「俺のことは気にしなくていい。蛍が満足するまで、ずっと居るから」
スケッチブックを取り出して下描きを始めた時、凪くんが静かにそう言った。
潮風に声が溶けて、胸の奥がじんと熱くなる。
「ありがとう」
鉛筆を走らせる音と、寄せては返す波の音だけが重なっていく。
その静けさを破るように、凪くんの声がもう一度届いた。
「蛍、やっぱり一瞬こっち向いて」
「うん?」
不思議に思って顔を上げた瞬間、視界いっぱいに凪くんが映る。
驚く間もなく、唇に柔らかな温もりが触れた。
「…凪くん」
顔を離した凪くんを呼ぶ。
「…何?」
「凪くんが、好きよ」
「俺も、蛍が好きだよ…これからも、いろんな場所に一緒に行こう。ずっと、一緒にいよう」
「…うん。ありがとう」
その言葉に込めたのは、絵を描かせてくれたことでも、海に連れてきてくれたことでもない。
――この瞬間を、言葉を私にくれたことへの感謝だった。

