「うわぁぁ……」
小さな水族館と銘打たれたイベントは、人の集まりやすい商業施設内の広場的スペースで行われていた。
意図的に薄暗くした照明のもと、ライトアップされた幾つもの水槽の中に、魚たちが泳いでいる。
「思ったより、色んな魚がいるんだな」
「ねえ、この魚すごくきれいだよ!」
目の前でゆらゆら泳ぐ魚たちに、気持ちがわくわくする。わたしはあっちの水槽こっちの水槽と見て回っていたけれど、不意に後ろから「くっく」と笑う声が聞こえて振り返った。
笑い声の主がわかって、わたしはジト目で彼を見る。
「……野崎くん」
「わるかったよ。その……角田が楽しんでるのがかわいくて」
「かっ……」
顔が熱くなる。わたしの変化を見て、野崎くんの顔も徐々に赤く染まっていく。
「……っ」
「……。あ、そ、そろそろ行くか?」
「そ、そうだね。行こっか」
近くで「初々しい」とか「かわいい~」とかの声が聞こえるのは、きっときのせい。
わたしたちはイベントスペースを離れて、自動販売機とベンチのあるエリアへと移動した。なんとなくどちらともなく座って、ほっと息をつく。
(でも、ここから何て言えば良い!? か、かわいいなんて言われると思ってなかったから、どうしたら良いかわからない)
くったくなく言われた「かわいい」という言葉。自然に転がり出たであろうそれを、わたしはどう受け止めたら良いのかわからなかった。
内心頭を抱えるけれど、このまま気まずいのは嫌。
(何か言わないと。何か……)
意を決して隣に座る野崎くんに「あ、あのっ」と声をかけようとした矢先。先に口を開いたのは、野崎くんの方だった。
「……ごめんな、驚かせて」
「へ!?」
「思ったことがそのまま出ちゃったみたいで、俺自身もびっくりしたというか……」
「お、思ったこと……?」
「水槽の中を見つめて、楽しそうに笑ってるのを見てたら、口から出てた。……あ、改めて言わせるな恥ずかしいから!」
「わたしの方が恥ずかしいも……っ」
耐え切れなくなって野崎くんに向かって言い返せば、間近に彼の顔があった。勢いのまま顔を上げて、野崎くんの方を向いた瞬間のこと。びっくりして目を見開けば、野崎くんの顔が瞳いっぱいに映った。
「あ……」
「――たんま、無理」
「え? わっ」
野崎くんの手のひらで、わたしの視界が覆われる。何も見えない。
「の、野崎くん!?」
「今は、だめ。あと十秒だけ待ってくれ」
「わ、わかった……」
好きな人の手のひらに、視界が覆われている。意外と大きいとかあったかいとか、そんな感想が出てくるけど、それ以上にわたしの心臓がもちそうにない。こんなに近いと、野崎くんに聞こえてしまうんじゃないかと怖くもあった。
「……もう良いよ。悪かったな」
きっちり十秒後、野崎くんが手を離してくれた。暗い中から明るくなって、わたしは目を細める。まばたきを数回繰り返してから、そっと野崎くんを見上げてみる。野崎くんとわたしの身長差は十センチくらいだから、どうしたって見上げることになるんだ。
わずかに赤みの残る頬に、心臓のどきどきが再会される。
「だ、大丈夫……。か、かわいいって言われて、うれしかったから……」
「――っ。そっか……よかった」
「……」
「……」
「そ、そろそろ帰ろう。いい具合の時間だし」
野崎くんの言う通り、自動販売機コーナーにある時計の針は、午後五時を差そうとしていた。立ち上がった野崎くんを追って、わたしも歩き出す。
その後何となく会話が続かなくて、駅前で別れた。
☆☆☆
「ただいま」
「お帰り、透矢ちゃん」
家に帰ると、台所に立つばあちゃんがいた。既においしそうなにおいが立ち込めていて、俺は空腹なことを自覚せざるを得ない。
手を洗ってかばんを置いて来ると、丁度夕食が出来上がっていた。
「うまそう」
「おいしいわよ。食べる?」
「うん」
素直に頷いて、俺はばあちゃんと二人で食卓を囲む。
両親が他界して、幼い頃に俺はばあちゃんと暮らし始めた。子どもの世話なんてさせるのは、子ども心に申し訳なさがあった。だけどばあちゃんはその優しい笑顔で、俺を育ててくれている。
「そういえば、今日のデートはうまくいったの?」
「――けほっ」
思いがけないことを言われて、思わず咳込んだ。落ち着いてから、俺は「デートじゃなくて、人捜しのついでに遊んでただけだってば」と慌てて返した。
それでも何故か、ばあちゃんはふふふと笑っている。
「そういうことにしておいてあげる」
「しておくもなにも、俺はまだ……っ」
言いかけた言葉を飲み込む。危なかった。これはまだ、誰にも告げないと決めているから。
黙って箸を動かす俺を眺めていたばあちゃんは、お茶をすすって息を吐く。
「今日一緒にいた子、水月ちゃんといった子だけど……」
「角田が何?」
今日のことを話題にするのなら、さっさと食べて部屋に戻ろうかと思っていた。でもばあちゃんの言い方に引っ掛かりを覚えて、箸を止めて顔を上げる。
「水月ちゃん、何処かで会ったことがある気がするのよね……」
「――え?」
ばあちゃんの言葉に、俺は目を丸くした。
