翌朝。昨夜の大雨が嘘のように、空は雲一つない快晴だった。
 空気はしっとりと湿っているけれど、それさえも洗われたようで気持ちがいい。

 「昨日の大雨が嘘みたいだね」

 窓の外を見ながら、ぽつりとつぶやく。雨に揺れた地面が陽に照らされていて眩しい。

 「……ああ、そうだな」

 台所に立つゼアルは、どこかぎこちなく、私と目を合わせようとしない。
 食卓には焼きたてのパンと卵焼き、ハーブの香るスープ。彩りとバランスの取れた朝食なのに、心は曇ったままだ。

 「……ねぇ、ゼアル」

 「ん?」

 「昨日のこと、気にしてるでしょ?」

 ゼアルの手が止まる。少し間をおいて、ゆっくりと頷いた。

 「ああ……。半ば強制的に血を吸ってしまったからな」

 「でも、それでゼアルは落ち着いたんだよね?」

 「まぁ……」
 
 答えながらゼアルは席につく。やっぱり私と目を合わせようとしなかった。返事も歯切れが悪い。

 「怖かっただろ……?」 

 「最初はね……。
  でもっ!痛みもほんの一瞬だったし!そ、それに吸われてる時、なんだか私まで満たされるような感じがしてっ!」

 気にしていないように、元気づけようと軽めに言ったけど、ゼアルは少し目を細めて微笑んでいるだけだった。
 そんな顔を見て漠然とした不安が襲いかかってくる。このまま、私の手の届かない場所まで行ってしまいそうな気がしてきた。

 「ゼアル……どこにも行かないよね?」

 「……………………」

 「ゼアルッ!」

 「……リィス……」

 ゼアルはそう呟いて、両手で頭を抱えてしまった。

 「俺は……怖いんだ。昨日はあれだけで済んだけど、もっと欲が強くなってしまったり、抑えが効かなくなったりしたら……君が嫌がることをするかもしれない」

 「それでも……私は、ゼアルの隣にいたいの!」

 声は震えてしまったけど、紛れもない本音だった。
 ようやく私も落ち着ける場所を見つけたのに、手離したくなかった。

 懇願するように言った瞬間、空気が張り詰めた気がした。
 ゼアルは両手をゆっくりと下ろして、赤い目で私を見つめる。その目に背筋が寒くなった。

 「……ゼアル?」

 返事はなかった。代わりにゼアルはフラリと立ち上がると私の側まで来て、両肩をガシッと掴む。指が食い込みそうなほどの力強さに、思わず体が強張った。

 「自分が、どれだけ危険なことを言ってるのか、わかってるのか?」

 「で、でも私っ――」

 もう一度ゼアルの目を見て、言葉が出なくなった。
目が大きく揺らぎ、奥でときどき見え隠れしていた獣のようなものが出てこようとしている。

 「……俺に、どこにも行ってほしくないんだろ?」

 低く、唸るような声。気圧されて頷くことしかできなかった。
ゼアルはニンマリと口角を上げると、グッと顔を近づけてくる。

 「俺と一緒に居たいのなら、相応の覚悟が必要なんだよ」

 「覚悟……」

 ゴクリと唾を呑み込む。そんな私を見て、ゼアルはほくそ笑んだ。

 「ああ。
  正直に言おう。俺は今、壊してしまいそうなぐらい、どうしようもなく、お前が欲しいんだ……」

 「っ!?」

 ゼアルに対して、初めて明確な恐怖を覚えた。どうにか手を振りほどこうとしても、私の力で敵うはずがない。

 「逃げないてくれよ?俺と一緒に居たいんだろ?」

 掠れた声で言うゼアルの目は妖しくギラギラと光っていて、別人のようだった。今のゼアルが本性なのかどうかはわからない。少なくとも、いつもの優しいゼアルではなかった。

 「い、一緒に居たいよ。だから、まず手を離して?あ、朝ごはん食べよう?」

 恐怖でガタガタと体を震わせながらも、どうにか言い切る。
 ゼアルは私から少しだけ顔を離して、チラリとテーブルの上に並べられた朝食を見る。

 「朝ごはん、ねぇ……。お前を見てたら、別の欲が湧いてきた」

 ゼアルの目が私をじっくりと捉える。その熱に思わず、背筋が震えた。