血でつながる恋がある〜この痛みごと、好きだと思った〜

 おばちゃんの店を飛び出した私は、ほとんど駆け足で街を抜けた。
 胸の奥にぽうっと火が灯ったようで、止まっていられなかった。

 「突撃、だよね……!」

 頬が熱い。鼓動が早い。息も切れそうだ。
 でも、不思議と怖くはなかった。

 (ゼアルに、会いたい!)

 もう、それだけだった。

 そして、何度も来たことのあるその扉の前で立ち止まる。
さっきまでの勢いが、急に静かになって、心の奥に波紋を落とした。

 (ゼアルに……なんて言おう)

 迷ってる時間なんてないはずなのに、手が震えていた。
 けれど、震える手で扉をノックした。

 「……ゼアル!」

 ノックに応じて、カチャリ、と扉の鍵が外れる音がした。
 少しだけ開いた隙間から、ゼアルが顔を覗かせる。

 一瞬、目が合った。

 ゼアルの赤の瞳が、驚いたように見開かれる。けれどそれもほんの一瞬で、すぐに視線を逸らされた。

 「……まだ、連絡してないだろ? なんで来た」

 低く抑えた声が、少しだけ苦しげだった。

 「え、えっと……」

 言葉に詰まる私を前に、ゼアルはそっとため息をつく。

 「……今は、来なくていいって言ったはずだ。用があればこっちから連絡するって」

 突き放すような声。それでも、私は引かなかった。目を伏せて、小さく、でもはっきりと声を出す。

 「わかってる。でも、我慢できなかったの……」

 ゼアルの手が、わずかに扉の縁を握りしめる。
 そして数秒の沈黙のあと――扉が、静かに開かれた。

 「え?」

 「入りな。言いたいことがあるから、わざわざ来たんだろ?」
 
 からかうように言うゼアルの顔は、ほんのり赤かった。
もう、私が何を言おうとしているのかも、わかっているみたいだ。

 「じゃあ、お邪魔します……」

 私の体が完全に玄関に入ったのを確認すると、ゼアルはドアを閉めて、鍵をかけた。そして私に向き直ると、身をかがめて目線を合わせてくる。

 「ゼ、ゼアル、私……」

 勇気を振り絞って言おうとしたその瞬間――
 ゼアルの手がふいに伸びてきて、私の口をふさぐ。

 「っ!?」

 驚いて目を見開くと、ゼアルはすぐそばで、いたずらっぽく、でもどこか優しい目をしていた。

 「……その先は、地下室で聞かせてくれるか?」

 ぽつりと、耳元で囁くように言うその声に、心臓が跳ねる。

 「えっ……え、地下室……?」

 赤くなる顔を隠すようにうつむくと、ゼアルは小さく笑って、私の手を取った。

 「俺の研究部屋、まだちゃんと見せてなかったろ。そこでゆっくり、話そう」

 そっと握られた手は、熱を持っていた。

 (やっぱり、好き……)

 そう確信しながら、私はゼアルの背に続いて、静かな階段を降りていった。


 地下室は、いつもと変わらず私達を迎える。空気は冷たいはずなのに、緊張と興奮から熱くなっている私には心地よかった。

 部屋の中央でゼアルは立ち止まると、ゆっくりと私の方を向いた。

 「さて……続き、聞かせてくれるか?」

 「う、うんっ!」

 そう答えて、大きく息を吸い込むと、想いを告げる。     
 
 「私……ゼアルのこと、好きなの!」

 一度止まろうと思ったのに、口がひとりでに動く。

 「最初は変な人だなって思ってた。でも、ゼアルは優しくて、気遣ってくれて……。気づいたら好きになってたの。だけど、この気持ちをどう現したらいいのかわからなくて。だから「しばらく来なくていい」って言われた時は、悲しくて、寂しくて――」

 ゼアルが一歩前に踏み出した。かと思うと、私の体は胸元に引き寄せられていた。 背中に優しく彼の手が回る。

 「……嬉しいよ、リィス」

 胸元でそう囁かれて、私はぽかんとした。

 「え……?」

 「君に好かれるなんて、思ってなかった」

 ゼアルの声は低く、でもどこか震えているようだった。

 「最初は、面倒なだけだと思ってたんだ。明るくて、人懐っこくて、ちょっとお節介で……」

 「お節介!? そんなつもりなかったんだけど……」

 「でも、気づいたら……ずっと目で追ってた」

 ゼアルが私の背中に回した手に、少しだけ力がこもる。

 「俺は、普通の人間じゃない。君と一緒にいる資格があるのか、ずっと悩んでた。だから、突き放した。でも……」

 ゼアルはゆっくり顔を上げ、私をまっすぐ見つめた。

 「それでも、こうして来てくれたのが、嬉しくて仕方ない」

 その言葉に、胸がきゅっとなった。

 「ゼアル……普通じゃないって、どういうこと?」

 少しの沈黙のあと、ゼアルは目を伏せて、口を開いた。

 「……人と違う“血”を持ってる。それが何なのか、まだ話す気にはなれない。けど――それでも、俺を好きって言ってくれるのか?」

 私は、迷わなかった。

 「うん。どんなゼアルでも、好きだよ」

 真っ直ぐに答えると、ゼアルの目がふっと揺れて、それから柔らかく細められた。

 「……ほんと、どうかしてるよ、君は」

 そう言って、彼はそっと私の頬に触れ、ゆっくりと額を合わせてきた。

 「でももう……拒めそうにない」

 地下室のひんやりとした空気の中、彼の体温だけが、やけに温かかった。