ゼアルと付き合い始めてから一月が経った。
私は毎日ゼアルの元に通い、定期的な血液提供も続いている。

そんなある日、いつものようにゼアルを訪ねた私は、地下室でくつろいでいた。

 「やっぱりここに来ると落ち着く……」

 「それはいいんだが、飽きないのか?」

 思わず呟くと、机で作業をしているゼアルが声をかけてくる。彼は採取した血液に何やら処理を施しているようだった。

 「飽きない。ゼアルに会えるの、嬉しいし……」

 そう答えると、ゼアルはほんのり頬を赤くして、顔を逸らした。

 「……そんな可愛いこと言わないでくれよ。触れたくなる」

 「私はいいんだけど?」

 「いつからそんなに大胆になったんだ、リィス?」

 指摘されて、改めて考える。
 かつて、誰かに触れられるのが怖かった。拒絶されるのが当たり前だったから。でも、ゼアルになら、触れてほしいとも思い始めている。

 「ゼアルだけだと思う。こんなこと言うの……」

 顔が熱くなってくる。そう言うと、ゼアルの喉がごくりと鳴った。
赤い目に揺らぎが見え始める。

 「…………リィス」

 「な、何?」

 低く、掠れた声で呼ばれて、少し緊張する。無意識に背筋がピンと伸びた。

 「あんまり俺を煽るようなことを言わないでくれ……。止まれなくなるから……」

 「う、うん。わかった。ごめんね……」

 ゼアルの赤い目の奥に、獣のようなものが見えた気がして咄嗟に謝った。
慌てて話題を変える。

 「な、なんか、ちょっと……喉乾いてきたかも。水、もらっていい?」

 「ああ。水道は上にあるからな」

 ゼアルの説明を聞くと、早速一階に上がる。
1階は台所と居間を兼ねた部屋で、台所のすぐ横にトイレがある。

 水をもらって、何気なく窓を見ると、分厚い灰色の雲が大きく広がっていた。

 「雨が降りそう。ここに来た時は晴れてたのに……」

 胸にざわつきを覚えながら、地下室に戻った。


 それからは刻々と時間は過ぎてゆき、帰る時刻になった。
ふと、視線を上げると壁掛けの時計の短針が「ⅵ」を指している。
古びた金の縁のその時計は、機械ではなく魔力で動くものらしく、時間になると針が一瞬だけ淡く光を放った。

 「そろそろ帰ろうかな……」

 「もうそんな時間なのか?」

 ゼアルは意外そうに言ってから、名残惜しそうに目を伏せる。

 「うん。時間が経つの、早いよね。じゃあ、明日も来るから……」

 1階に上がって窓を見ると、外はバケツをひっくり返したような大雨が降っていた。
雨粒が窓に叩きつけられ、滝を作っている。 

 ゼアルに伝えようと再び地下室に戻ると、彼は驚いた顔をしていた。

 「リィス?忘れ物か?」

 「いや。外、大雨が降ってて……」

 「見てくる」

 ゼアルは素早く地下室から出ていって、すぐに戻ってきた。眉をしかめている。

 「思ってたよりも酷いな……」

 「でも、帰らないと」

 「もう少し待ってみるか?」

 「うん。弱くなるかもしれないし……」 

 ところが、大雨は夜になっても止む気配がない。それどころか、ときおり雷鳴が響き、外を白く照らすようになった。
今までも急に雨に降られることはあったが、ここまで強くはなかった。
そのためどうにか帰宅できていたが、今回はかなり苦戦しそうだ。

 「弱まらないね……」
  
 ポツリと呟くと、ゼアルは小さく頷いた。それから、何か言いたげに口を開きかけ、少し迷ってから再び口を開いた。
 
 「……今日は泊まっていきなよ」

 「え、迷惑じゃ……」

 「俺は迷惑なんて思ってない。むしろ、嬉しい……」

 ゼアルはすぐにハッとして顔を赤くしながら、慌てたように話を続ける。

 「そ、それに、この雨の中帰って、リィスに風邪引かれても嫌だからさ……」

 目を泳がせながら言うゼアルを可愛いと思ってしまった。
 異性の家に泊まるのは初めてで少し怖い気もする。でも、それよりもゼアルと一緒に居れる時間を考えたら、恐怖心なんて吹き飛んだ。

 「じゃあ……お世話になります……」

 改めて言った私を見て、ゼアルは安心したように微笑んだ。


 夜も深まって、外は完全に真っ黒になった。しかし雨は勢いを弱めず、屋根や窓を強く叩いている。
 軽い夜食を済ませ、入浴も終えた私は、ブカブカのゼアルのシャツに身を包んで、窓をぼんやりと眺めていた。

 「泊めてもらって正解だったかも……」

 「あー、その、1つ言いづらいことがあるんだが……」

 入浴を済ませたゼアルが、濡れた銀髪をタオルで拭きながら口を開く。

 「何?」

 「ベッド、1つしかないんだ……」

 思わずゼアルを見つめる。彼が言いたいことを理解して、顔が熱くなった。
しかしそれは相手も同じで、気まずそうに目を泳がせている。

 「あ、いや、俺が床で寝るとか、いろいろ方法はあるから……」

 「わ、私は……ゼアルと一緒でも……」

 恥ずかしすぎて最後まで言えなかった。思わずシャツの裾をギュッと握りしめる。
 自分でもこんな言葉が出たことに驚いたが、ゼアルはもっと驚いたらしく、口を開けたまま瞬きを繰り返している。 

 「……リィス、いいのか?」

 「う、うん……」

 「わかった。できるだけ、その、距離は取るから……」

 そこからは何とも言えない微妙なムードになり、会話が長く続かなかった。 
 時間は無情にも過ぎてゆき、日付けが変わるところまで迫ろうとしていた。

 「そろそろ、寝るか?」

 ゼアルはおもむろに立ち上がると、部屋の隅にあるベッドを指差す。

 「そ、そうだね。いつも地下室で寝てるの?」

 「ああ。上だと落ち着かなくて。少し待ってな」

 そう言ってゼアルは先にベッドに潜り込み、シーツ等を整えてから私を呼ぶ。

 「おいで、リィス」

 一瞬、心臓がドクンと跳ねた。普段よりも低く、甘い声に呼ばれて、せっかく冷めた顔がまた熱くなってくる。何気ない言葉なのに、どこかくすぐったい。
 照れ隠しにうつむいたまま、急いでベッドに潜り込むと、ギュッと目を瞑った。