「みつる! みつる!」

 早朝の家の前。昼間の河川敷(かせんじき)。夕方の公園。
 スライドショーのように移り変わっていく景色。そして、俺の名前を連呼(れんこ)する声。
 だけど、声の主の姿はどこにもない。
 ひたすら呼び掛けてくるお前に、俺は、振り向きもしなかったから。

「みつる、今日はどこいくの!」

 好意に()ちた、叫ぶような奇声(きせい)
 その声がうざったくて、俺は(ひど)苛立(いらだ)っていく。

「うるせえな。あっちいけよ!」

「みっつる! みっつる!」

 何度酷く言っても、離れない。
 それどころか、反応された事に喜んで、声のボリュームは跳ね上がった。

「もう、どっか行けよ」

 振り切ってしまいたいのに、うまく歩けなくて、すぐに追いつかれてしまう。
 ()れない松葉杖(まつばづえ)のせいだ。
 俺はもう、小さな歩幅(ほはば)の子供すら引き離すことができない。

「どっか、行かせてくれよ」

 非常識な親のせいで、俺は家に居られない。
 だから、知り合いと鉢合(はちあ)わせずに済む場所を(めぐ)って、一日中(ただよ)っていた。
 眠くなるまで彷徨(さまよ)って、冷蔵庫にある適当な物を腹に詰め、怒鳴り声の中で眠る。
 そんな日々にも、ちゃんと適応(てきおう)できていたのに。

「みつる、どこ行きたい? おれもそこ行く!」

 なのに、休日になると、この騒音(そうおん)が付き(まと)ってくる。
 以前の俺が、こいつに良い顔をしていたせいだ。
 だから、今の俺は、こいつに(した)われているというだけで、胸に汚泥(おでい)が詰まったような気分になる。

「みつる、今日はどこまでいくの!」

 気づけば、夕焼けの川沿(かわぞ)いに着いてしまった。
 なら、もうすぐ終わりだ。

「みつる、聞いて、みつる! 聞いてよ!」

 小さな手に服を(つか)まれて、いともたやすく、俺の足は立ち止まらされてしまった。
 バランスを崩して着地した足が(にぶ)く痛む。苛立ちとともに、ついに俺は振り返る。
 沈んでゆく太陽。どんどんと暗くなる町。
 夕闇(ゆうやみ)が溶け込んでゆく川。夜に()まれていく自分の影。
 光を失っていく景色の中で、浮かび上がるように輝いていたお前の目が、()(ゆが)んだ。

「みつる、優しいから好き!」