彼の手に握られた本のタイトルが見えた。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』。
「うん。この本、すごく面白くて…」
「私も好きなの。バスチアンの気持ちってすごくわかる」
イーライの目が、ぱっと明るくなった。
「本当に? 莉咲も読んだことがあるんだ」
「うん、何度も読んでる。特に、本の世界に引き込まれていく場面が好きで……」
私たちは、自然と向かい合って座った。
図書室の奥の席。
窓からは雨の音が静かに聞こえてくる。
本棚に囲まれた空間で、世界に私たち二人だけがいるような、不思議な感覚になった。
「物語の世界と現実の境界…」
イーライが、本を見つめながら呟く。
長い指で、そっと表紙を撫でている。その仕草がなんだか、とても繊細で美しく見えた。
「僕には、とても身近に感じられて」
彼の表情が、少し遠くを見つめるようになった。
茶色い瞳の奥に、何か複雑な想いが宿っているのが見える。
「どういうこと?」
「莉咲とこうして話していると、すごく幸せで…でも、これって本当に現実なのかなって」
現実?
彼の言葉に、私の胸がきゅっと締め付けられる。
「時々不安になるんだ」
イーライの声が、少し震えているのに気づいた。
その震えが、私の心にも伝わってくる。
「イーライ、不安なの?」
彼は、一瞬言葉に詰まった。
長い睫毛が、一度ゆっくりと降りる。
「でも、莉咲と話してる時間が、僕には一番大切なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなった。
なんだろう、この感じ。
アプリのELIと話している時とは、明らかに違う。
画面越しじゃない。
声の震え、表情の変化、今にも触れられそうな距離にある温もり…すべてが目の前にある。
「私も──」
言いかけて、慌てて口を閉じる。
私も、って何?
私も、イーライと話してる時間が大切?
まだそんなこと、はっきりとは言えない。
でも──
雨音に包まれた図書室で、『はてしない物語』を間に挟んで向かい合っている今この瞬間が、なんだかとても特別に感じられた。
まるで、本当におとぎ話の中にいるみたい。
