その薬指には、もう、あれの姿は無かった。

泣くつもりなどこれっぽっちもなかったのに、わたしは泣いていた。

「すまない。真央、すまない」

「謝るなんてずるいわ。卑怯よ」

「すまない。でも、おれは環奈と結婚するよ」

もう一度、すまない、と亘は言った。

わたしは何も答えず、頷く事すらせず、そこに立ち尽くして泣き続けた。

真央、とわたしの名前を甘い声で囁き、亘はわたしを抱き締めた。

ブルガリプールオム。

亘の匂いが、わたしは大好きだった。

「亘。わたしはあなたと環奈が憎たらしくて、仕方ないわ」

「憎んでくれて構わない。許してくれとも、言わない」

「離して!ずるいわ!こんなふうになっても、わたしを抱き締めるのね。酷い男ね」

わたしはいつになく興奮していて、亘の分厚い胸板を思いっきり突き飛ばした。

そして、ふらつきながら後退する亘に、ルイヴィトンのバッグを叩き付けた。

「返すわ。こんな物、もう要らないもの」

道行く人達が面白い可笑しい眼差しで、わたしと亘の喜劇を鑑賞していた。

泣き続けるわたしの右横を、森林のような清らかな香りが通り過ぎた。

その人を見て、わたしは目を丸くした。

「返すなんて勿体無いよ。これ、は手切れ金変わりだよ」

亘の足元に粗末に転がったそれを拾い上げ、わたしの手に持たせたのは、立ち去ったはずの隼だった。

亘は口をあんぐり開けて、隼を物珍しそうに見つめていた。