
ダンスもうまいし、会話もうまい。
誰もが愛さずにはおれない存在で
今日も誰かがきっとゼノアを取り合っている。

だけどゼノアの心はどこにあるんだろう。
ふとそう思った。
そこにあるようで、そこにない。
傍にいてやらなければ、ゼノアはまた一人で泣いているような気がした。

そんなことを考えて窓を見たら、小鳥が一羽空に舞った。

もし、自分がもっと元気だったら、
私は迷わずゼノアを追ったのに。

(あの小鳥のように自由に飛び立つことができたなら、
迷わずゼノアのもとに行ったのにな)

そんなことを考えて瞼を閉じると、いつの間にか寝入ってしまっていた。

夢を見た。
それは昔にあった出来事で、

「やーい!やーい! 父無し子」

そう言って私は使用人の子に石を投げられ、額から血を流している。

不思議と痛みはない。
しかしそれは不思議なほど色のない世界だった。

館に帰ってどうしたのかと問われたとき、
私は『転んだ』と答えた。

使用人の子供がそういって自分を罵るのだから、
当然使用人が口を噤んでいるはずはない。

「ミシェル様の父親、誰だかわからないんですって」

否が応にもその声は耳に入ってくる。
私には父がいない。
最初からそうだったので、寂しいとは思わなかった。
だけどやっぱりその場面にも色がない。

また違う夢をみた。
これも昔にあった出来事だ。

私は部屋の扉を見つめている。

部屋にはクリスマスツリーが飾られ、暖かなろうそくの灯が揺れている。
それはひどく幸せな光景で、

「今度の休暇には母上が帰ってくる」

ただそのことを期待して、ワクワクして、
母と過ごせるクリスマスを心待ちにしていた。
しかし結局クリスマスの当日にカードが一枚届いたっきりで、
母は仕事が長引き帰ってこれなくなった。

「仕方ないもんね、お仕事だもの」

そう呟いた私の中から、やっぱり色が消えた。
モノクロの世界で私は部屋の扉を見つめている。

結局のところ、私には父も母も縁遠いのだと心を閉ざした。
その時からか、自身の体を激しい発作が襲うようになったのは。

◇◇◇

「ここは……?」

覚醒しきらない意識のなかで、ぼんやりと目を開けると、
ああ、ここは自分の部屋で、やっぱり私は開かない部屋の扉を見つめている。
すでに夕刻になり部屋は薄暗い。
ひどく喉が渇いていて、ひりつく。
ミシェルはベッドから体を起こそうとするが、うまく力が入らない。
気怠感が時を追うごとに強くなっていく気がする。

「ミシェル様、お加減はいかがですか?」

そばに控えていたアレックが、ミシェルの額に手を当てる。
ミシェルがその手に自分の手を重ねた。

「お前だけだな。私のそばにずっといてくれたのは」

ミシェルの頬に涙が伝った。

「ミシェル様?」

アレックの目が見開かれる。

「熱のせいだ。気にするな」

ミシェルが嗚咽をこらえる。

「これはいけませんね。
確かに熱が上がってきています。至急処置を施します」

執事の声色に緊張が走ると、にわかに館が慌ただしくなった。