〇大学

翌日の朝。必修の大学の語学の授業のために教室へ向かっていた菜摘。花音は別の教室。


大きなあくびをする。目不足で目の下にクマが出来ている。歩く姿勢は猫背気味。


菜摘:昨夜はよく眠れなかったな。寝れば「可愛い」って言われたことを思い出して何度も覚めちゃった。


菜摘「ふぁ〜……。このままじゃ授業中に寝ちゃいそう。来週小テストなのに…」


〇語学の教室

着くと教室は学生で溢れている。席は8割程埋まっている。


菜摘:うそー。いつもはこんなに人はいないのに。テスト前だから皆慌てて授業受けにきたのかな?


キョロキョロして席を探す。授業時間が迫る。困っていると手招きする青年がいた。


青年「ここ空いてるよ」


菜摘はその青年の隣に座る。


菜摘「ありがとうございます。って、あれ?」

西澤「昨日はどうも。同じ大学だったんだね」


声をかけてきた青年はカフェで出会った西澤。驚く菜摘。ここで一気に眠気が覚める。


菜摘「偶然って本当にあるんだ。あ、昨日はありがとうございます。その、嬉しかったです。あんな風に言ってもらえて」

ようやくお礼を言えたことで胸のつっかえが取れる。


肩肘を机につく西澤。


西澤「別に大したこと言ってないよ。あっ、俺は
西澤 絢斗(にしざわ あやと)。同じ1年生で19歳」

菜摘「園田 菜摘(そのだ なつ)です。同じく1年生で19歳です」


19歳にしては大人っぽい西澤を前に思わず敬語になってよそよそしくなる菜摘。

西澤は緊張している菜摘を見て「ふっ」と静かに微笑む。


西澤「そんなに緊張しないで。肩の力を抜いてリラックス」

菜摘「そう、ですよね。…あ、そうだよね。同い年なんだし。よろしく西澤くん」

西澤「よろしく。園田さん」


西澤と菜摘は挨拶を終えて姿勢を正面に向けた。すると西澤は「そうだ」と言って再び菜摘の方を向く。


西澤「園田さん」

菜摘「ん?なに?」

西澤「昨日、久保田(くぼた)…あ、俺の友だちが傷つけるようなこと言ったお詫びにお昼、一緒にどう?」


菜摘:あー昨日の


菜摘「お詫びなんて…全然気にしてないよ」


菜摘:その後のことが印象強くて


また思い出して少し赤くなる。


菜摘:でも、せっかく誘ってくれたんだし。それに、また会えたらなって思っていたから


菜摘「私でよければ」


緊張を含む菜摘の返事に優しく微笑む西澤。菜摘の胸がドキッと鳴る。


〇大学(食堂)

時は正午。多くの学生で賑わう学生食堂。菜摘と西澤は同じ席に向かい合わせに座る。

菜摘は持ってきた弁当を保冷バッグから取り出す。


西澤「それ自分で作ったの?」

菜摘「うん。作り置きしたものを詰めただけなんだけね」


弁当の蓋をあける。中身は白米、卵焼き、唐揚げ、ベーコンのチーズ巻き、プチトマト、ブロッコリーが入っている。


西澤「凄いね。栄養のバランスまで考える大変じゃない?」

菜摘「偏らないようにはしているつもり。それに作るの好きなんだ。だから楽しい」


緊張を忘れて自然と笑顔になる菜摘。楽しそうに語る菜摘に心が揺れる西澤はまた微笑む。

二人で昼食を食べ始める。菜摘は卵焼き、白米と食べ進める。一方で西澤は食堂で売っているパンを食べていた。


菜摘「パン一つだけ?」

西澤「え?うん、そうだけど…」

菜摘「この後も授業あるけど、お腹空かないの?」

西澤「うーん。あんまり空く感覚がないんだよね。とりあえず食べてるって感じ」

菜摘「…良かったらこれ食べて」


菜摘は自分の弁当を西澤に差し出す。パン1つで午後の授業を乗り切れるはずない。心配になった菜摘。

差し出された弁当を見て戸惑う西澤。


西澤「ありがとう。でも大丈夫。園田さん食べなよ」

菜摘「でも…」


まだ夏の暑さが残るこの時期に食べないのは危険だ。


菜摘:西澤くん。平気そうにしているけど、顔色が悪い。食べないと夏バテになっちゃう。


西澤「じゃあ少しだけ。いただきます」


西澤は卵焼きを取り、口に運ぶ。菜摘の心配が伝わった。

食べ終えた西澤は何故か一言も話さない。美味しくなかったのかと不安になる菜摘だが次の瞬間、西澤は目を見開いて感動した表情を見せる。


西澤「美味しい…!」

菜摘「ほんと!?」

西澤「うん。今食べた卵焼きの中で一番美味しいよ!」

菜摘「え、あっ…ありがとう。あー!時間が無くなっちゃうから早く食べよう?」


予想以上に喜んでもらえた嬉しさと恥ずかしさを隠すようにする弁当を慌てて食べ出す。


菜摘:喜んでもらえて良かった。やっぱり食べた人が笑顔になるって嬉しいな。


〇大学(教室)

授業を終えた菜摘は教科書とパソコンをリュックに入れる。スマホを取り出して通知を確認する。

同じく授業を終えた花音が菜摘の背中に飛びつく。


花音「なーつ〜」

菜摘「わっ!花音!もう、驚かさないでよ〜」

花音「聞いたよー。食堂で知らない男とご飯食べてたんだって?」

菜摘「えっ!?なんで知ってるの!?」

花音「ふっふっふっ。あたしの情報網を甘く見ちゃいけないよ。同じ学科の人が見たって噂してたよ」

菜摘「噂になってるの!?」


菜摘:お昼のたった数十分の出来事なのに。大学の情報網甘く見ていたわ…。


花音「で?相手とはどういう関係?」


噂話にニヤニヤが止まらない花音。菜摘に詰め寄って情報を炙りだそうとしている。

困る菜摘だか、圧に負けて話すことを決める。


菜摘「昨日のカフェで会った人だよ。ほら、かわいいって言ってくれた…」


自分で自分を可愛いと言っているようで気恥しくなる。両手の人差し指を合わせてモジモジとした仕草をする。顔をほんのり赤く染めて下を向く。


花音「あーあのイケメンくん。なに何?可愛いって言われた嬉しさにランチに誘ったと?」

菜摘「違うちがう!ただのお詫び。友だちが傷つけるようなことを言ったからってそれでランチ一緒に食べたの!」

花音「ふーん。男得意じゃないのに誘いに乗ったんだ〜。可愛いって言われたことで少し成長したってことかな?」

菜摘「別に苦手って訳じゃないよ。お父さんともお兄ちゃんとも弟たちとも普通に話せるし。ただ昔、からかわれてたから同級生とどうコミニュケーションを取ったらいいか分からないだけで……」

菜摘:家族や花音の前だけ何も気にしないで食事出来るのはまぁ、苦手もあるかもしれないけど。普通の同級生の前じゃ食べ方気にして食べた気にならないのよね。

花音「まぁ、いいんじゃない?何はともあれ、あたしは菜摘が傷ついてなきゃそれでいいのよ。その男に何か言われたら、一番にこのあたしに言うのよ!?あたしの親友を傷つけた代償は大きいんだから!」

菜摘「気持ちは嬉しいけど、ネットに晒すようなことはやめてね?」

花音「えぇー〜?」


面白くなさそうに口をとがらせる花音。本気で晒すことまで考えていたのかと思うと恐ろしくなる。胸をバクバクとさせて、花音の恐ろしさを知った菜摘だった。