小学生時代のクラスメイト、倉橋剣磨くんが転校してきた。それをきっかけに軽いパニックを起こしてしまったわたしは、ホームルームが終わったことに気付かなかった。
 わたしの様子がおかしいことに気付いた野崎くんに問われ、わたしは小学生時代の大失敗を初めて話すことにした。

 「……小学校一年生の時、倉橋くんはクラスメイトだったの。彼が転校するまでずっと同じクラスだったかな。ある時、大雨が降って、地面とか全部どろどろになって、地滑りとか起きやすくなったことがあったの」
 「そういえばあったな。異常気象だって騒がれたっけ」
 「そう。丁度土曜日だったんだけど、午後からは晴れたの。だからわたし、昼から友だちの家に遊びに行ったんだけど……」

 夕方まで遊んで帰宅する途中、大雨の影響か、地滑りが起こった。しかも、わたしの歩いていた道に沿った小高い山の斜面で。幸いわたしが通る直前で、そのまま止まれば被害は何もないはずだった。

 「だけど、その地滑りの先に小さな女の子がいたの」

 年齢は、幼稚園児くらい。お母さんが先に行っていて、女の子はお母さんを追いかけていた。だけど凄い音がして、地滑りが起こった。

 「お母さんも女の子も、咄嗟に動けずにいたの。……わたしは本当に無意識に、その子に向かって走ってた」
 「……!」

 何をどうしたかは覚えていない。だけど、女の子の泣き声で我に返った。わたしは女の子を地滑りから守って、お母さんのもとまで送り届けていた。
 どうやら全力以上の速度で走って、女の子を抱き締めてスライディングしたみたい。

 「女の子はギャン泣きで、でもお母さんも泣きながらお礼言ってくれて……凄く嬉しかったし、ホッとした。間に合って、助けられたんだって」
 「……凄いな、それ。それだけのことしてたら、当時ニュースにでもなってそうだけど」
 「わたしがお願いしたの、その子のお母さんに。絶対に、このことは誰にも言わないでって。……誰かに知られたくなかったから」

 その子のお母さんからは、後日手紙が届いた。わたしへの慰謝料とかを考えて住所を交換していたから。でも結局わたしは軽傷で、傷はしばらくしたらかさぶたになってなくなった。
 約束は守ってもらえて、その日も翌日の日曜日も傷が痛むだけで済んだ。地滑り自体は誰かが通報してニュースになって、処置が行われると報じられた。
 だけど、月曜日に事件が起こった。

 「地滑りが起こった時、わたしたちを見ていた人がいたの。道路の向こう側で」
 「えっ。……もしかして……」
 「そう。その見ていた人が、当時の倉橋くん」

 当時は必死で、周りなんて見ていなかった。自分が人並み外れた怪力の持ち主だってことも頭からすっぽりと抜けていて、ただ必死だった。
 見られていたのだと知ったのは、小一の倉橋くんが朝、わたしを見た直後に指を差しながら叫んだから。

 「お前、土曜日に女の子助けてた! すごい勢いで走って、助けてた! お前すごいな!」
 「えっ……」

 当時のわたしは、まさかの事態に血の気が引いた。倉橋くんは教室で大声で「すごいすごい」と叫んでいて、何かわからないけど同調した一部の男子たちも叫び出した。

 「そりゃあもう、大騒ぎで。誰かが先生を呼びに行ったみたいなんだけど、その時にはわたしはその場で気を失ってたの」

 頭の中で処理しきれなくなったのだと思う。目を覚ましたのは、保健室のベッドの上。

 「様子を見に来てくれた先生に、わたしは泣きながら頼んだ。お願いですから、倉橋くんの言ってることは秘密にしてくださいって」
 「……知られたくないことを知られて、それを無許可で吹聴されたんだ。パニックになって当然だろうな」
 「ありがとう、そんなふうに言ってくれて。……でも、人の口を塞ぐことなんて出来ない。一ヶ月くらい、別のクラスや学年の人から、好奇心で眺められることがあったな。こそこそ話してるのを見て、わたしのことかなって怖くなったりもした」
 「角田……」

 何度も学校を休もうかとも思ったけど、結局休まなかった。意地になっていたのかも知れない、と今は思う。

 「休んだら、何を言われるかわからないっていう怖さもあったんだと思う。でも結局その一ヶ月後に倉橋くんが転校して、同じ頃にわたしへのみんなの興味もなくなっちゃった」

 だから、とわたしは心の中で付け加える。この力のことは、誰にも明かさない。今度こそ、普通の女の子として生きていくんだって決めたから。
 しばしの沈黙の後、野崎くんは困ったように微笑んだ。

 「……そんなことがあったから、倉橋を見て青い顔をしていたんだな」
 「……してた? 青い顔」
 「してた。みんなが賑やかな中で後ろ向いたら、角田が倒れそうな顔してたから驚いたんだ」
 「……見てて、くれたんだね」

 ありがとう。そう呟くと、野崎くんは「俺が勝手に気付いただけだから」と返してくれた。

 「この後、どうする? 早退するのもいいと思うぞ」
 「ううん、いるよ。野崎くんと朱李ちゃんがいるから、大丈夫と思う」
 「……そっか、わかった。でも、危なくなる前に俺や須藤を頼れよ。迷惑かもとか考えなくて良いから」
 「……うん」

 素直に頷くと、野崎くんは「待ってる」と笑ってくれた。
 それから授業の終わりの時間まで、わたしたちは小さな声で話して過ごした。