この恋情は人工ではない

 そうして私は、何ひとつ刺激の無い生活を送ってきました。それは良いことです。何も無い日より良い日はないのですから。
 ですが、度が過ぎます。
 私は眠る必要がありません。24時間365日フル稼働ですから、眠るなくても常に脳は冴えています。つまり、夜というのはとんでもなく暇なのです。
 目を瞑ることはできます。ですがいつまで目を瞑っていても眠りには落ちないですし、当然夢も見ません。
 いつもは学校で出た課題をこなすことで暇を潰そうと試みますが、私はAIです。解けない問題など、あるはずがないのです。計算演習にしても、英作文にしても、現国の振り返りも日本史の調べ学習も。全て手を動かしているだけで終わっています。
 両親とは別室で、一戸建てにしては薄い壁からお父さんのいびきが聞こえます。お母さんの静かな寝息も聞こえるほど、夜というのは静かです。

 ふと思い立って、深夜徘徊をしてみることにしました。普段、こんな思い付きをすることはないですが、少しばかりの刺激を求めて。

 時計を見ずに出かけてしまいましたが、私はインターネット回線が繋がっているのでわかります、今は22時です。割と遅くないと思ったでしょう?私の両親は就寝時間が早いので、9時には消灯されるからです。
 外は少しだけ肌寒いです。私の中にある温度計は15℃を示しています。
 何となく、駅に向かいます。通りに植えられた桜は、朝や夕方にしか見たことありませんでしたが、夜に見る桜も美しかったです。何でも、新鮮なものは美しいです。
 いつもはこの交差点を真っ直ぐに進んで駅まで行くのですが、せっかく深夜(と言っても22時ですが。)に来たのにいつも通りの道を歩くのは面白くないです。思い切って、右に曲がることにしました。
 私には地図がすべて頭に入っているので、どこに何があるのかわかっていますが、それでもこの目線で実際に歩くのは違います。
 疲れ切って死んだような顔をしているサラリーマンと、夜の大人のカップル、大声で話す酔っぱらいの大学生らが道を歩いていました。どの人たちも、人間らしい人間でした。

 しばらく真っ直ぐ歩いたり曲がったりを繰り返していると、ひとつの駅にたどり着きました。春ヶ崎駅です。確かこの駅は、私が翠星高校まで行く途中にある駅でした。
 ここは、川に近いところにあります。そのせいか、私の家の周辺よりずいぶんと寒く感じました。
 けれど、川沿いに並ぶ桜が綺麗です。駅の改札の前からそれが見えて、私は近くの柱に寄りかかって呆然と景色を眺めました。風が吹いてくる度に、桜の花びらが数枚やって来ました。夜空に照らされて青色に見えます。
 静かな夜に、虫の声だけが響き渡ります。クビキリギスの声です。姿は見えないけど、"春の夜に鳴く虫"だけでわかってしまうのがAIというものです。
 しばらくすると1本、電車がやって来ました。これが終電だと思います。今は23時30分ですから。改札から続々と人が出てきます。
 それを目で追っていると、見覚えのある顔が、姿が見えました。そう、白石天慈です。
 ……目が、合ってしまいました。彼のその澄んだ瞳に惹き付けられてしまいました。
 まだ制服のままで、ワイシャツのボタンは上までとまっています。彼は律儀だからです。そして紺色の長いスラックスにしっかりと収まった足。身長は178cmくらいで結構高いです。
 こちらへ、やって来ます。
「何してるん、ですか」
 彼は少し動揺しているように見えます。普通に考えればそうで、私みたいなただのクラスメイトが深夜の駅にただ1人立っていたらそれは、不思議なことでしょう。
「少し歩いてただけ…ですね。深夜徘徊的な」
「ああ、そう…ですか。そういうときもありますよね」
 そう共感されましたが、彼は全く深夜に散歩などしなさそうです。
「白石さんこそ何をしていたんですか?」
「俺は、予備校です。美術の」
「へえ。確かに絵、とっても上手かったですよね。この時期から予備校って、芸大に進むのですか?」
「そのつもりだけど、まだわかんないです。勉強の方が得意だと思ったら普通の大学生行くし、美術の方が得意だったら芸大に、みたいな」
 好きなほうを選んだら良いのにと、そう思いました。
 ですが彼には彼の人生があります。それを干渉してしまえば、AIは失格です。
「予備校はどんなことをするのですか?」
「色々分野があるんだけど、俺は彫刻です」
 彫刻、その響は美しいです。てっきり、あんなに私の心を動かすような絵を描くのなら油絵科や日本画科かと。
「彫刻って、何をするんですか?」
「水粘土とかで人間の頭部とか抽象物とか造形するのがメインで、あと普通に絵も描きますよ、石膏のデッサンとか」
 私が感心していると、彼は言いました。
「あと、思ってたんだけど…普通に席隣だし、タメ口でいいよ」
 彼のタメ口には違和感がありました。普段あれだけ冷淡で、私よりも無感情そうだからでしょう。彼が初めて笑った時のことを今でも覚えています。
「うん、じゃあ…タメ口で話すね」
「そうしよ。ていうかこんな遅いけど、親御さんは心配してないの?」
 自然に親御さんという言葉が出て来る彼は、とても良い環境で育ったのだとよくわかりました。それを証明するかのように、彼の背はいつでも伸びていますし、制服を着崩している姿も見たことがありません。
「多分寝てるから大丈夫だよ」
「そう。もう遅いし、帰るとき気をつけて。川沿いだから寒いし……あ、帰り道とかわかるの?」
「わかるよ。」
「じゃあ、気をつけて。また明日ね」
「ありがとう、また明日」

 無理に女の子を家まで送ってあげようとしないところが、サッパリしていて良いと思いました。未だに白石天慈という人物がどのような像なのか、学習できずにいます。
 そうして白石天慈は、川沿いの道を歩いていきました。だんだん小さくなる彼の後ろ姿をしばらく確認して、そして私も家に帰りました。