翌日…

このところ毎日この車に乗ってる気がする。

今日も定時で上がって駐車場に下りてみると、さすがに3日めになって、私の名前を覚えてくれた運転手さんの笑顔に出会った。


「お疲れ様でございました。片瀬様」

ちなみに私は初めから、運転手さんの名前が『早井さん』だということは知っている。

運転手さんも秘書課に所属しているので、その経歴や勤続年数は耳に入っていたからだ。

早井さんは専門ドライバーとして、裕也専務が役職に就いてから、ずっと専用車を運転している。

無遅刻無欠勤。
ドライバー歴30年以上のベテランだ。


先に後部座席に乗っているよう早井さんに言われ、しばらく待っていると、車のドアがサッと開く。

「…お待たせしました」

裕也専務が外の空気と共に、車内に滑り込んできた。

「お疲れさまです」

小さく頭を下げながら、今日の専務のスーツを眺める。
光沢感のある紺色のスーツは、今まで見た中では一番ビジネス向きではない気がした。


連れていかれたのは、誰もが知る高級ブランドショップ。

そう来るよな…と思いながら、恐る恐る足を踏み入れた。

高級店にありがちな、広い店内にしては、売り物が少ないレイアウト。

飛んできた男性は、責任ある立場の人だろう。
髪を後ろに撫でつけて、高級感のあるスーツを身に着けている。


「今日はこちらの女性に、白いワンピースを贈りたいと思って来ました」

…私の希望を聞かないところはお寿司屋さんと同じ。
まぁ、専務のご両親にご挨拶に行く服を買うんだから、文句はないけれど。


「あぁ…こちらのお嬢様でしたら、白いワンピースはとても似合いそうですねぇ…!」

…そんなことはないと思う。
けど…貼り付けた笑顔を向けてくる男性に、私も笑顔を返した。


選ばれたのはシンプルな丸首の、スカート部分がオーガンジーのような薄い布でできているノースリーブのワンピースだった。

「こちらのカーディガンを合わせると、更にお似合いです…!」

言われるまま袖を通し、裕也専務に見せに行こうと促された。

「あ…パンプスもご入用ですね」

ヒールに傷がついているのを見られ、恥ずかしくなったが仕方がない。

チョイスしてもらった薄いピンク色のパンプスに足を入れた。

「わぁ…」

伸ばしっぱなしの髪を簡単にアップにしてもらって、鏡に映る自分に驚きの声を上げた。


「…女の子はスゴいですね。こんなに簡単に大変身するのですから」

いつの間にか鏡の中に、腕組みをした裕也専務が映っている。

「なんだか、魔法にかけられたみたいで…恥ずかしいですね」

照れ隠しにうつむき、スカートをサッとなでた。

「それはそうと…気に入りました?」

「あ、はい。ワンピースの代金は…」

報酬から抜いてください、と言おうとしたが、専務が責任者の男性を呼ぶ声に遮られた。

「黒とグレーのビジネススーツを持ってきてください」

「…かしこまりました!」

男性はしばらく、店内で揺れるスーツと私を見比べて、4着持って戻ってきた。

試着をするよう言われ、着てみると…すべてサイズがぴったりだ…!

「…黒というより、焦げ茶やグレーの方が似合いますね」

試着した姿を裕也専務に見せると、比較的まじめな顔で感想が返ってきた。

これも…。
自分と会うときに、私に着せるためのスーツなんだろうな。

ご両親への挨拶は1回だけど、その後半年の間に数回、近況報告のために会うって言ってたから…

「それでは、焦げ茶とグレーのスーツを…」
「4着すべて買いましょう」

また人の言葉を遮って、裕也専務が勝手に決めてしまった。

他にも、スーツの下に着るブラウスや、ビジネス用のパンプス、そしてバッグまで買うことになり…

『◯リティウーマン』さながら、ショップの紙袋に埋もれることになった。

心配していたお会計は裕也専務が出したブラックのカードで決済され、黒塗りの車に戻る。

「あの…お代は、報酬から差し引いていただけますか?」

給料から差し引くと言われたら困る…

「は?全部プレゼントですよ?」

「…え」

そうなの…?それにしても、あんな高級ショップで何着も買ってもらっていいのかな…

「嬉しそうじゃありませんね?」

「いえ…とても嬉しいんですけど、どれもあまりに高級品なので…」

「正直、もっとねだられると思ってました」

「そうですか…でも、私は…」

いくら専務がお金持ちでも、たかるようなことはしたくない。
もっと言うなら、ワンピースもスーツも、身の丈にあった安価なもので十分だ。

「…本当に、ありがとうございました」

それでも…今日の買い物は、裕也専務が良かれと思って連れて行ってくれたもの。
確かにご挨拶に着ていく服なんてなかったし、スーツもずっと同じものだったから助かった。

「それじゃ、お礼にキスをしてもらいましょうか」

「は?」

「お礼をしなきゃ、受け取りたくないって顔をしてますよ?」

そんなことない…と思いながら、頬を自分の両手で挟んでみたところで、意地悪な笑顔を浮かべる専務が目に入った。

またからかわれた…
とっさにそう思ってムキになる。

「わ、かりました。では…失礼します…」

腕を組んで、意外にも動かない裕也専務。
その滑らかな頬に唇を近づけた。

大丈夫、お父さんにもよくこうして、甘えてキスしてた…

頬にわずかに唇を触れさせて、ついその横顔を見つめてしまった。 
自分でも焦る…
こんな時、涙が出てくるなんて…


「…片瀬さん?」

さすがに裕也専務も焦った顔になる。


「すいません…亡くなった父を、思い出してしまって」

慌てて距離を取って座り直した。


「父のスーツ姿が好きで…子供の頃、出かける父に甘えてました。…その時よく、膝に乗って頬にキスを……キャッ!」

「だったらお父さんだと思って、少し甘えたらどうですか?」

突然肩を抱かれて、専務のスーツの胸元に、頬を寄せてしまった。

…頭に顎が当たって、大きな手が、私の髪を撫でる…

それは父に甘えた時と同じ感覚で…私は思わず目を閉じて、専務の腰に手を回して抱きついてしまった。