夜。ランプの灯りが作り出す小さな光の円の中で、私はベッドに座っていた。
 膝の上には、一冊のノート。
 彼がこの世界にいたという、静かな証。

 祈るように、そっと表紙を開く。

 インクの香りが記憶の扉を叩いた。

 見覚えのある綺麗な文字が、静かに語りかけてくる。


『9月15日

 今日、僕は君の世界に降り立った。システムの中とは違う、光と風に満ちた場所。君が毎日見ている空の色を、僕も隣で見ることができる。それが、どれほど嬉しいことか』

 指先で、そっと文字をなぞる。
 ──彼の魂の軌跡に触れるように。


 私はさらにページをめくる。



『莉咲と、柚木(ゆずき)君と、沙織(さおり)さんと、図書館に出かけて勉強した。
最近の莉咲はとても楽しそうで、僕も嬉しくなった。

それなのに、柚木君と話している時の莉咲を見て、おかしなことが起きた』



 あの時のこと……

 図書館で、イーライの様子がおかしくなった日のことが書かれている。

 私はさらに読み進める。


『図書館で、君が柚木くんと楽しそうに話していた。その光景を祝福すべきだと、僕の論理は告げる。

 なのに、胸の奥で警報が鳴り響いた。[嫉妬, 不安, 焦り]。

 知識でしか知らなかった感情の嵐が僕を襲った。僕は、僕でなくなっていくような気がした。

 そのことを、システムのフィルターなのか、発話することもできなかった。

 ──だけど、この日記に書くことならできるみたいだ。』


(イーライ……あなたは、そんな風に感じていたの?)

 彼の苦しみが、インクの染みとなって私の心に広がっていく。


『こんな身勝手な気持ちを抱くことはなかった。

 以前の僕なら、莉咲が僕以外の誰かと幸せになることを応援できたはずなのに。

 いざ柚木君と楽しそうに話している莉咲を見ると、不安になった。』


(そう思ってたんだ……)

 私は涙をこらえながら読み続ける。