Wish upon a

―     ――★


 あの二日後に、俺は、マコト先輩の旅立ちと、その行き先を知った。
 そして同時に、怒涛(どとう)連勤地獄(れんきんじごく)(まく)を開けたのだった。
 そんな思い出も、もう四年も前のことになる。
 今や、俺の定位置(ていいち)と言っても過言(かごん)ではないSmoking roomで、今日もゆるりと紫煙を()かしながら、瞼を閉じる。
 あれからマコト先輩は、ずいぶんと遠いところへ行ってしまった。
 もう、このライブハウスで演奏するようなことは絶対にない。
 そう断言してもいいくらい、遠くて高いところへ。
 いけないと思いつつも、俺はまた感傷(かんしょう)(ひた)ってしまう。
 憧れの人との、一夜(かぎ)りの思い出の中へ。
 年月が()ち、現実との境界が曖昧(あいまい)になりつつある、夢のような夜にまどろんでしまう。

「おは、おはざます」

 ふいに扉が開いて、急に意識が引き戻される。
 今日はステージがないから早番は俺だけのはずだった。他のスタッフが出勤するにも、まだかなり早い時間で、だから、完全に気を抜いてしまっていた。

「はややん、お疲れしゃまです」

 俺は、目を(うたが)った。
 金髪マッシュに、左耳に黒い星の三連ピアス、黒いトップス。
 マコト先輩。
 そうつぶやく声を、直前で(とど)める。
 歩く彼の首もとにはフードが揺れており、着ていた物はパーカーだった。
 それは、八年前のマコト先輩ではなくて、マコト先輩に憧れていた四年前の自分の格好だった。
 彼は、目を見開いて固まる俺に戸惑ったのか、一緒に固まってしまっていた。

「ああ、どうぞ、続けて……」

 思わず(うなが)した言葉に、俺の涙腺(るいせん)はふいに(ゆる)んだ。
 あの日の記憶が、鮮明(せんめい)に色づいて、ふやけていた輪郭(りんかく)が明確になっていく。
 マコト先輩の声が、表情が、はっきりとよみがえってくる。

『実はさ、俺、喫煙所にソウタが踏み込んできた時、ちょっと泣いたんだよね』

 ちょっとだぞ、ちょっとだけ。
 記憶の中の先輩に、俺は答える。
 そうですね。これは、泣きますよね。
 震える口元を(おさ)え、(にじ)んでいく世界の彼を見守る。
 彼は、マコト先輩とも、俺とも違う、青緑の箱の煙草を取り出した。
 そして、ライターを忘れたらしい彼に、俺は火をやった。

「……グエッホッ!」
「ギャハハハ!」

 大げさに笑いながら、俺はこぼれる涙をぬぐう。

「もお、何してんのさ、君ー!」

 俺は困ったような振りをして、天を(あお)ぎ、薬指の星を額に当てた。

『人はさ、見てるほうへと進んじゃうもんなんだよ』

 そうか。この子は、俺を見ているのか。
 それなら俺も、導きの灯火を継承(けいしょう)する時が来たのかもしれない。
 マコト先輩のように、暗闇の中でほのかに光って、確かに導いてくれる明かりを。

『あんまり俺のことばっか見てちゃ、ダメだぞ。ソウタは、ソウタだろ』

 大丈夫です。だからこそ、俺は、ずっと先輩のことを見ています。
 俺は、俺の光を見て、暗闇の中で光りますから。
 同じものを見ている人がいる。
 少数でも、同じ救いを求めている人がいる。
 暗闇のどこかに、生きていける世界がきっとある。
 そんな光を、俺はたっぷりと(たくわ)えてきた。
 だから俺は、遠くで(またた)く星ではなく、近くで淡く光る蓄光テープにきっとなれます。

「よし、一緒に禁煙しよっか!」

 彼から煙草を(うば)って、扉を開ける。
 そこには、海に溶けていくような心地良い旋律(せんりつ)が響いていた。
 ライブハウスには、あの日と同じ曲が流れていた。