モヤモヤした気持ちが晴れた私達は、以前と同じように会話をするようになった。
 時々恥ずかしくなって、ゼアルを直視できない日もあったけど、それでも会えるのが嬉しかった。

 ある日、いつものように血を提供したあと、私はふとゼアルの顔を見つめた。なんとなく顔色が悪い気がする。

 「……ゼアル、また体調悪いの?」

 「え?」

 少し驚いたように目を瞬かせたあと、ゼアルは微笑んだ。

 「いや、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだ」

 そう言ってごまかすように視線をそらしたけれど、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。



 ある日、血液提供の後、ゼアルはじっと私の手を見つめた。
 指先がほんのり赤い。けれどそれを拭おうとはせず、ただ黙っている。

 「……どうかした?」

 私の問いに、ゼアルは静かに口を開いた。

 「リィス。この前、俺……“それだけじゃない関係を目指したい”って言ったよな?」

 「うん……覚えてる」

 ゼアルの声が低く震えていたせいか、ドキン、と胸が跳ねる。

 「その気持ちが、日々、大きくなってきてる。自分でも抑えるのが難しいぐらいに……」

 ゼアルの赤い瞳が、熱を帯びて私を射抜く。
 でも、それは血への渇きだけじゃないように見えた。違うと、信じたい。

 「なぁ、リィス。触れてもいいか……?」

 「っ!?」

 抑えてはいるけれど、甘ったるい声で言われて、体と心臓がビクンと跳ねた。
 私は唇を噛んで、視線を落とす。

 怖いわけじゃない――そう思いたい。でも、心の奥がざわついていた。
 何かが違う。ゼアルの瞳が、いつもより紅く、深く揺れている気がした。

 「……ごめん、ちょっと……怖い、かも」

 そう言った瞬間、ゼアルの表情がわずかに歪んだ。

 「そっか……わかった」

 少しの間を置いて、低く絞り出すように言う。

 「なら、俺には……触れないようにしてくれ。そうでもしないと、俺は……止まれなくなる」

 その声は苦しげで、自分を責めるようで。
 私の胸の奥が、ぎゅっと痛くなった。




 再びモヤモヤとした日々が続き、十日目の訪問。

 いつも通り提供を終えて、アゼルがテキパキと片付けを始める。
 しかし、ふとした拍子に机の上にあった書類がフワリと風に乗り、床に落ちた。

 「あっ」

 咄嗟に私は拾おうと手を伸ばして――同じように手を伸ばしてきたゼアルに触れてしまう。
その瞬間、ゼアルの目がさらに紅く、深く、獣のように変わったのが分かった。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。 
戸惑いながら一歩下がろうとした私を、ゼアルの腕が一瞬で引き寄せた。

 「っ……!」

 気づけば、強く抱きしめられていた。体が熱い。心臓が痛いほど跳ねる。

 「ご、ごめんっ! ごめんね、ゼアル! 私、気をつけてたのにっ……!」

 声が震える。怖いというより、私がゼアルを苦しめてしまったことが申し訳なかった。

 「……そう、だよな……」

 ゼアルの腕に力が入る。でも、それはほんの一瞬だった。

 「……怖い思いさせたな、リィス」

 ゼアルの手が、ゆっくりと私の背から離れていく。 距離が戻る。
けれど、その瞳は寂しそうで、どこか自分を責めるようだった。

 「ゼアル……」

 「俺のほうこそ、気をつける。だから……次は、リィスが本当に望んでくれるまで、俺は、手を出さない」

 静かなその声が、胸に刺さる。
 私は何か言いたかったけれど、うまく言葉にできなかった。

 沈黙のまま帰り支度をして、私は玄関で靴を履く。

 「じゃあ、また……来るね」

 いつも通りの別れの言葉。だけど、返ってきた言葉は違っていた。

 「いや、しばらく来なくて大丈夫だ」

 「え……?」

 思わず顔を上げる。ゼアルは目を合わせようとせず、背中を向けたまま言った。

 「けっこう提供してもらってるからな。まだストックはある。
それに、リィスも……休みたいだろ?」

 「で、でも……」

 「また、必要になったら連絡するから。さあ、今日は帰りなよ」

 優しい言い方だった。でもそれが、かえって胸に沁みて痛かった。
 私は小さく頷いて、ゼアルの家を後にした。