野崎くんが人捜しをしていることを知ったその日の放課後のこと。帰る準備をしていたわたしのところに、何故か野崎くんがやって来た。

 「よ、角田」
 「よって……。どうかしたの?」
 「ちょっと角田と話したくてさ。そういや、須藤は?」
 「朱李ちゃんは、今日塾なんだって。先に帰ったよ」

 週三回の塾に通う朱李ちゃんとは、それ以外の二日一緒に帰っている。
 朱李ちゃんがいないとわかると、野崎くんは「そっか、よかった」と呟いた。

 「何でよかったの?」
 「いや、こっちの話。それでさ、よかったら途中まで一緒に帰らねぇ?」
 「えっ」

 思わず声が出て、わたしはキョロキョロと教室を見回した。そして、教室にわたしたち以外に人がいないことを知って、ほっと胸を撫で下ろす。
 何故かと言えば、野崎くんはクラスでも人気のある男子だから。いつも笑顔で顔立ちも整っていて、行動力もある。だから、女子の目が怖いと思ってしまった。
 それからようやく、野崎くんに失礼な反応をしてしまったと気付く。「ご、ごめんね! 変な反応して」と謝ると、彼は「いいよ」と笑ってくれた。

 「俺も、突然誘ってごめんな。いつも一緒に帰るやつがいるんだけど、そいつ今日部活でさ」
 「そっか。仲良いもんね、青山くんと」

 青山竜之介(あおやまりゅうのすけ)くん。野崎くんと仲良しの男の子で、確かサッカー部。コミュ力が高くて運動神経が良い、こちらも女子からの人気がある男子だ。
 断る理由も特に思いつかない。わたしは野崎くんの誘いに乗ることにした。

 「いいよ、一緒に帰ろ」
 「やった。ありがとな」
 「そんな……。うん、行こっか」
 「おう」

 クラスの人気者と一緒に帰ることなんて、今後ないかもしれない。そう思ったわたしは、野崎くんの提案に乗って一緒に帰ることにした。
 だけどまさか、そういう心配を上回る出来事に発展するなんて、この時は思いもしなかった。

 ☆

 「角田もこっち? 何処までまっすぐ行くんだ」
 「えっと、三つ目の角を曲がるよ。野崎くんは……」
 「俺は四つ目の信号を曲がるんだ。じゃあ、三つ目の角までな」
 「わかった」

 学校を出て歩きながら、たわいもない話をする。今日の授業のこと、先生のこと、友だちのこと。クラスメイトとはいえ男の子とこんな風に横に並んで変えるのは初めてで、少し緊張もしてしまう。

 「そういや、角田は知ってるのか? 須藤が言ってた謎の人」
 「え? あ、ああ……そういう人がいるっていう噂だけ。本人に会ったことはない、なぁ」
 「そっかぁ。もし会ったことがあるなら、特徴とか聞こうと思ってたんだけど」
 「そ、そっか。ごめんね」

 ああ、わたしのバカ。折角二人だけなんだから、あの時おばあさんを助けたのはわたしですって言えば良いのに。
 だけど、ずっと誰にも言わずにいたことだから。今更誰かに言うことが、こんなに難しいと思わなかった。喉が貼り付いて、動かないみたい。
 なんとかして、野崎くんに謎の人捜しをやめさせないと。そうしないと、わたしのことをずっと野崎くんが捜すことになってしまう。どうしたら、やめてくれるだろうか。

 「でもさ、もしかしたらその人、親切をひけらかすの好きじゃないかもよ?」
 「どういうことだ?」

 ようやく思い付いたことを言うと、野崎くんが首をかしげる。

 「ありがとうって言われるの、嫌なやつの方が少ないんじゃないか?」
 「もちろん、ありがとうって言われて怒る人はいないと思う。だけど、なんていうか、その人にとっては特別なことじゃないと思う。そうやって何度も何度も人助けして、それでも噂程度のままなんだもん」

 実際、わたしはそうだ。手助けしたくて助けてる。感謝されたくてしているわけではないから、こうやって捜されるのは不思議な気持ちなんだ。
 野崎くんは「ふぅん……」と空を見上げてから、小さく頷いた。

 「まあ、改めて自分のしたことを褒められたり礼を言われたりするのって、こそばゆいもんな。その人にとっては当然のことで、礼を言われるほどのことじゃないっていうのはあるかもしれない」
 「うん、わたしもそう思……」

 このまま野崎くんを誘導することが出来る、そう思った瞬間だった。

 「でも、ばあちゃんは礼が言いたいんだ。俺は、それを無下には出来ない」
 「うっ……」

 そう言われると、何も言えなくなる。そうだ、野崎くんは、おばあさんの気持ちをくんで人捜しをしているんだ。

 「ま、ただの孫のわがままなんだけどな。ばあちゃん、俺の両親が死んでからちょっと元気なかったし」
 「え……」

 思わず言葉を失って野崎くんを見ると、彼は「かなり前のことだから」と穏やかに微笑んだ。

 「俺の母親がばあちゃんの娘で、俺が幼稚園児の時に事故で亡くなったんだよ。俺はその時ばあちゃんのとこに預けられてて、そのまま一緒に暮らしてる」
 「そう、だったんだ」
 「んな暗い顔するなよ。もう受け入れて、乗り越えてるんだからさ」
 「うん。……そうだね、野崎くんが言うなら」

 わたしも笑ったけど、いよいよ人捜しを諦めさせることが難しくなってしまった。こんなこと言われたら、辞めようなんて言えないよ。