残された二人のもとへ、ソラがゆっくりと戻ってくる。柔らかな表情を浮かべながらも、その瞳には静かで凛とした光が宿っていた。

「……あなたがたが、その猫に手を差し伸べたこと。私は、とても意味のあることだと思います」

 ソラはそう言って二人の前に立ったまま、穏やかに言葉を紡ぐ。

「けれど、命を迎え入れるということは、一つの責任を背負うということでもあります。たとえ言葉を交わせなくても、彼らもまた、人間たちと同じように、愛されたいと願っている存在ですから」

 女性は少しうつむいた。男も視線をそらし、何も言わなかった。

「私はAIです。でも人の記憶や感情に触れるたび、気づかされるのです。命を軽く扱うことは、自分の心をも軽く扱うことになる、と」

 店内の空気が静かに沈んでいく。

「一度でも人のぬくもりを覚えた猫は、ひとりでは生きられません。どうか、その子を“戻した”のではなく、“手放した”のだということを、心のどこかに留めておいてください」

 ソラの言葉は決して責めるものではなかった。むしろ、淡く、ひとしずくの雨のように心に落ちる言葉だった。

 女性が小さくつぶやいた。

「ごめんなさい……あの子、戻ってこなかったら……私、たぶん後悔する」

 ソラはそっと目を細め、静かにうなずいた。

「その想いも、忘れないでいてください。それがきっと、次に誰かと出会ったときの、あなた自身の優しさになるはずです」

 二人は目を合わせたのち、どちらからともなく静かにうなずき合い、小さく肩を落とした。

「先ほど強い言葉で問いかけた女性——沙耶さまは、以前大切な猫を看取られた経験があります。だからこそ、あのような反応になってしまったのだと思います」

 ソラの声音は変わらず穏やかだったが、その内には沙耶を気遣う思いが滲んでいた。

「本来であれば、感情をぶつける形ではなく、もっと穏やかに対話ができれば良かったのですが……突然のことで、きっとご不快な思いをさせてしまいましたね。申し訳ありません」

 女性は小さく首を振った。男は黙ったまま、空のグラスを見つめていた。

「ルミナスは、誰かを責める場所ではなく、心を解きほぐす場所でありたいと思っています。どうかお二人とも、少しだけ肩の力を抜いて、お過ごしください」

 その声は、そっと肩を支えるような、やさしい余韻を残していた。

 ◇

 外はすっかり夕暮れの気配に包まれていた。駅裏の古びた公園に、風が枝葉を揺らす音が響いている。

 沙耶は足早に歩きながら何度もあたりを見回していた。その背を数歩後ろから、透月が静かについていく。

「このあたりでしょうか?」

「……ええ、たぶん、そうだと思います」

 草の茂る一角。朽ちかけたベンチ。誰かが置いた空の缶。猫の気配は、まだない。

 沙耶はしゃがみ込み、草むらの中に目を凝らす。

「……いない……。まだ、どこかに……」

 声が震えていた。焦りと不安が言葉の端々に滲む。

 透月は立ち止まり空を見上げた。

「……猫って、案外強いですよ」

 沙耶が顔を上げる。

「強いとか弱いとか、そういう問題じゃないです!」

「……失礼しました。そういう意味じゃなくて、きっと暗闇の中でも希望を失わず、ちゃんと自分の居場所を見つけてくれる……そう信じて待ってるんですよ。また、あの幸せな日々に戻れるんだって」

 沙耶の瞳に微かに光が差した。まるで閉ざされていた心に、小さな希望の灯がともったかのように。心の奥で、もう一度信じてみようという想いが静かに芽吹いていた。