恋人の定義とは、一体なんだろうか。

愛を囁き合ったら?
キスをしたら?
身体を重ねたら?

この歳になって、付き合う付き合わないの話を、
誰かと改めてするのは難しい。

ましてや、その相手が…


「そんな熱い視線を向けられたら、
 ヤケドしちゃうよぉ」


こんなにもチャランポランだった場合は、
一体、どうしたらいいものか。

千秋京子(ちあききょうこ)は、大きな溜息を一つついた。

そして、長い指をピンク色の臓器に這わせる、
色付き眼鏡をかけた男を見やる。


「勘違いなので大丈夫ですよ」

「またまた~
 そんな照れなくても大丈夫だよ、
 きょーんちゃん♡」


このセリフだけを聞けば、誰も想像はしないだろう。

今この場所が、とある病院の手術室であり、
74歳胃癌患者の開腹手術中であり、
執刀医はこのチャラくてヘラヘラ顔の男であり、
彼が、隣で器械出しをしている京子を口説くのは、
毎度毎日毎回のことである…

とは、もちろん想像し得ないだろう。

だが、最早この場では誰も驚くことはない。

これは数年前から変わることのない、
言わばこの場所の日常なのだ。

男の前で第一助手を務める彼の上司も、
外回りをする看護師も、麻酔科医も、
皆わかっている。

何をわかっているかって?

それはもちろん、この後の展開だ。


「ケリー…いたっ‼」


パシンッという音が、男の手の上で弾ける。

京子は器械出し看護師として、
ケリーという鉗子を男に手渡した。

それはそれは、強い尊敬と、嫌悪の想いを込めて。


「きょんちゃん?右手は外科医の命だよ…?」

「きょんじゃなくて、京子です。
 きょ・う・こ!」

「うん!僕のきょーんちゃんっ♡…ギャッ‼」


男はマスクの向こうで顔をしかめて、
今度は右足の痛みを懸命に耐えるしかなかった。