☆☆☆
小さな水族館と銘打たれたイベントは、人の集まりやすい商業施設内の広場的スペースで行われていた。
意図的に薄暗くした照明のもと、ライトアップされた幾つもの水槽の中に、魚たちが泳いでいる。
「思ったより、色んな魚がいるんだな」
「ねえ、この魚すごくきれいだよ!」
目の前でゆらゆら泳ぐ魚たちに、気持ちがわくわくする。わたしはあっちの水槽こっちの水槽と見て回っていたけれど、不意に後ろから「くっく」と笑う声が聞こえて振り返った。
笑い声の主がわかって、わたしはジト目で彼を見る。
「……野崎くん」
「わるかったよ。その……角田が楽しんでるのがかわいくて」
「かっ……」
顔が熱くなる。わたしの変化を見て、野崎くんの顔も徐々に赤く染まっていく。
「……っ」
「……。あ、そ、そろそろ行くか?」
「そ、そうだね。行こっか」
近くで「初々しい」とか「かわいい~」とかの声が聞こえるのは、きっときのせい。
わたしたちはイベントスペースを離れて、自動販売機とベンチのあるエリアへと移動した。なんとなくどちらともなく座って、ほっと息をつく。
(でも、ここから何て言えば良い!? か、かわいいなんて言われると思ってなかったから、どうしたら良いかわからない)
くったくなく言われた「かわいい」という言葉。自然に転がり出たであろうそれを、わたしはどう受け止めたら良いのかわからなかった。
内心頭を抱えるけれど、このまま気まずいのは嫌。
(何か言わないと。何か……)
意を決して隣に座る野崎くんに「あ、あのっ」と声をかけようとした矢先。先に口を開いたのは、野崎くんの方だった。
「……ごめんな、驚かせて」
「へ!?」
「思ったことがそのまま出ちゃったみたいで、俺自身もびっくりしたというか……」
「お、思ったこと……?」
「水槽の中を見つめて、楽しそうに笑ってるのを見てたら、口から出てた。……あ、改めて言わせるな恥ずかしいから!」
「わたしの方が恥ずかしいも……っ」
耐え切れなくなって野崎くんに向かって言い返せば、間近に彼の顔があった。勢いのまま顔を上げて、野崎くんの方を向いた瞬間のこと。びっくりして目を見開けば、野崎くんの顔が瞳いっぱいに映った。
「あ……」
「――たんま、無理」
「え? わっ」
野崎くんの手のひらで、わたしの視界が覆われる。何も見えない。
「の、野崎くん!?」
「今は、だめ。あと十秒だけ待ってくれ」
「わ、わかった……」
好きな人の手のひらに、視界が覆われている。意外と大きいとかあったかいとか、そんな感想が出てくるけど、それ以上にわたしの心臓がもちそうにない。こんなに近いと、野崎くんに聞こえてしまうんじゃないかと怖くもあった。
「……もう良いよ。悪かったな」
きっちり十秒後、野崎くんが手を離してくれた。暗い中から明るくなって、わたしは目を細める。まばたきを数回繰り返してから、そっと野崎くんを見上げてみる。野崎くんとわたしの身長差は十センチくらいだから、どうしたって見上げることになるんだ。
わずかに赤みの残る頬に、心臓のどきどきが再会される。
「だ、大丈夫……。か、かわいいって言われて、うれしかったから……」
「――っ。そっか……よかった」
「……」
「……」
「そ、そろそろ帰ろう。いい具合の時間だし」
野崎くんの言う通り、自動販売機コーナーにある時計の針は、午後五時を差そうとしていた。立ち上がった野崎くんを追って、わたしも歩き出す。
その後何となく会話が続かなくて、駅前で別れた。
☆☆☆
「ただいま」
「お帰り、透矢ちゃん」
家に帰ると、台所に立つばあちゃんがいた。既においしそうなにおいが立ち込めていて、俺は空腹なことを自覚せざるを得ない。
手を洗ってかばんを置いて来ると、丁度夕食が出来上がっていた。
「うまそう」
「おいしいわよ。食べる?」
「うん」
素直に頷いて、俺はばあちゃんと二人で食卓を囲む。
両親が他界して、幼い頃に俺はばあちゃんと暮らし始めた。子どもの世話なんてさせるのは、子ども心に申し訳なさがあった。だけどばあちゃんはその優しい笑顔で、俺を育ててくれている。
「そういえば、今日のデートはうまくいったの?」
「――けほっ」
思いがけないことを言われて、思わず咳込んだ。落ち着いてから、俺は「デートじゃなくて、人捜しのついでに遊んでただけだってば」と慌てて返した。
それでも何故か、ばあちゃんはふふふと笑っている。
「そういうことにしておいてあげる」
「しておくもなにも、俺はまだ……っ」
言いかけた言葉を飲み込む。危なかった。これはまだ、誰にも告げないと決めているから。
黙って箸を動かす俺を眺めていたばあちゃんは、お茶をすすって息を吐く。
「今日一緒にいた子、水月ちゃんといった子だけど……」
「角田が何?」
今日のことを話題にするのなら、さっさと食べて部屋に戻ろうかと思っていた。でもばあちゃんの言い方に引っ掛かりを覚えて、箸を止めて顔を上げる。
「水月ちゃん、何処かで会ったことがある気がするのよね……」
「――え?」
ばあちゃんの言葉に、俺は目を丸くした。
☆☆☆
