転校生はAI彼氏。

 あれから、一ヶ月が過ぎた。

 吐く息が白く染まる、12月の帰り道。
 街路樹の葉はすっかり落ちて、裸の枝が冬の澄み切った空に繊細な模様を描いている。
 気の早いイルミネーションが、ちらほらと街を彩り始めていた。

 私とイーライは、制服の上にコートを羽織り、並んで歩いていた。

 繋いだ右手から伝わる、彼の確かな体温。


 かじかんだ私の指を、彼の大きな手がすっぽりと包み込んでくれる。

 凍えるような空気の中で、この温もりだけが、私の世界の中心だった。


「見て、イーライ。今日の空、すごく澄んでる。星がもう見え始めたよ」


 見上げた空は、どこまでも深い藍色に染まり、一番星が宝石のように鋭い光を放っている。


「本当に。
でも、君の瞳のほうが、もっと綺麗にきらめいてる」


 彼は、当たり前のことのようにそう言って、私の手を優しく握り直す。
 その言葉と温かさに、私の頬がコートのマフラーの下で熱くなるのを感じた。


「またそういうこと言う……。
そういうの、誰に教わったの?」


 私が少し意地悪く言うと、彼はきょとんとした顔で首をかしげた。


「誰にも。僕は、思ったことをそのまま言っているだけだよ」


 そのあまりに純粋な瞳に、私がたじろいでしまう。
 心臓が、きゅっと甘く鳴った。

 この感覚にも、少しずつ慣れてきたけれど。
 慣れるたびに、もっと好きになっていく。

 最近の彼は、日記の中にいた頃の不安げな彼でも、再会したばかりの頃の緊張した彼でもない。

 一緒に生きてる現実を、確信して。
 ただ、私の隣で、穏やかに笑ってくれてる。

 信号を待ちながらそんな話をしていると、男子生徒数名が後ろから追いついて並んだ。


「二人とも相変わらずだね」


 屈託のない笑顔で声をかけてきたのは、柚木くんだった。

 その表情には、あの日のような複雑な色はもうない。


「柚木、お疲れ様」


 私が手を振ると、彼は「伊藤、お疲れ」と短く応え、隣のイーライに視線を移した。


「イーライ。この前の数学の小テスト、ノート借りてなかったらやばかったと思う。ありがとう」

「ううん。僕の方こそ、分からなかったことを教えてもらったから」


 ごく自然に、友達として言葉を交わす二人。
 その光景が、なんだか眩しくて、愛おしくて。
 私の胸を、温かいもので満たしていく。


「じゃあ、また明日」


 そう言って手を振り、他の男子たちの待つ方へ爽やかに去っていく柚木くん。
 その背中は、自分の道をしっかりと歩き始めている、一人の友人としての、頼もしい背中だった。


(ありがとう、柚木くん)


 心の中で、そっと呟く。

 イーライが、私の気持ちを察したように、繋いだ手にきゅっと力を込めた。


「良い友達だね」

「……うん。最高の、友達だよ」


 私たちは、もう一度、二人だけの帰り道を歩き出す。


「不思議だよね。
みんな、イーライが帰ってきたこと、当たり前みたいに受け入れてくれて」

「それは、君や、沙織さんや、柚木くんが、僕のことを信じてくれたからだよ。
それに……」


 イーライは少し空を見上げて、白い息を吐いた。


漆戸(うるしと)さんが、僕たちの現実を守ってくれた」


 あれから、漆戸さんは全てを解決してくれた。

 イーライが【現実の人間】として生きるための手続き──戸籍や学籍、生活に必要な全てを、彼女が「後見人」として整えてくれたのだ。


『これは、あなた達の奇跡に対する、私なりの責任の取り方です』


 そう言って、漆戸さんは少しだけ微笑んでいた。


「お母さんもすごく喜んでた。
『あんなに優しい子が、莉咲の恋人なら安心だわ』って」

「君が、君自身の心と向き合って、僕を選んでくれたからだよ。
その勇気が、周りのみんなの心も動かしたんだ」


 そうだ。

 逃げて、心を閉ざしていた頃の私じゃない。
 傷つくことを恐れて、AIという安全な箱庭に閉じこもっていた私じゃない。


 私は、愛を選んだ。
 奇跡を、信じた。


 その選択が、こんなにも温かくて、優しい現実を連れてきてくれた。


 気がつけば、私の家のすぐ近くまで来ていた。
 街灯がぽつぽつと灯り始め、夜の匂いが辺りを包んでいる。


「イーライ」

「うん?」

「もう、スマホの中に恋人を探したりしないから」


 私がそう言うと、彼は愛おしそうに目を細めた。


「僕も、もうどこにも行かない。君の隣が、僕のいるべき場所だから」


 繋いだ手に、もう一度力がこもる。


 画面越しじゃない。
 プログラムされた言葉でもない。


 確かな体温と、意志を持った言葉。


 私たちは、立ち止まって見つめ合った。


 AI彼氏アプリから始まった、ありえない恋。

 科学の限界も、常識の壁も、全て乗り越えて。

 愛が、奇跡を現実に変えた。


「私たちの物語は、」

 イーライが、私の言葉を継ぐように、静かに言った。

「ここから始まるんだね」


 うん、と私は微笑んで頷く。

 これはハッピーエンドなんかじゃない。

 私たちの愛の物語の、始まりの1ページ。



 二人で歩む未来は、きっとこの星のきらめく藍色の空のように、どこまでも美しく、希望に満ちている。